Keep Smiling

Keep Smiling

kind of diary 4



3月8日

今日、TOEFLの目標点を達成することができた。
やりたいことをやるのに資格はいらないと思っていたが、
やっぱりそれなりのステップを踏んでいない輩に対して世界は甘くないことを学んだ。
望めば日に日に重なっていくものはある。
でも、それを望む形に作り上げていくのは自分の意思と努力なんだなあ。
step by stepを自分のペースにしよう。

目に見えない作業の積み重ねっていうのはとてもツライ。
実感として伝わってこないから。
不安や苛立ちは簡単に弱い心を刺激する。
でも、つらいツライって言えるうちは大丈夫。
それは弱さにすがってる弱い自分。
そんな逆説的に自分を救ってあげても甘えは何も生み出さない。

辛さを口にする前に、一歩踏み込む力がほしい。
そこからは何か見えるかもしれないから。
無理、無駄なんてどこにもない。
それを作ってるのは弱い自分。
今までがんばったこと、これからがんばること。。。
それは全部が全部、「何か」になる。なっている。
だからしり込みしてるうちに少しでも進もう。
見えない世界に挑んでいくのは少し勇気がいるけどね。

先のことなんて誰も見渡せない。
だから、ちょっとくらい無謀でもいいと思う。
過去と同じ失敗を繰り返すとも限らないし、これまでと同じことが未来に起こるなんてありえないからね。
未来の保障なんて何にもない。
でも、保障がないってことは全ての可能性は自分の手の中にあるってことさ。

亀とウサギの競争の話がある。
先を急いでウサギになる必要はない。
だけど、亀に甘んじることもない。
新しい種としてがんばればいいと思う。
気持ちはウサギ並みに自分を進ませ、亀のようにしっかりと一歩ずつ。
自分で必要な空気を作って、
それを深呼吸して。
はいつくばってたっていい、かっこよく歩けなくたっていい。
しっかり手と足を使って歩いていこう。

がんばれって自分に言える人は、人にもガンバレって言えると思う。
そんなふうに強い人になりたい。
希望や夢はおっきいほどいいし、おっきいほど自分を裏切らない。
裏切るのはいつも自分だってことを忘れないようにしたい。

明日はくるさ、って思うけど明日はこないかもしれないんだから。
できるならできる限りを、強く、楽しく、明るく生きたい





3月14日

長く曇天を引きずっていた空が高くなり、降り来る光は暖色を交えるようになった。
同時に景色は色とりどりの形をとり始め、賑やかに人が、鳥が、大気が弾む。
新しい季節の予感には引力がある。
じっと内に留まることができなくて、外へ繰り出してみる。
もちろん特に目的はないんだけれど。
たまにはそういうのだっていい。
いつもは歩くとき、下や上なんてあんまり見ない。
けど、視界に入るものそれぞれに目を向けてみると、これまで意識しなかった発見をすることになる。

風に揺れる黄色や白や緑、まだ葉をつけない枯れ姿、
つぼみをたくさんつけた準備万端なせっかちさん。
青い空、流される雲や水、吹く風。
世界は留まるところをしらない。
変化の連続で、今がある。

春の景色はもちろんキレイ。
けど、その準備段階の季節ってのはもっと綺麗だと思う。
生に満ちている。

力たちの収束。努力の結集。

タダほど高いものはないという。
でも、それってほんとかも。
値がつけられないくらい価値があるっていう意味で。
日常、そこに空があるって事、ここに空気があるってこと、俺らは意識しない。
それって、当たり前に与えられてるからじゃないだろうか。
でも、それなくして息をすることや、星を眺めることはできない。
大事なものはすぐ傍に横たわっているのに、それを見ようとはしない。
見えていない。
それってかなしいことだと思う。

探さずとも「そこにある」。
見逃さない為の眼と、見逃さない努力が必要だ。
そうすれば大事なものを大事ってしっかり言えるようになるかもしれない。
もっと愛しく思えるかもしれない。
ほらっ、そこにも。

良く生きよう。意識は新しい世界を造る。




4月25日

日々喪失感と共に生きる。
でも何を失ったのか、何が欠けているのか
その実感が伴わない喪失感。
これは思いのほかきついことだ。
なぜって、抜け出す術が見出せないから。
やたら動き回ってみても要領を得ない捜索に終わりかねないし、
無理に開き直ってみてもどこかで見えない何かに怯える身体と心は
疲労と焦りを蓄積していく。

でも俺は出口はどこにでもあると思っている。
ただ、それを開けるには多少の努力と勇気が必要。

出口を見つけたら、以外にちっぽけなことでのたうちまわってた自分を
笑ったりもするだろう。
幸せになる権利なんて誰でももっている。
そのきっかけを掴む、きっかけを見つけるのに時間がかかったりするけど。
手を伸ばし、掴んで引き寄せる。
ほら、実はすぐ傍に座ってたりするもんだよ。
よく見てごらん。

実は幸せであるはずなのに、それに気づけなかったり、
もっともっとと人は欲張りになる。
そういうのは悲しい。
幸せなときに「文句なしに幸せ」って言えるようになりたい。
幸せの度合いを測るなんてもったいない。
100%を振り切ったら、全部が全部単純な言葉で表せると思う。
だから、幸せを「幸せ」って馬鹿みたいに理解してたほうが潔い。

俺は幸せになれているか。
俺は幸せを誰かに運べているか。

もしも身体の担当を振り分けることができるとしたら。
左手は一人のために。
右手はみんなのために。
右手は、力も強いし細かいことも難なくこなす。
だからみんなを受け入れられる。
左手はそんなに強くないし、ぶきっちょだけど、
それでもたった一人のために一生懸命がんばる。

かっこよくできるなんて思ってないし、たぶんできない。
でも頑張るってことが俺にできることなら、
そのできることをできるだけ懸命にやろうじゃないか。
右手と左手合わせたってまだまだ力不足だから
たいしたことはできないけど。。。

いつかいつか、たくさんの幸せを作れたらいいな。


4月29日

死と向き合うとき、人は何を思うのだろう。
永遠でない存在が永遠になる瞬間。
存続していたものが途切れる瞬間。
俺は何を思うだろう。
自分が死に逝く側だったら、看取る側だったとしたら。。。
別れは突然に。
未練なくなんて無理だ。
後悔もいっぱいしちゃうかもしれない。
大切な人、大切なもの。
抱えてきたものは手放したくない。

想像を絶する想像をしてみよう。
もしも、もしも選択ができるとしたら。
俺は大切な人を看取りたい。
ずっと一緒にいたい。ずっと元気でいてね。って
思うけど、終焉があるとしたら最後まで。。。

だから俺は大切な人より先に死なない。
その人が命を全うするまで、好きで好きで、
いっぱい幸せにするんだ。
ちょっと傲慢かもしれないけど。
一個くらいそういう何かがあってもいい。

力がほしい。
たった一つでも立派に守れる力。
自信がほしい。
たった一つでも幸せ運べるっていう。
泥まみれになっても、雨に打たれても、
何もかもなくしてもしまっても。
変わらない かわらない。

最後に笑うためでなく、最後まで笑うために。
俺は生きる。


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: