発達障害である専門職のブログ

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2026.04.16
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カテゴリ: 家族問題
​6年前に亡くなった母にまつわる3本の記事を書きました。
ひとつは、 幼少期に置いて行かれた側だった私が、大人になって母の晩年に向き合う中で、その背景を見直していった話 。母だけを責めるのでは足りず、そこには祖母との関係や時代の制約、家庭の中で続いてきた歪みが重なっていたことを書いています。
ふたつめは、ようやく距離が縮まりかけた母の最期に、本人の意思をどう残すかという切迫した時間の中で動いた記録です。緊急入院、面会制限、限られた時間の中で、それでも 母の願いを形にしようとした過程 を書きました。
そして三つめは、母の死後に見つかった手記を通して、 愛情と拒絶が同居する矛盾した言葉 をどう受け止め直したかを書いた記事です。そこには「大好きだよ」と「あなたがいるから苦しい」が同時に並ぶような、子どもにとっては残酷な感情のねじれが残されていました。
母をただ「可哀想な人」としても、「自分を傷つけた人」としても片づけきれない。
その複雑さごと引き受けながら、自分の中で何が起きていたのかを言葉にした連作です。
関心のある方は、以下から順に読んでいただけたらと思います。
① 39年後に3日だけ親子になれた──母の看取りの中で見えた家出の背景

母との長い断絶の果てに、やっと母の人間性にふれて、親子になれたと思った矢先に、、、

​ ​

② 母の最期の意思を叶える2時間のリミット――医学の進歩のために迎えた誕生日と、通夜の奇跡

母の最期の意思を、限られた時間の中でどう形にしたかを書いた記事です。

​ ​
③ 母の手記に残されていた矛盾した愛情――祖母、母、私へ続く流れをどう受け止め直したか

死後に見つかった手記を通して、愛情と傷の両方を見直した記事です。
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母の背景を振り返ることで、自分の中に絶ちきれない、機能不全家族の連鎖を感じました。親のいたらなさをあげて、自分を正当化することは出来ません。なぜなら、過去の話ではなく、未だに生きづらさの渦中にいるからです。





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Last updated  2026.04.16 20:58:37
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