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今日自分の版画を屏風表装してもらおうと思い、とある屏風屋さんに行った。でうっかりこんなことを云ってしまった。屏風のサイズ値段表のようなものはありますか?それに対し屏風屋さんはキッパリそんなものありませんそりゃそうだ、屏風にB全もB2もあるなずがないのだ。われわれは生活の中で知らず知らずのうちに規格サイズを持ってしまっている。フレームを持って生活をしていると云っていいのかもしれない。パソコンのプリンターや諸々の印刷物は大抵Aサイズ比率で出力されてくるし、メモを取るときや企画書を書くときのノートも大概AサイズもしくはBサイズ比率だったりする。絵を描くときのスケッチブックやクロッキー帳だって似たような比率だ。すでにそこにイメージの編集がはたらいている。宗達の画面を見ていていつもおもうのは対象の切り取り方のうまさだ。縦横の比率。これ以上見せすぎても野暮だし、見えなかきゃワケがわからない。この塩梅。光琳のがもっと洗練されているという声もあるが、ぼくは光琳の洗練よりも宗達の無骨なフレーミングに魅かれる。宗達は題材のほとんどを平治物語、伊勢物語、源氏物語などの平安絵巻から借りてきていて、題材のオリジナリティーにはほとんど関心がない。それよりも色とそのフレーミングにこそ関心があった。フレームの編集に専念したかった。宗達の縁とそこに字を散らす光悦の布置。うーむ、フチが重要か。●宗達の“たらし込み”技法を木版でやってみた。ええい、輪郭線などうっとうしい。面だ。これはパズルのピースなのだ。
2005年11月25日
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最近は本阿弥光悦が好きだ。日本初のアートディレクター。宗達と組んで王朝文化のデザインを庶民文化に復活させたと云われるあの光悦。そこから琳派が、日本の“異風異体”がはじまった。魅かれるのは光悦が美の判定者でもあり、一流の刀剣家でもあったということ。光悦は人を斬った刀の刃こぼれを直しながら柄や鍔の装飾を考えていた。この真反対のような一対世界とは何か。当時、多くの戦国武将のなかに一対世界があったようにおもわれる。リアルな政治力学の世界と茶の湯におけるフィクショナルな見立て世界の一対。この現実と見立ての一対世界は同等だった。だから利休や織部は反対世界の判定者として武将と同等だった。現実と同じ重さを持つそのカタワレの世界が重要なのだ。第1071夜 『天皇誕生』遠山美都男これを読みながら、ぼくの中のこのカタワレの世界を考える。光悦の王朝ならぬぼくの“王夜”の世界。『夜におこった出来事の連続感の裡に朝がスタートを切るという意識』(『遊行の博物誌』春秋社:松岡正剛) ●鹿図膠(鹿などの獣の骨・皮を煮た液を乾かして固めたもの)を使って鹿に金箔を貼るなんてシャレか。
2005年11月18日
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仕事机の左隅にはいつも北斎漫画(三巻)が置いてある。最近はこの三巻目がとくにお気に入り。で、パラパラ眺めていた。目にとまったのは十一編にある「層輪塔」「高機図」。この絵はただ塔の屋根の建築物の部分や手織機械全体を精密に描写したものである。これがなんだか気になった。北斎にはこのような構造物やからくりの類に格別な視点があったのではないか。あらためて北斎の画集を見てみる。すると「隠田の水車」。これなんてむしろ水車が主役で人間が付け足しのよう。そこで北斎の作画法はどのようなものだったか。『北斎万華鏡』永田英樹。かなり幾何学的な方法で知的に描いているらしい。一見情念的で直感的に見える北斎の絵、じつはコンパス(“ぶんまわし”と呼んでいた)と定規で緻密に構成されている。このシステマティックな北斎の作画法と機織機のような入り組んだ機械はどこか相似的。第521夜『一般システム理論』ルートヴィッヒ・フォン・ベルタランフィ。『ベルタランフィは、生物システムの発展を階層的秩序の変動としてとらえるという方法を提示する。この階層的秩序は、4つのタイプをもって進むと考えられた。最初の複雑性をもつようになる前進的統合化、それによってシステムの内部に部分と部分の連関がおこる前進的分化、しかしながらそのための代償として機能や器官の固定化を余儀なくされる前進的機械化、これらを統合的に調整して行動を強化する前進的集中化の4段階である。』これを『北斎万華鏡』(永田英樹:美術出版社)を参考に北斎システムにする。1:まず対象をあらゆる方角から膨大にスケッチする。(前進的統合化)2:それを単純な規則的な形へ還元する。 ここでぶんまわしや定規を駆使する。 丸や三角で部分を仮説して等間隔の網を張る。(前進的分化)3:次にその幾何形があたかも滑車やロープでもって連動して動き出すよう な動きを導入する。(前進的機械化)4:その幾何形を何枚も重ねて量塊(マッス)をもたせる。 平面上における仮設的な立体感を構築する。(前進的集中化)この北斎の仮構的な立体表現システムは西洋のイリュージョンな立体表現とは違う。水ひとつ描かせてもダ・ヴィンチとは違うのだ。 これらの版画、同じシステムで刷っても仕上がりはすべてちがう。ヘタだから。(画像粗れちゃったなー)
2005年10月26日
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ずっと読んでいたら地図にない日本が見えてきた。まったく違う日本列島が見えてきた。正確に。第152夜『やくざと日本人』猪野健治終始、感情を抑えた、正確に伝えるためのこの文章。やくざに特別興味があったわけでもないのに興奮して読んでしまったのはいったいナゼだろー。猪野健治さんはもともと詩人からスタートしたジャーナリストだ。その詩人猪野さんの確信に“伝わらなければ詩ではない”というのがある。現在フリージャーナリストである猪野さんの確信は“ナゼがなければジャーナリストではない”である。詩が“伝える”で報道が“ナゼ”。なんだか今では真逆に聞こえる。ここに詩というものと微細かつ膨大な調査というものが裏腹であるという重要な指摘がある。戦国末期の下克上風潮に胚胎したカブキ者は、徳川時代の旗本奴、町奴になった。それが火消し人足に引き継がれて、やがて関八州を中心とする博徒になった。そこから民権博徒が生まれて、やがて近代やくざ現代やくざに繋がっていく。そんなやくざはじつは明治維新をはじめ、つねに日本の国づくりの要になっていた。そしてやくざはどんな時代にも危ういものに触れる存在だった。ここに魅かれる。やくざは土地を持たず縄張りという危ういものしか持たない。ときに火という危ういものを消し、ときに賭博という危うい運に身を任せ、ときに情報という危ういものをネットワークする。この危うさに親しみを感じる生き方を忘れることこそ危ういか。 これは雉が蛇に巻きつかれている図ではない。雉が蛇に巻きつかせている図。雉は蛇が自分に巻きつき終えた瞬間翼を広げて、それを刃物にして蛇を切り裂くのだ。北斎が好んだ図。刺青にいかがで。
2005年10月18日
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先週、松岡さんの主宰するある倶楽部で城之崎温泉に行った。そこでぼくは湯上りでいくらのぼせていたとはいえ、またしても馬鹿な質問を松岡さんにしてしまった。日中、玄武洞や鉱物ミュージアムを巡り、めくるめく鉱物世界に魅了されたあとの外湯帰りの道すがら。油銭:「玄武洞にはほんと感激しました。あの自然の造形を前に、アーティスト は何を創る必要があるのでしょうか」松岡さん:「それは、それ!」第320夜『美の本体』岸田劉生『美の本体』の中に「自然の美と美術の美」という美術論がある。勝手に解釈すると人工が自然に到底及ばないなどと悲観してはいけない。自然の物質に美を発見するのは人間の心の目なのだから、これもいってみればすでに人工。だいたい人に認知された瞬間すべては人工。つまり何かに編集されている。人工の美をつくろうとする画家はつねに自然の弟子。その自然の美を抽出しようとする表現は、し覆せないのが当然。そのし覆せないことを惜しんではいけない。それは別の精神の形になって無形の具体となってその底に籠っている。その不足や未完成がいい。そこには正解はないが、想起がある。われわれに重要なのは自然という師匠の美に向かって裸になっていくことだけではない。あらゆる道具を駆使して、その不足に遊ぶことも重要なのだ。これも師匠へ近づく道なのだ。『人工は自然と共に常に純眞だ、ともに光るべきである。』(『美の本体』“自然の美と美術の美”岸田劉生)『ここからまた旋回がある。ぼくはそこがすさまじいとおもっているのだが、劉生は初期浮世絵肉筆画や宋元の水墨山水画に没入していったのである。日本の昔話にも手を染め、童画も試みた。』(第320夜)●これはまた気になる。さっそく本棚から『初期肉筆浮世絵』岸田劉生をとりだして “シロ”と“クロ”は仲良し。犬じゃないです。狼です。毛がゴワゴワなのです。
2005年10月06日
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“フリをする”“外見を真似る”ということはフシギなことだ。第118夜『風姿花伝』(花伝書)世阿弥元清『本座に一忠がいた。これが名人で、観阿弥は一忠を追って達人になる。そして52歳で駿府に死んだ。だから世阿弥には達人のモデルがあったということになる。一忠が観阿弥の名人モデルで、観阿弥が世阿弥の達人モデルである。生きた「型」だった。』●うわっ、“生きた「型」”!『第2のコンセプトは「物学」であろう。「ものまね」と読む。能は一から十まで物学なのだ。ただし、女になる、老人になる、物狂いになる、修羅になる、神になる、鬼になる。そのたびに、物学の風情が変わる。それは仕立・振舞・気色・嗜み・出立(いでたち)、いろいろのファクターやフィルターによる。』●ぼくも「ものまね」をしよう。これは北宋の画家、伝・李公麟「猛虎図」を木版で「ものまね」したもの。たしか伊藤若冲もこれを「ものまね」していた。 もっとフワフワの虎の毛のフリをしたい。もっと質の「ものまね」が重要だ。
2005年09月24日
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今日1994年にINAXギャラリー名古屋で企画された『型イノベーション 凸と凹』のカタログを見ていた。そのカタログの冒頭には松岡正剛の型論があるいきなりこう。『たとえば我々の言葉は原型がないとか、型の世界とは無関係だと思われているけれども、実際には空気の振動があって、それを「ア」とか「イ」とか「ウ」とかにしている。情報という意図があって、それに合わせて口を動かすことによって形が出ているのです。言葉は口や舌の形と連動しているわけです。ですから、情報はいったん臨界値に達すると、この臨界値をを継承、転写することが可能になる。』(『メタパターンの鋳型が圧印されて、型の物語がはじまる……』 松岡正剛)◎つまり、原型を磁気テープやCDに録音できるということ。これを“第一次原型作用”という。これはぼくが版画に感じる第一段階のおもしろさのようにもおもえる。“ぼんやり”や“かすれ”や“にじみ”が結像する瞬間だ。そうだぼくは版画というよりも“型画”に興味があるのだ。 これは蕪村の「鳶鴉図」か?寒山拾得のようにも見える。
2005年09月15日
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“ぼんやり”が像を結ぶおもしろさは姿が似ることのおもしろさでもあるか。単純だけれどもこの表面的な姿が似ているということがやたらとおもしろいと感じるのはナンダ。 これはなんの見立てなのか目を細めて見よ。
2005年09月10日
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なんだかぼんやりとしたものが描きたい気分であります。何かをぼんやりと見ているとそれが何かに似てくる短い時間がフトおもしろいと感じたのであります。ぼんやり研究の本家はこの人『キリンのまだら』『割れ目の科学』の第660夜『俳句と地球物理』寺田寅彦『甲が空間に一線を画する。乙が其れに続けて少し短い一線を画く。二つの線は互に或角度を保って居るので、此れで一つの面が定まる。次に、丙がまた乙の線の末端から、一本の長い線を引く。此れは、乙の線と或角度をして居るので、乙丙の二線が又一つの面を定める。併し、此の乙丙の面は、甲乙の面とは同平面ではなくて、或角度をしている、即ち面が旋転したのである。次に、丁が又丙の線の続きを引く。アンド・ソー・オン。 』●これはクレーの『造形思考』ではなく『俳句と地球物理』のなかの連句を説明したエッセイの一説。これらはぼんやりと似てるようにおもわれます。 『あらゆる連句の規約や、去嫌は、結局此の曲線の形を美しくする為に必要なる幾何学的条件であると思われる。』(『俳句と地球物理』寺田寅彦)●さて、いまから和紙屋さんに走るのだ。とにかく滲む和紙を購入するために。
2005年09月05日
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ぼくは一応車の整備ができる。車は嫌いだけれどエンジンルームを覗くのは案外好きだ。ボンネットをはねるとオイル漏れで真っ黒になったエンジンが肉々しく見えて、ホースやコードが血管のようにぎっしり詰まっている。エンジンをかけるとファンがバタバタ鳴り出して、ぷーんとオイルの焦げた臭いがしてくる。こういうエンジンが好きだ。第469夜『禅とオートバイ修理技術』ロバート・パーシグ車の整備をしていていつもおもうのはネジ一個にもメーカーの社風や生産国のお国柄というものが滲み出てるということ。トヨタのネジは一般的に細く軽く、ワッシャーがボール紙だったりしてコスト意識が感じられるし、三菱のネジは径がまちまちでムダに長く効率の追求を感じられない。マツダはネジの頭が浅くてすぐ舐めてしまうのにそれが全然改良されず現場と開発の隔絶を感じるし、日産のネジは鉄は丈夫だがゴムやボンドがダメで全体極め細やかな配慮が感じない。ホンダは通常右にあるドレンが左にあったりして一瞬戸惑うが、我が道を感じる。『とくに、その転移の叙述のあいだに、BMWのR60の修理の場面とか、ボルトとナットの使い方には最初に接触だけで締めるフィンガー・タイトがあって、次に表面の弾力性が吸収されるスナッグがあり、最後にすべての弾力性を吸収しきるタイトという締めがあるといったテクノ談義が随所に入り、さらにそのあいだに最新物理学の理論、たとえばブーツストラップ理論の解説が入ってきたりするので、それらがあたかも禅僧が落葉を掃いたり、座禅をしているときの雑念のように見えて、なかなか気分的な説得に富んでくるのである。』ぼくのランド・ローバー・ディスカバリーのネジは長くて重厚。建てつけがわるくてときどきするオイル漏れもなんとも風情がある。今日もぼくはにじり口を潜るように乗り込みキーをまわすのだ。
2005年08月31日
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ブラリもはや恒例となった岐阜の「織部賞」のWEBサイトに立ち寄った。http://www.e-oribe.info/OribeHP/02awards/awa00_top.htmlそこには先回のグランプリ受賞者である鈴木清順さんが大写しになっていた。大笑顔だった。それを覗きながらフトおもった。人を賞賛するとはいったい何なんだろう、ホメルとはいったい何だろう。ぼくはちゃんと人をホメたことがあっただろうか。こんな疑問を感じたときはきまって「千夜千冊」に出かける。「千夜千冊」へ行けば大抵そのヒントになるような“夜”が見つかるのだ。1000夜全部ざっと尋ねてまわった。が“らしい夜”は見つからなかった。出会えなかっただけか。途中、第501夜『百代の過客』ドナルド・キーンでみちくさした。『どの書店で買っても本は同じだと思ってはいけない。その一冊をどの服装で、どんな寒い夜に、どの棚から抜き出したかという記憶がちがってくる。それは見知らぬ温泉のどこかの旅館にいつごろ入って、最初に窓外に何を見たのかということにあたる消息なのだ。』●この「消息」を取り出すことこそ編集的「造形思考」なのだ。『読むとは、それにしても果てしないものだ。その読むこと、読んだことをこんなふうに綴ってみることも、またどうやら果てしない 』●見たこと、見たことを描いてみること、その消息を追うことも、果てしないか。これを版画なんていう並列処理な媒体で。
2005年08月24日
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で最近、こんな文様スケッチをしております。描いてておもったのは、文の地と図がくるくる変わるということ。第757夜『草木虫魚の人類学』岩田慶治『準備は準備、表明は表明』◎このインプットと次のアウトプットは強く自覚したほうがいいようにおもえる。『ふつうは「観相学」と訳す。わかりやすくいえば手相のようなもので、あるものから過去の集積と現在の実情をつないで見ることをいう。』◎陶片に残された2,3本の線を写すところから『無限の造形』がはじまる。白川静さんは漢字を書いていると文字霊が乗り移ってくるとどこかで云っていた。ぼくも縄文霊が乗り移ってくるまで描かねばなるまい。 ◎しかし真ん中にある深鉢の、地というか背景に描かれた縦線の縄目。ぼくには雨、もしくは水におもえてショウガナイ。
2005年08月16日
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クレーの『無限の造形』はいきなりこうはじまる。『地上の世界における運動は、エネルギーを必要とする線と面、そしてその文節エネルギー』(『無限の造形・上』)おー、眠れない。熱帯夜だ。第735夜『生物から見た世界』ヤーコプ・フォン・ユクスキュル生物は人間も含めて個々の環境世界で生きているということ。共通の自然なんてものはないということ。自然こそ無限にあるのだ。第5章の『知覚標識としての形と運動』にあるコクマルガラスの事例が印象に残っている。コクマルガラスは獲物であるバッタを動いている状態でしか認識できない。なぜならコクマルガラスはバッタの静止している形をまったく 知らないからだ。コクマルガラスにとっては動いた痕跡、飛びたった放物線がバッタ なのだ。(だから昆虫世界において「死んだふり」がとても効果的)イタヤガイという貝もおもしろい。敵であるヒトデを認識するのにその形や色なんかを見ない。ヒトデの動きのテンポを見ている。だから当然同じテンポのものすべてに反応する。 またミツバチはその花の形を見ている。開いた形、例えば星形や十字形のものには反応する。また閉じた形、例えば丸や正方形などの閉じた形のものには反応しない。おもしろいのはこの「開いてるか」「閉じてるか」の二種類しかないということ。これも“外へ動きのある形”と“内へ動きのある形”という意味では運動に反応しているようにぼくにはおもえる。『無限の造形・上』のなかの“フォルム”についての一文。『フォルムとは、終了、結果、結末であるなどと、いかなる場合いかなる時にも考えてはならない。それは生成であり、成ることである。運動としての。行為としてのフォルムは善く、また活動的なフォルムも善い。悪しきは、静止、終点としてのフォルムである。』クレーはこのフォルムとは運動そのものだと云っている。これを“フォルムング”とも云っている。そしてその運動のはじまりを“フォルム形成の第一エネルギー”としている。バッタが飛び立つ。矢印。動きを現すたくさんの線。これもコクマルガラスやイタヤガイやミツバチにとっては“フォルム形成の第一エネルギー”なのではあるまいか。
2005年08月14日
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先日『無限の造形』パウル・クレーを入手した。これはずっと探していた希少本。噂のとおりの高値で上・下でウ、ウン万円。そんなことはどーでもいー。“線”の秘密を知ることが急務なのだ。第401夜『文様の博物誌』吉田光邦この中に「古代の紐」という短い“覚え書き”がある。ここには、縄文から弥生に変わる時期に現代の文様に通ずる意識が生まれたのではないかと書かれている。まず“紐”とは何か、その紐を“結ぶ”とは何か、からはじまる。古代において紐というものはとても神聖かつ重要なものだった。その神聖な紐を押捺して文をつくったものが初期の縄文土器。その重要な紐を直接粘土でつくって表面に貼り付けたものが中期の縄文土器。弥生時代に入るとその土器の様式がガラリと変わる。立体的な紐の文様が突然絵画的になる。この時期に人間の精神構造の変化があったに違いない。二次元に写実や抽象を描出するという創造心理の変化。これはいったい何なのか。もっと驚いたのは、このときにトリミングが発生したということ。銅鐸という支持体に幾何学な視点で世界を切り取るということが発生した。そこに引かれたのは鋸歯文や波線や直線。かつての聖なる紐が人間によって引かれた線となった。線は空間を切り取るための道具なのだ。『文様とデザインの力にはいまなおマジカルな工夫があるはずで、それを今日のデザイナーたちがいささか見失っているのではないかという心配をしている。つまりデザインが「しきたり」をつくれなくなっていることに、やや失望をしているわけなのだ。』線もマジカルを見失っている。ここから『無限の造形』を読まなくてはならない。
2005年08月12日
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芹沢圭介の画集を眺めておりました。1955年頃、芹沢はたくさんのマッチラベルをデザインしている。小さいけれどもこれらの作品、イメージとサイズが妙に合致しているように感じた。イメージというものにはサイズがあるような気がする。芹沢のイメージというのは案外このマッチラベルくらいが等倍なのではないだろうか。もちろん芹沢の作品には中型も大型もあるが、これらの作品はマッチラベルサイズのイメージをプロジェクターで拡大をしているようなものなのでは、と勝手におもったりする。作家というものは、このイメージとサイズの間で揺れ動くものなのか。ジャコッメッティ(第500夜)の彫刻は一時期、どんどん小さくなっていったし、クレー(第1035夜)の作品はどれも小さい。松岡さんは「遊」時代、活字を限りなく小さくしていった。第144夜『日本のマッチラベル』三好一『べつだん調べたわけではないが、ぼくの勘では北原白秋や三木露風や木下杢太郎のモダニズムや、竹久夢二や恩地孝四郎の感覚というものは、意外に燐票デザインと連動しているのではないかと見ている。』無名の画工が生み出した謙虚な美。この小さなラベルの向こう側には、まだ開かれていない日本の秘密がありそう。ぼくも学生の頃、趣味でたくさんのマッチラベルを集めていた。植草甚一(第81夜)や石子順三のマネをしてのことだったが、柳宗悦を知って、これがはじめて腑に落ちた。
2005年08月07日
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とても近所で開催されているにもかかわらず万博というものにどうも行く気がしない。入場のための手続きはインターネットなどで簡単にできそこそこに楽しめるイベントなはずなのにどうも行く気がしない。そのくせ、かなりややこしいハナシを聞かされる講演やシンポジウム、いちいちその感想文を書かされるような面倒なイベントには暇も金も惜しまず喜んで出かけていく。これはどういうことか。第427夜『民藝四十年』柳宗悦『相愛の社会が崩れる時、美もまたくずれてくる。醜い工藝は醜い社会の反映である。』(『工藝の美』)★工藝というもの、癒しやノスタルジーの対象なのではなく、社会が産んだ切実な作物なのだ。『もし美の問題を過去の歴史に止めるなら、それはただの愛玩的な鑑賞に止まってしまう。私たちにとって重要なのは、むしろ新作品への準備である。』(『日本民藝館案内』)★蒐集や鑑賞は“日本の方法”を摘出するための二次的な仕事なのだ。『「寂び」とはただ淋しみという事ではなく、仏法の言葉であって、本来はあらゆる執着を去るように云うのである。私を棄て欲を去り二元を越えた究境の境地を「涅槃寂静」と呼び、これに帰ることが悲願となった。』(『日本の眼』)★造り手はこれを肝に銘じなくてはならぬ。造作に落ちてはならないのだ。無事であらねばならないのだ。今回読んで気になった言葉は「忠順」、「帰依」、「奉仕」、「主従」、「働く」など。なにやらマジメ腐った言葉ばかりだ。この言葉の奥に“主客の一線”のようなものを感じて気になった。日本の家に例えて云うと敷居やしきみみたいなものだ。『「茶」の方では美の理念として「粗相」を説き、「閑味」を云々する。「粗」は粗で、荒々しい相である。ある意味で味も艶もないその箇所に、あふれる味わいをみつめた。ここに日本の眼の鋭さがあり、深さがあろう。』(『日本の眼』)★この「美の理念」はきっと茶室空間から日本というスケールへそのまま広がる。朝鮮半島は日本という茶室に突き刺さった巨大な床の間。琉球諸島はその日本という茶室へ続く露地を伝う飛石なのだ。柳の仕事はある意味“もてなし”の極意だったのか。柳は民藝運動という仕事を通して、西欧という客に対し亭主をしていたのか。「自然の叡智」や「ココロツタエ」を提唱するこの愛知万博。柳の眼にはどう映るだろか。
2005年07月28日
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第292夜『夢二のアメリカ』袖井林二郎。夢二はリトルトーキョーで「さみしい、さみしい」と云っていた。夢二は太平洋戦争前夜「利休や遠州のような者がこの時期のアメリカに来ればよかったのだ」と云っていた。夢二はナチス台頭のなかベルリンで「日本画についての概念」という講演をしていた。この夢二とはいったいなんだったのか。『青山河』この一枚の枕屏風にすべてが凝縮されている。ここに昭和初期という時代の空気が密封されている。ところで夢二はグラフィックデザイナーとしてもハイセンスだった。ぼくが大好きなのは大正後期から昭和初期にかけてのブックワークで、とくに表紙絵や見返し絵の仕事。大正5年から昭和2年まで、およそ11年間続いた「セノオ楽譜」の表紙デザインにはとてもインスパイアされる。これは音楽の映像化編集稽古か。もともと夢二は詩人になりたかった。だからそのぶん本に対する思い入れは他の画家よりひときわ強かった。ハズ。こんな<装丁観>がある。『装丁が気になる第一は、材料の色と文様が生で、私の着物や持ち物と調和がとれない。(中略)第二に、その効果として、あんまり装丁がは晴れがましきこと。(中略)愛読の書は、自分の好みに従って自分で装丁するなり、製本屋に注文して自分の好みで作らせるはずのものだ。』(『装丁についての私の意見』竹久夢二)画家に装丁を作らせるとやたらと絵を描きたがってよくないと云っていたのは谷崎潤一郎だ。夢二はそこのところをよくわかっていた。『装丁と云ふものは、なるべく余計な線や色彩を施さず、クロースなり布なり紙なりの持つそれ自身の地質と色合とを取り合わせて、内容にぴったりするような一つの調和を作り出すのが理想ではあるまいか。』(『装丁漫談』谷崎潤一郎)いっそ夢二は晩年、芸術家なんかやめて職人になればよかったのにとおもったりする。したら案外、超モダンな表具師か、はたまた未来派な塗り物師か、アールデコな蒔絵師あたりになっていたかもしれない。
2005年07月07日
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ジャン・デュビュッフェは「入り口」で闘う男だった。そうだ、勝負は「入り口」で決まるのだ。第443夜『五輪書』宮本武蔵。 兵法の戦いにおいて、その場の“拍子”を制するということは、とても重要である。また兵法だけでなく、この世のすべての事象に“拍子”というものがあり、これを分別しなくてはいけない。諸芸・諸能はもちろん、立身出世や財産家になる“拍子”もあるのだ。ここがすごくおもしろいと感じた。「火之巻」には戦うための実践編が記されている。ここで共通しているのは、すべてにおいて先んじなくてはならないということ。「三つの先といふ事」や「枕をおさゆるといふ事」には、敵の心の一歩先を見て、機先を制することが重要であると記されている。後手に回ってはすべて悪しである。事前に看破しなくてはいけないのだ。“先”や“察知”や“兆し”にこそ勝負の理がある。これもまたこの世のすべての事象に共通する所。だれしも一度は人生のなかでの瀬戸を渡るような時期が訪れる。これを察知することが大事なのだ。さらにこの渡を一機に越すという心持ちが大事なのだ。 この「入り口」での決闘に興味がある。ここには、すべての事象との決闘がある。それはどちらかというと大工のように尺でもって対象を計る戦い。これを『兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、』きっとグレングールド(第980夜)やジャコメッティ(第500夜)になる。我、この書を「筆法記」として能々吟味すべし。
2005年06月23日
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いま、机の左隅に一冊の本が在る。異常な存在感を放って一冊の本が在る。硬く、重く、黒い一冊。それは昨日、御存知ニューエイジ・ブックDOORにて購入した『全宇宙誌』(工作舎)のことだ。松岡正剛が5年もの間、ほとんどこれ以外の仕事をせずに“結晶”させたこの一冊は、一定期間あるものにすべてを投入するとはこういうことなのだと教えてくれる。これを自分が何かに投入するときにそっと眺める。読むのではなくて、鉱物標本のようにそっと眺める。ここには「巨大エネルギーの瞬間芸のドキュメント」(第1044夜『鉱物学』)がある。こんな読書もアリか。
2005年06月17日
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第1044夜『鉱物学』森本信男・砂川一郎・都築秋穂を読んでおりました。ぼくは鉱物ファンではないけれど、稲垣足穂の『鉱物はじっとしているところがエロティックなんやけど、地味やさかいなあ』はわかる気がする。鉱物を「メタ絵画」として見た共感か。 ヨーロッパには「鉱山幻想」や「グロッタ(洞窟感覚)」というものがあり、それがブルトンの『石の言語』やカイヨワの『石が書く』に繋がっているというのを読んでフト、高校の頃大好きだったフランスのアンフォルメルの画家ジャン・デュビュッフェ(1901~1985)のことをおもいだした。あの“厚塗り”と“引っ掻き”のデュビュッフェ。“少年少女期の鉱物ファン的感覚”ではないけれども、あれはぼくの“地質”への好奇心だったのかもしれない。ただ、デュビュッフェの場合はピュアな鉱物ではなくアッサンブラージュ(寄せ集め)な岩石だ。山口昌男が「エントロピー芸術」とどこかに書いていた。 それでデュビュッフェの画集をひさびさに取り出してきてパラパラ。デュビュッフェといえば41歳になってデビューした遅咲きの作家。もともと絵画に熱中した少年だったけれど、つねにその“入り口”に悩み続けた作家だ。『中学校を終えた後、私は6年か7年のあいだ絵画の勉強をした。それと同時に、ほかの多くのこと、つまり、詩、文学、アヴァン・ギャルト、アリエール・ギャルト、形而上学、土俗学、外国語、古代語などを学んだ。お察しのとおり、私は“入り口”を求めていたのだ。でもそれはうまくいかなかった。私は自分が人間の条件に適応していないような印象をもっていた。空回りして、ギアが入らなかった。何年もの間のこのような中途半端な勉強のあとで、知識の集積とシステムの獲得に努めた後で、これらすべてが実は大して役に立たないのではないかという不安を感じるようになった』デュビュッフェはやくして落胆した。それで庶民の生活のなかにこそ芸術と詩があるのではないかと、市井に暮らすことを決心をするのだが、これもやっぱりうまくいかなかった。(その間兵役などもあり)ブエノスアイレスに行き商売をやってみたり、父の事業を継いでみたり、酒屋を起こしてみたりしたが、これらすべてが失敗だった。また“入り口”で悩んだ。これではイカンと、ふるい立って友人の顔を仮面で創ったりして、人形芝居を上演したりするのだけれど、これもやっぱりパッとしない。ひとり民藝運動は庶民に理解されなかったのだ。パリに柳宗悦はいなかった。その後いろいろあってパリ画壇に鮮烈なデビューをするのだが、ぼくはこの“入り口”に悩んだというデュビュッフェがとても気になっている。この“入り口さがし”、つまりは“方法さがし”だったのではなかろか。“いろいろ学んだけれどもオレは現代思想なんかでは救われないのだ。フーコーや三島なんかではとても追いつかないのだ(まだいないのに)。むしろこれらすべての“入り口”である「方法」がオレには重要だ。そうだ、いっそメディアになってしまいたい。そもそもオレの商売人へのロマンチックな期待もこんなところにあったのだ。ああ、ランボーならきっとわかってくれるだろ”とデュビュッフェが言ったかどうかはわからない。 61歳になってデュビュッフェは「ウルループ」という造形言語を発明する。まるで“人工の鉱物”を組み合わせたようなこの作品群。最後にデュビュッフェはポリスチレンやポリエステルで地質学をやりたかったのだ。
2005年06月17日
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『したがって明治政府が「日本という国家」を“急造”しようとしたことは疑いえない。』(第581夜『開国』伊部英男)ならばその「国」とは日本にとっていったい何だったのか。第589夜『若山牧水歌集』。★『なぜ牧水は「国」なのか。これらの「国」は「日本」ということもあるけれど、ほとんどは信濃の国とか豊後の国というときの、その国である。その国の山河であり、山川草木である。また人国記というときの人の国である。』先週の日曜日、友人らと一緒に京都を巡ってきた。いわばたった一日の“日本美術応援団”だ。南禅寺で狩野永徳や長谷川等伯の襖絵を見て、遠州の庭をぐるりと巡り、500円出してお抹茶とお菓子をいただいてハイポーズ。門のすぐ脇で湯豆腐食べて、次は比叡山に登って延暦寺。堂内に掛けてある釈迦の弟子の肖像画(油絵!)にウワッ!蝋人形館ダ。本物を見たからといって、何か特別スピリチャルなものが得られるものでもないのはわかっていたけど、それでもやっぱり何か物足りない。アレックス・カー(第221夜)の百分の一の落胆か。こんなとき、やはり牧水の“「国」感覚”が“場所”の何かをこじあけるのではないだろうか。★『おそらく牧水には行く先々が「国」だったのであろうと思う。いわば「そのつどの国」が牧水の国なのだ』
