mamepengin

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最近、気付いたこと。


ブランコ


自分の中の異物。。それは、「我慢」だった



自分の中のよくわからない「感情の異物」の本性はなんだろう…と思いながら少しずつ堀り探ってみました。
一つ一つ探っていくと、そこには「私もがんばってきたんだ・・。」という「我慢する自分」がありました。

「私は私であってはいけない」という自分は「感情を表現することを頑張って我慢している」という事のようです。

その自分に「そんなに頑張って我慢するなんて凄いね・・」って声掛けをしてみたところ「頑張ることはとても辛いし、我慢もしたくないけど、頑張って我慢することはとても素晴らしいことなんだ」「我慢して頑張っている人からのプラスのストロークが欲しい」と言ってきました。

つまり、「我慢する人はOK」で、「我慢しない人はNO」ということになるのです。誰がいつ頃こんなことを自分に植付けしたんだろうと考えてみると・・実は私の実母だということに気がつきました。


私は母からの「プラスのストローク」=褒めてもらいたい・・という、代償のために、「自分の感情を押し殺して、嫌なことも頑張って我慢する」こうすることで、母にとって都合の良い子になれる・・ということでした。

その本性は様々な場面でいろいろな物に化けて私が私であることを拒み、常に、我慢して生活してきた人や頑張っている人と出会うたびに、美化されて、ついに自分の中では「他人はOK」でも私はNOという事に定着してしまった訳です。

実際にはあまり母からは褒めて貰った記憶も少なかったと思います。結婚を決めた時にも両親と同居することを選んだ私は、この時も自分の感情を押し殺してしまったのでした。姑もまた、「常に、我慢して生活してきた人で頑張っている人」でした。

その姑は私にプラスのストロークを投げかけてきました、、この時に私はNOでも、あなたがOKならそれで善いことなんだ…と、我慢すると共に「私は私であってはいけない」ということに決意するのでした。そして、不思議なことに、この日を境に私の感情は成長することを止めてしまいました。結婚したのは25歳のときです。その時から今まであった心の葛藤も、自分自身が壊れてしまうほどの、さまざまな感情も記憶も抑圧してしまったのでした。

そして、、「よく頑張ってきたね、、もう、そんなに我慢しなくていいよ・・我慢することに頑張らなくていいよ」と言い続けてみました。
私が誰かである必要はない、私は私のままでいい・・それでOKであり、変わって別な自分を作るわけでもなくて、私は私の考えをそのまま表現していい…と言い続けました。

母がくれなかったストロークを姑からもらうために同居して、その代償を得るために姑の顔色ばかりを気にしていた日々、自分が我慢さえすれば上手くいくと頑張って張り詰めてきた私は自分の感情を25歳までで止めてしまっている事に気がつきました。

今はそんな自分の心バランスをとるために様々な投影があることに気が付きはじめて、戸惑ってはいますが、それはそれでよかったと思っています。今は素直に自分を受け入れていこうと努めています。そして最近では、心の葛藤が減り捉え方も楽になってきました。

子供のころの感情に成人してからも振り回される…だからこそ、親に愛されていることを確信させることが必要になってくる。不安は、親から愛されていないということから起きる…「愛されていない」という禁止令を作らせないことが鍵になるのです。。つまり、「私は親に甘えたかった」ということに気がついたのでした。
「我慢することが、いつも美徳であるわけではないのです。」




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