2005年06月05日
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ポランニーに民族も政治も心理も超えた「真の創造性とは何か」というテーマを与えたものは、科学研究の現場(とりわけソ連の)とハンガリーという二重帝国の複雑な事情。われわれに「真の創造性とは何か」というテーマを与え、編集知の作用を気づかせたものは海国“日本”の曖昧な事情。かもしれない。第581夜『開国』伊部英男。ここでの「開国」とは『日本史を通じて一貫しておこってきた』開国のこと。海に囲まれていながら航海術も造船術も発達させず、ろくな海防論をもたず専守防衛の発想しかもっていない。法制度も専守防衛的で「判例法」や「慣習法」を重視する行き当たりばったりなもの。そもそも「国家」という観念は明治政府になって急造された。そんなことだから軍部による「国家のなかの国家」ともいうべき状況までうまれる。『歴史をふりかえってみればわかるように、このような天皇を戴く立憲君主制は安政の開国を決定したときの方針にはまったく入っていなかったヴィジョンなのである。まず開国を余儀なくされ、尊王攘夷か公武合体かを争い、そのうち大政奉還と王政復古になだれこんだだけなのだ。いったい日本にとって「国」とは何だったのだろうか。国家とはどうあるべきだったのか。』(第581夜)●『日本は「開国」に苦労しつづけている国である』この「開く」とはいったい何なのか。『これらはもともと検証も論証も不可能なことである。コロンブスにはアメリカ大陸の知識はなかったのだから(誰にもなかったが)、コロンブスの航海術にはアメリカはない。アインシュタインは他の科学者と同様に地球のまわりにエーテルの風が吹いていると思っていたのだから、それを確認するための科学を作り出そうとしていたとしても、エーテルの風を不要とする科学を作ろうなどとは思っていなかった。しかし、適用は失敗したのである。その失敗が新たな科学的世界像を生んだのだ。これらの一連の流れから何を学ぶべきなのか。あらかじめ未知の対象がそこに設定されていなかったからといって、その設定のために使われた方法によって、設定されていなかった新たな知を生み出すということがありうるということなのである。』(第1042夜)●「開国」は「イメージとは何か」の問題だ。
2005年06月03日
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千夜千冊を読んでると長らくひっかかっていたことがストンと腑に落ちることがよくある。今夜はそんな夜。ぼくは学生の頃から、まるで映画のフィルムを絶妙なタイミングでポーズしたような写真を撮る、ヘンリ・カルチエ・ブレッソンが大好きでした。いつもブレッソンの写真を見ながら、写真家にとって、モチーフに出会うための「運」とか「偶然」とはいったい何だろうと感じておりました。これはブレッソンのような巨匠だけにでなく、巷の本屋で見かける動物などの写真集を見ていても感じられることでした。ちょうど当時大評判だった藤原新也の『東京漂流』を読みました。その中にある「アメリカ淵紅葉散歩・バスガール情痴殺人死体遺棄現場」の写真はかなりショックでした。1981年11月11日秋川渓谷で情痴殺人の果て遺棄されたバスガールの現場写真。たった一人の一地方記者だけが、たった数枚のネガに収めることができた、「ヤツは運がよかった」と云われたあの写真。ここで藤原新也が感じたものは第1042夜『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー。◆『写真を撮る、という行いにはしばしばじつに不思議なことが起こる。運とか偶然とかいう、まことに頼りなげな現象が、実は、ある種の必然のよって導かれたものであったというケースがよくあるのだ。』『しかし私には、その運とか偶然を導くものがいったいが何であるかはっきりわかっているわけではない。ただ、漠然とした単純な感想になるが、それを導くいくつかの必然的な要素の中に必ず、“集中力”そして“エネルギー”が見出されるとだけは言える。』(東京漂流・「アメリカ淵紅葉散歩・バスガール情痴殺人死体遺棄現場」)なぜ一地方記者にあの死体が発見できたのか。その“発見”のプロセスが知りたい。その「知ること」と「在ること」のつながりが知りたい。★『「知ること」(知識)と「在ること」(存在)のあいだには共通して「見えない連携」のようなものがはたらいていることに気がついた。最初にヒントを与えたのはレヴィ・ブリュールの研究である。レヴィ・ブリュールは未開部族の原始的精神機能を先行的に研究していて、そこに個人の感情ないしは動機が外界の出来事としばしば同一視されていることを指摘していた。レヴィ・ブリュールはこれをとりあえず「参加」(participation)と呼んだ。』(第1042夜)◆『彼はこのまれに見る秋川事件の一瞬に、十全に立ち会いたい、と思っていたのであった。「何が何でも事件の一部始終を全部、現場の草であるとか岩の盛り上がり方であるとか、そんなものを一切合切見届けてやろう、と思いましてね…』(東京漂流・「アメリカ淵紅葉散歩・バスガール情痴殺人死体遺棄現場」)ぼくが一地方作家としておもうのはこれを“方法”として取り出したいということ。★『あらかじめ未知の対象がそこに設定されていなかったからといって、その設定のために使われた方法によって、設定されていなかった新たな知を生み出すということがありうるということなのである。』(第1042夜)この『イメージの発生現場のための研究』は“絵を描く現場のための研究”でもあり“イベントづくり の現場のための研究”でもある。あの有名なブレッソンの写真。水溜りの上を走り抜ける紳士の踵が水面にギリギリ触れないタイミングでおさめられたあの写真。その光景が“発見”できるプログラムをブレッソンも用意していたのではなかろか。なんだか勝手にストンと腑に落ちた。※まずは眞千代組長の『千年の悦楽 一夜の彷徨』を見るべし!ここに“編集知の次元”がある。http://saturniens.air-nifty.com/
2005年06月01日
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なんだか岡倉天心の盛り付けした日本美術や中国美術の傑作をフルコースで食べたい気分なので今夜は本棚から『岡倉天心とボストン美術館』(名古屋ボストン美術館で開かれた展覧会のカタログ)を取り出してきてファミレスっぽくフルコース。狩野芳崖、橋本雅邦、木村立嶽、横山大観、下村観山、菱田春草…二品目からはズラッと仏像群。観音菩薩立像、快慶の弥勒菩薩立像…これがなんとも五臓六腑にしみる。で、第75夜『茶の本』岡倉天心。『美術鑑賞に必要な同情ある心の交通は、互譲の精神によらなければならない。美術家は通信を伝える道を心得ていなければならないように、鑑賞者は通信を受ける適当な態度を養わなければならない。』(『茶の本』第5章「芸術鑑賞」)●“鑑賞術”なるものがあるのではないか。“創る”以前に。『名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に嘆かわしいことである。』『同情ある人に対しては、傑作が生きた実在となり、僚友関係のよしみでこれに引きつけられるここちがする。名人は不朽である。というのは、その愛もその憂いも、幾度も繰り返してわれわれの心に生き残って行くから。われわれの心に訴えるものは、技量というより、精神であり、技術というよりも人物である。』(『茶の本』第5章「芸術鑑賞」)●その“人物”とその“気分”研究を教えてくれたのは千夜千冊だ。『名人はいつでもごちそうの用意があるが、われわれはただみずから味わう力がないために飢えている。』。(『茶の本』第5章「芸術鑑賞」)●じつにハラペコ。紙幅ノ夜ニ号モラヒ胸中ニ星満点●この同志の合宿のような一夜は、満腹でありました。
2005年05月22日
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渡辺崋山の『四州真景図巻 巻二・三』が見れたのは先日の「自然をめぐる千年の旅」(愛知県美術館)での収穫のひとつ。崋山は余白タップリ、絵の具カスカス、筆が擦れていく音が聞こえてきそうな絵だ。節約型か。比べて、そのあとに展示してあった椿椿山の『山海奇賞図巻 中巻』。こちらは絵の具たっぷり、画面ぎっしりのフルサービスか。ぼくは断然カスカス崋山の方が好き。そこでおもいだしたのは崋山が椿山に宛てた書簡。「山水思想」(五月書房)で読んだ一行。『画の韻といふも所謂ひびきなり。文の徳というもひびきなり。ひびくところより人の感ずることあるべきか』画文の相互共振。テーマだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第1032夜は『古楽とは何か』ニコラウス・アーノンクールでした。読み出してすぐ、かつての音楽は言葉と一体だったという内容にハッとした。ちょうど読んでいる最中の『八犬伝の世界~伝記ロマンの復権~』高田衛(中公新書)に感じた絵と言葉の関係にそっくりそのままあてはまるように思えたからだ。★『かくしてルネサンス音楽はその頂点に立つ。宇宙観と身体観と器楽観もそれぞれの根拠律において連動し、調和し、総合されていた。ただし、それを結びつけるのは修辞学としての言語であったのだ。』「修辞学としての言語」。八犬伝の挿絵もこれによってコンポジションされているとおもえてしょうがない。“言語挿画”。そんなことを考えながら、取り急ぎ泉鏡花のほとんどを挿画化した小村雪岱をまねて彫ってみた。社があるのは川向こう万緑叢中女一点映しているのか、裏腹なのか女のおもいが萌ゆる色部屋は不在で有俤で瓦の並びに時刻む 小村雪岱こそ「画の韻」と「文の徳」がひびきあっている。瓦一枚落ちてもそれが乱れる。静止風景なのにシャッターチャンス。!なものがなにひとつないのに!な事態。この人の弟子になろう。●しかしこれも画文相互共振なり。 「もっとこっちへよりや」 「ぬしはネギをくひなんしたか。いつそ口がくさい」
2005年05月11日
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先週の日曜日、愛知県美術館で『自然をめぐる千年の旅《山水から風景へ》』という展覧会を見てまいりました。 これは愛知万博の公式行事のひとつでメインテーマは「自然の叡智」です。展示作品は奈良時代の《過去現在因果経》から近代の横山大観《生々流転》までと広範囲なものでなかなかの圧巻展覧会でした。千年を超える長い歴史の中で、日本人が何を創造し何を大切に遺してきたのか、約160件の作品で高速で見れる。これはイイぞ。この展覧会の構成部立てはこんな感じ第一章 『聖なる自然』第二章 『理想の風景』第三章 『季節の中で』第四章 『動植物へのまなざし』第五章 『実在の場所ー名所絵から風景画へ』テーマ分けされた部屋は時代に関係なくランダムに展示されてました。第二章の部屋では周文→狩野正信→雪村→池大雅→玉堂→鉄斎→大観が一同に展示されていて個人的に嬉しかった。とりわけ大雅の「蘭亭曲水図屏風」に酔った。えがった。ただ、この部屋の展示を“理想の風景”の一言で片付けるのは乱暴に感じるが、これは『山水思想』(五月書房)を読んでしまったむしろぼくがわるいのだ。そこでリンクしたのは千夜千冊・第488夜『イラストレーション』ヒリス・ミラー。★『芸術や文化は、それがもっている時間と、変遷と、変容とともに語られるべきなのである』この展示を見ながら感じていたのは、この五つのテーマと作品は現代の感覚から選ばれたもので、作品の生まれた場がまったく勘定に入っていないということ。作品主義でテキスト主義。でもこれは愛知万博の公式行事のひとつであるからいかにも万博的ということでOKか。★『画家のアトリエの絵と額縁に入った絵と美術館の壁面に貼りついた絵と、それがどのメディアで印刷されていたかということとは、実は連続して語られるべきなものである』だから春信や池大雅の作品は現代の文脈だけで見ていてはわからないのだ。その周囲にあった「連」なものを切り離しては大事なものが見えてこないのだ。ましてやそれが創りたいというのなら、まずは「連」なものに関わっていくことが絶対不可欠か。大雅の「蘭亭曲水図屏風」を見るのではなく実践するということが必要なのか。じつはそんな未詳な倶楽部がすでに存在している。そんなことはこの展示のキュレーターたちには知るすべもない。フフフ。
2005年05月08日
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◆尾崎豊をひとつの地名のように感じ人物でトポフォリアするようなイメージ。◆いつもフラジャイルな男たちの左隅にはピロッと弦月が張り付いている。 ◆“鎮魂版画”これの制作時間は今までの中で最短。6時間位の夭逝版画。 ◆“月を盗んだバイク”ムム、これはちょっとポップすぎるか。たぶんヤツが突っ込んでくるだろな…。
2005年04月27日
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小学校の頃よく戦艦大和の絵を描いた。カンムリのようなレーダーや、てんこ盛りになった武器を描くのが好きだった。坂口安吾は『日本文化私観』のなかで“軍艦は終始一貫ただ「必要のみ」”で出来ているので美しいと云った。『美しくするために加工した美しさが、いっさいない。美というものの立場から付け加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しいという理由によって、取り去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。』(『日本文化私観』坂口安吾)“やむべからざる実質”。案外、少年は察知していたのかも。★『「敗戦という空白によって社会生活の出発を奪われた私自身の、反省と潜心のために、戦争のもたらした最も生々しい体験を、ありのままに刻みつけてみることにあった』(961夜)★『おそらく誰にも書けない一文でもある。これ以上でもこれ以下でもない文章になっている…』(961夜)ならばこれは一冊の軍艦か。 ■御神輿か鎧兜のような戦艦大和 ■こちらは縄文土器か土偶のような戦艦大和:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::◎こいつは途中で沈没した。
2005年04月14日
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そして、永遠の模型少年タルホ第879夜『一千一秒物語』稲垣足穂です。★『ここでおこるルールは口元であっというまに移ろっていく。だから自分以外の人間はまったく出てこない。すべては天体と関与して、かつどんなことも一瞬のうちに起承転結になる』■今日の愛知東邦高校と山形羽黒高校の試合。5回オモテで東邦のエース木下の投げた一球のフォーク。あのちょっとだけ深く指にくい込んでしまったボールが試合のすべてだったかもしれない。ワイルドピッチしたボールに天体が関与していたかもしれない。■ところでここにある稲垣足穂のポートレートは昔から気になっていた。この咥え煙草で颯爽と歩いているようなタルホに合成写真のような背景。これをなぜだか今夜は写したいなるべく恣意なくトレペを使わずに左手にこの写真を置き右手に刀と版木を置きコウベを左右に振りながら単純にちょっとアニミズムな気分でアートなんかでなく■土門拳が『死ぬここと生きること』のなかで写真のリアリティの問題を『写真家の写真家としてのもっとも正しい任務は、モチーフをどう解釈するかという主観的な、観念的な操作でなしに、モチーフのリアリティをど如何に写真のリアリティに置き換えるかという技術的、機械的な操作でなければならない。つまり非常に技術的な職人的な操作が問題である』と書いていた。さらに『例えば、唇の赤さが唇の赤さとして出るためには、富士のパンクロ乾板でF22で一秒が適正露出の場合、十秒かけた場合は逆に弱い灰色の赤さを感じさせるし、同じ絞、同じ露出でも、さくらパンクロ乾板なりオリエンタル・ハイパーパン乾板を使えば、またちがった効果として表れる。つまり、ぬれぬれと赤い唇の色一つにしても、その唇の赤さの表現ということは全く技術的な機械的な条件に転化されなければ不可能なのである』と書いていた。こんな客観的至上命令の転化でぼくも彫りたい。 ■“ポートレートという方法”その人物の外見を“一図に多様”にモケイしてみる。
2005年04月02日
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今日、第105夜『田宮模型の仕事』田宮俊作を読んでおりました。うーん、モケイ、モケイ、モケイなんてイイ響き。モケイ、モケイ、モケイ何度も口ずさみたいイイ響き。★『たとえば、多くのプラモデルは実物の縮小でつくられているのだが、スロットカーのようなモデルでは必ずデフォルメがされているということ。寸分たがわず設計すると、どうにも不格好になる。そこでいろいろデフォルメを加える。これは、人間の視覚に原因がある。ふだん、われわれは自動車を目の高さで見ているが、スロットカーは上から見下ろしている。たいていは車幅と車高を変化させるらしい。 設計にはつねに設計者個人のクセをいかしているというのも、おもしろい。とくにパーティング・ラインの引き方に個性が出る。また、組み立てやすいだけが重要なのではなく、組み立てているうちに夢中になるように設計しておくことがポイントになっている。』●“組み立てているうちに夢中になる設計”が模型というものの本質。先の『フランケンシュタイン』。このメアリーが書いた“読んでいるうちに夢中になる”物語というシステム。これは人間の模型なのか。 この二版を刷り重ねてる最中が夢中かどうかだ。よし、今夜はあのブットイ葉巻を咥えた永遠の模型少年稲垣足穂を彫ろう。
2005年03月29日
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■モーレツ・アタローを啓蒙してくれ~!ここ2、3日熱があったので解熱剤を飲んで寝ておりました。で、ちょっとまだ脳髄トロロ状態なのです。ですからやや散漫です。■最初、原作の『フランケンシュタイン』を読まずに別の案で版を彫り始める。読み進むうちにこれが全然違うことに気がついてすぐさまボツ。■ベッドのなかでこの『フランケンシュタイン』をはじめて読む。超感動。■ナゼか蓮の花。泥のなかに咲くこの一輪が怪物の佇まいなのだ。また怪物の目には泥中の蓮もきっとこんな感じに映るのだ。こいつもまたツギハギだらけの“できそこない”■物語にハマった。物語のなかで怪物はみるみる知識を習得していき、感情の新領域を発見していく。これは人間の歴史の早送りか。これは『情報の歴史』のイッキ読みか。★『そんな深々とした問題を痩身の“夢見る少女”メアリーが綴りきったということ、それを物語というシステムにあてはめえたということに驚かされる』物語とはそういうものなのか。パウル・クレーの『創造的告白』のなかに絵の生成過程を物語化したものがある。こんな感じ。『死点を越えるのが、最初の行為(線)だとしよう。しばらくして一息つくために休憩する(中断線、ないし何度かの休憩で節のできた線)。どれほど遠くまできたか、ふりかえってみよう(逆の動き)。心の中で、進む方向をあれこれ考えてみよう(線の束)。川に遮られて、我々はボートを使わねばならない(波の動き)。もっと上流には橋がかかっていたかもしれない。(アーチの例)。向こう側で我々はひとりの同志に出会う。彼もまたもっと偉大な認識を見つけようとしている。最初は嬉しくて意気投合する(収斂)が、次第に違いが明らかになってゆく(二本の線の自立性)。双方による、一種の感情の昂ぶり(線の表情、線のダイナミズム、線の塊)。我々は耕された田畑を横切り(線で区切られた平面)、深い森を抜ける。彼は道に迷って捜し求め、うろつく犬がよくやるような動きを時折見せる。私の方ももはや冷静ではいられない。別の川のあたりに霧がかかっている(空間的要素)。まもなく霧ははれる。籠職人たちが車で家に帰る(車輪)。軽やかな巻き毛の子供が一緒だ(螺旋の動き)。やがて蒸し暑くなり、夜がやってくる(空間的要素)。地平線には稲妻(ジグザグ線)。しかし頭上にはまだ星が見える(ちりばめた点)。そのうち最初の宿に着く。眠り込む前にいくつかの記憶が蘇るだろう。なぜならこうした旅は、非常に印象的だから』★『その空想がもたらすファンタジーが人間の本質を予告するものでなければならなかったからである』★『人間が人間の世界から追放されるとは何かということなのである』美術の世界には“アウトサイダー・アート”というフシギなネーミングのカテゴリーがある。これはある種ハンディキャップをもった人々が創り出すユニークな作品のことを総じて呼んでいるかとおもわれる。フランスでは別名“アール・ブリュー”(生の芸術)と呼ばれていたりする。ここにはあたかも人間の本質が露呈しているかのよう。ぼくはアウトサイドにいなくてもアウトサイダー・アートのような“生”を感じられるもの目指したい。編集という“人間改造”でもって。
2005年03月23日
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イタコ LOVE! イタコLOVE!(×2)よござんすかー!?ではじまる、コレこの曲がぼくは一番好きでした。御存知、筋肉少女隊の「イタコLOVE~ブルーハート」。■オーケンのエッセイは当時「ぴあ」と双璧をなしたタウン情報誌「シティーロード」にて“のほほん日記”を毎週楽しみに読んでおりました。ステージでは“脳髄トロロ”の絶叫男が、エッセイになると“おっかけ少女の自己存在確認説”を唱える分析好きの呟き兄ちゃんになってるのがとっても愉快だった。■でもその繊細な性格は“筋少”のライブからも充分伝わってきていて、なによりもぼくが好きだったのはステージでの抜群の演奏力でした。これはナゴム時代からまったく変わらず、ぼくはライブで「OI!OI!」叫びながらも、どんなにアホをやっていても技術的な裏づけはゼッタイ必要なのだなと合点しておったものです。校長、オーケンも“織部賞”候補でしょうか。■そして、この中に収められているオーケンのSMクラブ体験のエッセイがどうにも印象に残っております。うむ、今回オーケンを描くにあたって、ぼくもそこを取材しなくてはならないのだ。さっそくインターネットで“SMクラブ 名古屋市”と検索。コ、コレはまったく未開拓な世界フッブキ フッブキ コオリノセカイそこはほとんど会員制の世界そして、えらく値がはる世界ちょっとお値打ちなのはビギナー向けソフトSMでもソフトでは取材にならないどーしよ…どーしよよし、スタンダードMコースでいこうめぼしがついた、さっそく夜の街へうわっ!フッブキ フッブキ コオリノセカイ■コーリュア、ハー!(CALL YOUR HEART)寒い国からコーリュア、ハー!イタコを呼ぶよコーリュア、ハー!君の心コーリュア、ハー!呼んでもらおうドンドロ♪ドンドロ♪ よござんすか!
2005年03月13日
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■★『マラルメを読むのはマラルメになることだ』と第966夜の最後に書かれているので、ぼくもさっそくツケ髭をして鏡の前に。そして自画像を描いてみる。 髪金(パツキン)のツケ髭をした自画像は鏡で反転版画で反転 ■「情報の歴史」(NTT出版)によるとマラルメのトラックタイトルは『自然主義と新聞』。1880年にはいると『言葉・通信・流行』。気になったのはそのとなりにあった“マネとマラルメ交流深まる”という一行。そしてマネはその後、マラルメが仏訳したポーの「大鴉」の挿絵を描いている。■それにしても、ぼくは高踏派から象徴主義へという流れをまったく知らない。うーむ、おぼつかない暗中のロウソク一本。 ■版画というのは紙の裏側がキレイだったりする。裏刷りという技法があるくらいで。 ■よくあることだが、画面上で絵の完成度を気にしだすと、時間だけが過ぎていってしまう。これはマラルメらしくなくおもえる。方法がしっかりしてればその完成度は一気なはず。見たいのは方法のギャラリー。聞きたいのはスタイルの産声。★『詩が方法なのではなく、方法が詩であったのだ。その方法がどこにあったかといえば、紙に付いていた』■あらゆる情報が電子化され、書物さえも電子化されるいまマラルメを読む意味とは何か。★『著述したい書物があるのではない。書物という絶対的なものだけが空中放散してほしいだけ。マラルメの決意が書物だったのだ』
2005年03月05日
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◆コントの内容よりもショートショートというスタイルに魅かれる。やっぱりスタイルだ。◆編集稽古!この4コマからショートストーリーを考えよ。しかし、ぼくの版画からはまったくSFの臭いがしないな。 ◆全然、ストイシズムでないこれらはボツ案。 ◆これでは4コマ版画のショートショートにならないのだ。もっと『追いつめられたユーモア』を!◆星新一の作品は全部数えると『巷間の噂では1001作品のコントがあるという』うひゃー、スタイルを打ち立てるにはこれだけの量は必要なのか。
2005年02月23日
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『わかるかな、これは自然界の足元に出ている女の爪先みたいなものでもあるんやな。そやけど、その爪先にも親指から小指までの違いはあるし、小さな爪も大きな爪もある。それを仮に物質やと仮定してみると、その物質はそれぞれ泊まりたい場とか場所というもんがあって、そこにはいろんな席が空いているということやね。だから、物質はそこへ行くと、その席に座る。そうやって自然の足の指はできている。』(828夜)◆“科学の耽美主義”。ここを読んで、今夜は暗いところでオボロゲなものを写しとってみたくなった。それで筆ペンとクロッキー帳を持って暗い床の間のある部屋へ。その床の間にはちょうど弘法大師の置物と大きな丸い置時計がある。なんだか湯川秀樹っぽいぞ。燭台のロウソクに火をつけ床の間の前に胡坐をかいて、いざ。その唯一の明かりをたよりに筆ペンがケント紙のうえを走る。蝋燭の灯をうけてキラリと光る一輪指しのヘリ。“女の爪先”だ。◆対象を照らすのは蝋燭の灯だけだからよく見えない。描いている自分の絵もよく見えない。4・5枚描いているとだんだん目が慣れてきて手元の絵がハッきり見えてくる。同時に対象もはっきり見えてくる。世界はうつろっている。 ◆最近は見えるものを“観測”するように描いてみたい。そして仕上がったものには“意味”よりも、“観測のルール”のようなものが見えてきてほしい。『見ていることと、していることは違いますというもんやねえ。それはその通りです。けれども、その違いがわかったところで、どうにもならへん。大事なことは、では、何をもって何とみなすかということなんです。このとき、「何をもって」というところにもイメージがいる。「何とみなすか」というところにもイメージがいる。この二つのイメージを最初から連続したものと見てきたのが、これまでの科学というもんやったわけやね。そやけど、この二つのイメージは別々のものでもかまへんのです。その異なるイメージをつなげ、そもそもの何を何とみなすかという「同定」をおこすことが、本当の理論物理学なんです。』(828夜)
2005年02月16日
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◆見てたらトリミングしたくなった。トリミングは編集的な方法なので自在に使いたい。◆その背景色を赤にしたのは童謡雑誌「赤い鳥」の表紙をおもわせたかったから。(どういうわけか)むむむ。“娘”が“セーラー服の少女”に見えてきた。◆今度はトリミングを墨でやってみようとおもう。下に刷ったものを全部覆い隠してしまうような闇の黒で刷る。最後は全部真っ黒になってしまいたい。これ、マスキング・ラブ(忍ぶ恋)。 『夜詣りする少女』
2005年02月11日
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◆あらためて『葉隠』を読んで色は抑えたい感じがした。『いつだって死んでいる覚悟が必要だという意味である。』『むしろそこで「生死(しょうじ)を離るるべき事」に思いを致すことなのである』(823夜)な部分がモノクロームを誘うのか。あとは真っ赤な鳥居の上に墨の斜線をかぶせて雨。新調した3ミリの間透(平刀)が大活躍。しかしよくわかったのは彫りの技術がそうとうに未熟だということ。これも引き取らなければならないぼくの「負」なのか。ああ、破れ傘ヘタを曝け出すのはちょっと恥かしい。 『夜詣りする娘』
2005年02月10日
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◆背景を夜にして提灯の灯りをおいてみる。うーむ“雨”がむずかしい。 ◆そして『夜詣りする娘』はこんなん。 ◆『軟弱であろうようでいて、断固として凛としたものが息づいてくる。』(823夜)こんな童謡画のような娘を春信な背景にかさねてみたらどうなる。
2005年02月08日
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◆雨ふる 風ふく 夜もふけた 高下駄鳴らして杉木立 提灯さげて鳥居をくぐれば 願うはあなたに「思い死に」 あら、灯が消えそうだよ! 『夜詣りする娘』◆まずは背景のみ。ここに「娘」の版が加わるのです。
2005年02月06日
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『第三の男』のハリー(オーソン・ウェルズ)のニヤリがまだ瞼に焼き付いている。第611夜『ハックルベリイ・フィンの冒険』マーク・トウェイン。◆『ハックルベリイ・フィンが気がついたもの、それは「不良」こそが不良ゆえに高速に気がつく人間的なるものの本体である。トウェインはハックの目を借りて、辺境少年のみが喝破しうるアメリカ社会の“病んだ真実”を告げることになる。』(611夜)これを告げるための『トム・ソーヤーの冒険』を書き換えた一冊として読む。ここにも“移す”がある。◆今夜のモードには全体に「置き忘れてきた不良幻想」が珈琲の香りのようにたちこめている。◆これを方法化したい。普通、“主版法”は主版(墨の線の版)を先につくって、あとから色版を彫っていく。だけど今回は逆に、色版から彫りはじめて、最後に墨の主版を彫り進めてみたかった。逆ガラス絵みたいな方法だろうか。「負のヒーロー」は“負の方法”で描いてみたいのだ。◆この著を読んでいて、すぐ浮かんだのはヘンリーミラーの水彩。でも、まだ一味足りない。◆今回も版数は3版。どんな世界でも3版であらわせるのだ。編集工学では“3”を重要視する。 ◆これもまた一枚目の試刷り。しかし、ずいぶん臆病そうな少年になってしまった。フラジャイルな少年が描きたかったのに。こうして見て感じるのは色あいが全然モードに則してない。明日また、違う色で刷って、アップしなおそう。◆『イメージとマネージ』(集英社文庫)は必読。版画というゲームに勝つために。《ルール》◎4日以内で仕上げる◎木版画でつくる◎全部(千夜千冊に関連する)新作である ◆これは最初のボツ案。いわば補欠選手。
2005年01月31日
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唐突ですが、 ぼくの今年の座右の言葉は「写す・移す・映す」であります。対象を一旦写し取り、その写したものをまた別の方法に移す。そのときそこに何が映ってくるのか。もともと創造行為なんて云われるものより、こういったことに関心があったのだということに、今年は気づいたのであります。で、第844夜『第三の男』グレアム・グリーン。『グリーンは最初からシナリオを書かずに、まず物語をしあげたいと言った。映画のことを気にせずに物語を書き上げること、それがグリーンのやりかただった。』◎グリーンは最初に“移す”ことを前提にこの物語を“写す”。『…ハリーライムを主人公にしつつも、じつのところは廃墟と地下水のほかは何もなくなってしまった迷宮都市ウィーンをこそ主人公にした物語を綴ったのである』◎そして目的は迷宮都市ウィーンの失われたおもかげを“映す”ことだった。 ◆これはハリーの足。その足の間からウィーンの街並(のつもり)がのぞける。◆ハリーがじらしまくって登場する最高にカッコいいシーン。このシーンの直前、この猫ちゃんが、街頭に照らされた石畳の上を駆けていくのだ。◆これは一枚目の試刷りで、まだ製作過程なのです。ぼくの場合、最後の本刷りで、ラストシーンの大変更をして大失敗するのだ。
2005年01月25日
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『近世的なものとは、人工するエネルギー、極端な文化的爛熟であるとともに、自然状態への激しい憧憬であった。新たな創造への衝動であるとともに、過去への熱い視線であった。「外部」=「異質なるもの」との出会いであると同時に、すべてのものが「相対的」であることの発見であった。』(『江戸の想像力』田中優子)◆この“近世的なもの”はやがて“キャンプなもの”になっていく。ということで第695夜『反解釈』スーザン・ソンタグ。◆読んでると江戸の才女の姿が格子越しにチラリ、チラリ。ゴダールの『女と男のいる舗道』は『春雨物語』の“列挙が可能にするもの”にダブるし。「キャンプの通人はたえずおもしろがったり喜んだりする」は、俳諧化は「笑うことによって動き続ける」とかダブって見える。◆それはきっとこういうこと。『キャンプとはようするにぼくがおもしろがってきた、あの「数寄」なのだ。』(695夜)◆『ほとんどどんな場合でもわれわれの外観はわれわれの存在の仕方であると言っていい。つまり仮面は顔なのだ。』(『反解釈』)これはぼくにとっては版画論。“ほとんどどんな場合でも刷り上がった状態はその版画の存在の仕方であると言っていい。つまり板が版画なのだ。”そして板は彫刻刀や馬簾の痕跡。彫刻刀や馬簾の痕跡は画室の生理。画室の生理は連の結果。◆版画というものは、単純に刷られた和紙であると同時に、これら一連のであるべきではなかろか。 ◆カンディンスキーの「即興19」(ちくまのカバー)にはカンペキ劣りますが、こんな版画を繰り返し創っていこうとおもいます。“内容”という病理から脱出するために。『内容ではなく、多様さと繰り返しの原理、そしてそのふたつの均衡を理解しないかぎり、これらの作品は必ず退屈であるか、醜悪であるか、人さわがせであるか、あるいは同時にこれらすべてのものとなるであろう。』(『反解釈』)
2005年01月20日
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第348夜『日本の星』野尻抱影 ◆この“天文随筆”という新しい様式(スタイル)にムラムラと触発される。『一カ月に一度くらいは地球の上に乗って回っているんだということを思い出しなさいね』 ◆はい、取り急ぎ墨の宇宙に刀で★⇔☆してみます。
2005年01月16日
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で、『江戸の想像力』田中優子の続きです。◆ここに書かれている「連の生み出したもの」で関心をもったものはやはり東錦絵の鈴木春信。鈴木春信は源内が企画する年始恒例行事「大小絵暦交換会」でのスター絵師。◆交換される“絵暦”とは、いわゆるご挨拶用カレンダー。これにはインテリアとしての美しさはもちろん、様々な趣向が要求されていた。隠し文字、漢詩、言葉遊びや見立てなど。◆カレンダーの出来はすぐに競いや批評の対象になった。そこにまた連のダイナミズムがあり、その代表的リーダーが俳諧師でもある、謎の人物「巨川」(きょせん)。春信画はこの「巨川」の工房から生まれた。◆一点の版画制作のためにはたくさんの技術者が連になった。製作者(パトロン)、彫工、摺工、紙漉き職人。馬連職人など。◆木版画に、複数の色版がズレないように刷るための「見当」という技法がある。これを発明したのが大田南畝や滝沢馬琴だったというところが超ソソル。「見当」という方法が、同時に東錦絵の性質になっていると感じるのだ。◆そしてココ。おもわずマーキング。交換会で話題になったのは芸術論なんかじゃなかったというところ。『「大小絵暦交換会」は、理念のみの交換会ではないし、芸術を言葉で語ったり論じたりする会ではないので、常に技術上の問題や新案を含めての情報交換や試行が行われていた。その中から、日本ではじめてのカラー版画ー東錦絵ーの発明がなされたのだった。』◆文化や芸術がメンタルなものから生まれるとおもいすぎてはイケナイ。ここにはマテリアルな事情、メディアのハード的な事情が深く関わっているのだ。◎ということで、これがお粗末な今年のぼくの年始の挨拶状です。本年もどうかよろしゅうってこってす。(エディション50の限定版)心配無用!御代無料!在庫仰山!希望者は申しでるべし候
2005年01月12日
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18世紀のロンドンではコーヒー・ハウスが盛んになり、そこにサロンやクラブが起こった。同時期の江戸には「連」があった。ということで第721夜『江戸の想像力』田中優子です。◆ぼくは美術学校の学生だった頃、学校のロビーに貼ってあった平賀源内展のポスターをべりっと剥がして、つまり盗んで自分の下宿に持ち込んで、しばらくベッドの横に貼っていたことがある。その平賀源内展は結局見なかったのだけれど、なぜかどうしてもそのポスターが欲しかった。ベッドの横に貼っておきたかった。◆あのときの直感はまさしくこれ。『江戸の想像力』のことだ。◆この本の前半はいま“ある”錦絵、落語、本草学、蘭学などがどのような経過で、どのようなエネルギーの爛熟によって“なった”かが書かれている。そのすべてには平賀源内が絡んでいる。◆後半は江戸の語りや文学について。いま“ある”『雨月物語』『春雨物語』がどのような経過で中国、中国文学の影響を受け、日本の古代の再発見に“なった”かが書かれている。こちらは西の上田秋成。◆ここに貫くのは「連」の方法、並列的な列挙、軽やかな「愚」のスタンスなど“近世の方法”。◆例えば落語などは明治に入ると寄席の出現によってすっかり出来上がってしまう。つまらなくなってしまう。このつまらなさは美術学校のロビーに似ている。◆平賀源内は借金返済のために次々とベンチャーを起す。個人的な名声欲のため、大坂文化対抗のためベンチャーな企画を起す。そこでおもわぬ副作用(?)。それが鈴木春信の東錦絵だったり。「解体新書」だったり。◆ハッとしたのは、当時代の人々の知というものはじつは「歴史の語り口の中に痕跡を残さない」知であり、今日の進歩の結果としてつながるような知とは別だということ。云わば「忘れられた知」があるということ。この捨て子のような知の魅力をあの源内のポスターに感じたのだ。◆『学問は心がまえによって変わるものではなく、システムによって変わるものであった。であるから、必要なことは書斎でひとり頭をかかえることではなく、連において行動することであった。「馬鹿狐ならず、必ず隣有り」-源内は学問もまた、この精神で実行していたに違いない。』(『江戸の想像力』)ここだ。連において行動すること。★『場所を見るとかトポスをみるとかは、たった3日いたベネチアでマルセル・プルーストがあれだけの物語を書けるという事もあるので、あるいはフィリップ・ソレルスという人がニューヨークに一週間いただけでアメリカ論を、ニューヨーク論をこんなにすごく書けるのかっていうものもあって、僕はどちらかというと場所を訪れる時というのはそういう風にしか見ていないんですね。だからあんまり旅をしないんです。昨日見たのは、3丁目劇場とペパーランドと出石小学校の3つですけど、それをものすごく掘り下げてみれば岡山にはなると思って見てたけどね。』(松岡正剛インタビュー『かけがえのない「遊図」』 by島津師範代)◆松岡正剛はこの3つを掘り下げれば岡山というトポスが見えると云った。3つのエピソードの「貼り合わせ」列挙で場所を現す方法。これもある意味“近世の方法”か。
2005年01月06日
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フェリーニの『道』とはどんなハナシだったか思いだしてみる。◎パンザノという男に買われていく少女(名前が思い出せない)。まんざらでもない。生来芸事が好き。◎パンザノは少女にとって“男”“父”“ケダモノ”がない交ぜになったような複雑な存在。複雑ながらも愛着わく。◎旅先、ローマにて品はないがスマートな軽業師に会う。これはあらたな男性像か。◎軽業師とパンザノ折り合い悪し。少女ここではじめてパンザノを客観視。また軽業師のおかげで自分の感情を自覚。◎パンザノふとした拍子に軽業師を殺してしまう。それを見た少女は気が狂う。◎パンザノ、狂った少女を捨ててひとり旅に。サーカス団に混じってのあいかわらずの芸。◎パンザノ、旅先で少女の好きな歌を歌いながら洗濯物を乾す女を見かける。女に聞くと少女が昔そこにやってきて歌を歌ったのち寂しく死んだという。◎パンザノショックを受け、バーで飲んだくれる孤独な日々。◎海にたどり着く。砂浜で倒れ伏し、砂を掴んでやりきれないパンザノ。FIN◆シーンとしては少女が路上にちょごんでいると、不思議な黒装束の男3人組がなにやら楽器を吹き鳴らしてやってくるところが鮮明にある。その3人組の男の後についていくとそこはローマ。肉屋にぶら下がる豚の丸焼き。十字架を担いだ賑やかなパレード。舞い散る花吹雪。殺到する群衆。見るものすべてが刺激的。これが少女の都会だ。◆ところで昨日、用事あって車で東京に行った。朝早く名古屋を出て、夜遅く帰ってきた。帰りの中央道、途中、談合坂で晩ゴハンを食べた。これはハッキリ憶えているのだが、それ以前の時間、八王子インターにノッタ場面がゼンゼン思い出せない。気になってずっと考えていたら別の日の晩、やっぱり中央道にノッテ帰ってきた日のこととゴッチャになっていた。これは第606夜『なぜ「あれ」が思い出せなくなるのか』ダニエル・L・シャクターにある「混乱」といわれる記憶エラーだろうか。いやたんなる「不注意」じゃ。★『記憶とはほとんどわれわれの感情なのである。場合によっては記憶とは精神である』★『もっと外に置いておくべきなのだ。編集とは内外で出入りするものなのである。たとえば書棚に、たとえば他人の心の中に、たとえば自然の景観に、たとえば茶室に』◆ぼくはひと一倍ものを忘れる性質である。こんな欠点も編集においては武器になるかもしれない。しかし、能勢さんの『遊図』は無理してでも見ておくべきだったか。『僕もね、このようなコンセプトテーブルや「遊図」のように、いろんなものをスケッチ、ドローイングすることをいまだにするんですよ。こういうやり方をするといいよ、というのを紹介しますと、ひとつは知りたいことをいろいろ調べたら、マッピングする。置いておく。置く場所がわからないから、とりあえず置いておく。バラバラに置いて、だんだんグルーピングする。今はパソコンなら自由に動かせるのでいいけども、ノート上とか模造紙のように位置の変わらないものがある。それをだんだんやっていくと、さきほどの「自分の死んだ父」ということを、5分なら5分、15分なら15分、注意して思い浮かべる。想起する、ということですが、想起したまま順番に書いていくわけです。例えば、死んだ父だなとか、明日能勢さんの岡山に行くなとか…。1時間じゃきついと思うから、10分ぐらいのなかで、人間はこんなにたくさんの多様性の旅をしているんだということが見えてくるし、このなかにモデルが出来ているんですね。すると能勢さんが左に何を置きたいとか、四角で何を囲いたいとか、矢印で何をつなげないとか、そういうマッピングやドローイングをしていると出てくるんですよ。』(スペクタクル対談:松岡正剛×能勢伊勢雄)
2004年12月28日
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◆しかし、何が入力になって、何が出力されるかわからんものだ。ハク(編工研の研究猫)のシッポは夜の付箋なり。http://www.isis.ne.jp/cdn/index.html◆今日、郵便局の配達員から小包を受け取っているとき、その配達員のメガネのふちがギラッと光っているのをボーッと見ながらフトおもった。結局こないだの「埠頭ワークショップ」は何だったのだろー。それで、受け取った小包の上でシャチハタを押しながら、結局、自立していると思い込みすぎている風景というものを「注意の様式」として捉えなおしてみたかったのだ。というようなことをおもった。◆その次に『分母の消息(二)』(デジタオブックレット)に映像のハナシがあるのをおもいだした。さっそくひいてみる。◎60年代のアングラシネマの伝説、ジャック・スミスとのエピソードを巡って。われわれは映像を前にして、じつは「フィルムに入る」のではなく、あくまで自分との関係のなかで「フィルムから出てくる」のではないかということ。「注意の様式」との関連指摘。◎映像的なるものには、分母と分子といえるようなものがあり、このあいだにはぎりぎりの消息があるということ。このような境界は映像の作り手が、その作為によって自画像に近づけば近づくほど溶解する。◎「そこに思いを向ける」という一事はわれわれの「場面特定能力」に密接にかかわっているということ。そして松岡さんの場面喚起を観察する実験。何かを思おうとするときに起きる場面連鎖の一部始終を記録する。そこには「手続き」の法則がある。◎名所という「場面特定能力」について。そこに「界」ができて「外」ができる。「外」からやってくるモノが異常というモノ、または死。これを実際の場面に特定したのが名所。(『分母の消息(二)』ー場面主義・“映像からの脱出と注意の様式”)◆で、浮かんだのは、前回の「埠頭ワークショップ」の反省点。ここでいう「フィルムから出てくる」風景に意識を向け、その「手続き」をまったく注視できなかった。風景が映像体験になっていなかった。もっと“自分の気分”に干渉しなくてはならないのだ。ここで理科系なアプローチも必要か。◆考えてみれば千夜千冊の対象への向かい方はつねに「フィルムから出てくる」という発想だ。自然、取り上げられた本はその本との出合いの経緯から語られ、私的な描写からすべてがはじまる。◆本だけでない。映画もまたしかり。第142夜の『フェリーニ・オン・フェリーニ』コスタンツォ・コスタンティーニ編。『13歳か14歳のときに見た『道』でぐしょぐしょに泣いたのがよかったのか、その後のどんなフェリーニにもそれなりに感動してきた。それも並大抵ではなく。次の『カビリアの夜』も大泣きに泣いた。しかし、これらはフェリーニを意識してのことではない。決定的だったのはマルチェロ・マストロヤンニとアニタ・エクバーグとアヌーク・エーメの『甘い生活』を高校2年の冬に見たことである』◆自分の状態も映画の内容なのだ。で、ぼくのフェリーニの「道」という映像体験。上京して美術学校に通いはじめた頃で、ようやくできた友人数人(男子2人、女子2人)で小金井公民館の小ホールで上映されたのを観にいった。しかし上映直前に行ったのが失敗で、満席御礼状態。立ち見すらできずホールの重い扉を半開きにしてちょっとだけ“パンザノ”が鋼鉄の鎖を胸筋で引きちぎるシーンを観た。で、それからしばらく縁がなくて、編集学校の“物語編集”の課題のとき、何度も通ったビデオ屋でついでに「道」を借りてきたのが再会。ナゼか小津安二郎の「東京物語」と二本立てで。◆んー、「道」と「東京物語」。この一見なんの関係のない二本の名画の共通項とはなにか。この共通項をできるだけたくさん挙げよ。・二本とも1950年代前半に製作された。・二本とも白黒映画。・二本とも『情報の歴史』(NTT出版)のトラック・タイトルに“ポップアート”とある。・二本ともラストシーンに海が見える。・二本とも都会(ローマ・東京)でおいてきぼりになった何かがある。んん・・・。あとは?◆また岡山の『遊会』でのハナシ。このなかで松岡さんは「思い出す」という行為について語る。『まさにね、その思い、思い出す、思い起こすということは、アリストテレスが最初に言った通り、それから臨済録やね、空海が非常に重視した方法だと思うんですよ。すべてを思い出す。例えば僕や能勢さんの話を皆さんは聞いていて、それはとても大事なことですけども、問題はそれを思い出すときなんです。ぼくはね、これはシュタイナーに最初は習ったんですが、一日が終わるときにその一日を思い出すわけですね。では皆さんが大事なのは、今日、この日をどこで思い出すかなんです。アリストテレスはそれを学習だといい、空海は思想だといい、臨済録はそれを禅だといった。その思い出し方が悪いことを「残念」という。念が残るから。で、皆さんはここで聞いているんだけども、放っておくから残念、念が取り出せない状態にだんだんなる。そのために瞑想とかやるわけですね。その思い起こす、思い出すことはすごく大事で、今の能勢さんの話からいうと、ずっと過去へ過去へとさかのぼる。でも自分はここにいて、能勢さんはせいぜい1930年代に生存を受けて、ま、50~60年代になるわけだけども、じゃあ、その過去を思い出すということは何かとなるのだけども、じつは取り出せるんだよね。霊魂として思い出しているだけではなくて。例えばアウグスティヌスを読むとか、東京裁判の映像を見るとか、絵巻を見るってことでもつながるわけなんです。つまり、思い起こす、思い出すということは個人の記憶に関係なく、じつはつながりがあるんだということになるんですね。』◆最後の“思い出すということは個人の記憶に関係なく”というところにブルッブルッときた。より自画像に近づいたほうが個人を越えてつながれる。次回の「埠頭」はもっと自画像に!!
2004年12月24日
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その『遊会』でのおハナシ、ここも気になる。当時、気鋭の編集長だった松岡さんが工作舎の受付にデスクを置いて、店主さながらに来客や電話に対応していたというエピソード。これは『遊』という“出力”のための“入力”を得るためのものだったと云う。 この“出力”と“入力”の関係。今夜はこれでひとりコーヒー・ハウスだ。振り返ってみますと。◎一般に作品と呼ばれるものを“出力品”と呼ぶとすると、この“出力品”のためにはたくさんの“入力品”が必要だということ。むしろこっちのが重要。◎どんな表現形態においてもこのたくさんの“入力品”は見えないけれど確実に感じるもの。◎最近のワークショップへの関心は全部この“入力品”への関心かも。◎この“入力品”を見せずに感じさせる表現のひとつに俳諧がある。◎この“入力品”を消す技能をかなり周到に用意したのが小林一茶。◎第767夜『一茶俳句集』小林一茶。★『一茶はまずもって読書家で、勉強家だった。かなり若いころから老荘を読んでいたし、富永仲基や荻生徂徠などにも目を通していた。また、ニュースが好きなメモ魔の観察者だった。業俳とはそもそもそうした情報をネットワークする職能をもっていたのだが、とりわけ江戸での一茶は克明に世事を観察した。』(第767夜)◎一茶の「情報俳諧」というもの。俳句でやる「スペクテイター」か。一茶の俳諧は「生活の延長なのか、それとも生活からの逃亡なのか」(「店の問題と背徳の革命」『分母の消息(二)』デジタオ)◎これを目指すべきなのだ。できなくても目指すべきなのだ。 ★『いま、存在の足は国に行かずに街にいき、街に行かずに店に行く。では、存在の熱は、国になくて街にあり、街になくて店にあるのか。』(『遊』1003・「店々抄」) 『…で、結局重要なのはレセプションなんですね。レセプションがないと発信がない。入力がないと出力がないわけで。問題は入力をどこで、ああいう風な状態なのかを知ることですね。本も読めば入力できる人は本読めばいい。でもその本を読んでいる状態が違うんであるときに、そのポイントを考えればいい。もっと前か横か後ろか。そうじゃなくなりつつある、それはなにか。自分は食べ物でイキイキしたい、人と出会ってイキイキしたいというんだったら、その入力状態をもっとチェックしなくちゃいけない。どういう時に自分はその人と出会ったときにイキイキできたとか。』(『スペクタクルin岡山』松岡正剛×能勢伊勢雄)
2004年12月18日
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眞千代組長、書き込みありがとうございます。能勢さんの『遊会』(岡山にて)で、松岡さんが話されたことはホント興味深いですね。読みかえす度に何かがサプリメントしてきます。あと、ぼくはこのハナシに頷いた。『僕は不特定多数というのが大嫌いなんです。まったく感心が無い。特定多数。もしくは特定少数が大好き。かえって特定少数はかえって世界と繋がるんですよね。不特定多数を相手に世界に繋がろうとしてみんな失敗するんですよ。でもね、さっきのコップ一杯から宇宙がつながる。絞り込むことで何かがつながる。しかも毎日毎日コップが違う…』◆最近、寝る前に一日を振り返り、思い出されたシーンを“コマ漫画”のようにB6のケントに筆ペンで描くというエキササイズ(とも云えないか…)をやっています。これはやってみるとすぐわかるのですが、一週間くらいでだんだん描かれるシーンが固まってきます。日記にありがちなケースで、食事のシーンと買い物のシーンと風呂のシーンと労働のシーンが繰り返しだす。まるで一日なにも起きなかったかのように。これはたぶん世界と繋がっていない証拠で、ここでもっと日常の“特定少数”に、“コップ一杯”にクローズアップしていかなければならないのだとおもいます。『墨汁一滴』正岡子規(第499夜)はスゴイ。病室とせいぜい窓から見える庭だけの“特定少数”からあれだけの世界に繋がれる。 ああ、一滴の墨汁で十分。
2004年12月16日
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ああ、なんとも楽しい。(ピープスの日記風に)愉快な友人と気兼ねなくおしゃべりすることはこのうえなく楽しい。今夜はコーヒー屋の加藤が、仕事を終えてフラッと立ち寄ってくれたのだ。加藤は名古屋ナンバーワンのカフェ「ビーンズ・コーヒー・セールズ」と自家焙煎コーヒー豆店をひとりできりもりするヴェンチャーな経営者。http://www.coffeesales.jp/http://www.rakuten.co.jp/coffeesales/彼の口から出る話題は経済からジャーナルな話まで幅広くひっきりなしなのだ。今夜は最近オープンした楽天ショップの話で口角泡をとばしてくれた。----いまこそ、カフェという場が必要なのだ!といわんばかりに。それで第491夜『コーヒー・ハウス』小林章夫です。強烈なエスプレッソのようにシャキっと目の覚める一冊。すべての芸術の、テキスト以前には、“語りのリアル”というものが必要なのだ。それが18世紀のコーヒー・ハウスの、紫煙モウモウたる喧騒の中にあった。きっとここには無名のM氏がたくさんいたはず。そしてこれが後の文学への影響よりも、一般の人々の読書というものを変えたということにシャキっとくる。薬用にも効く~っ。 ◆17世紀のイギリスはペストや大火に見舞われた悲惨な時代だった。ふたつの混乱、その復興のなかからコーヒーハウス文化は生まれた。急増した中産階級が集まり、“人間のるつぼ”ができ、そこに近代のほとんどが萌芽した。1704年にデフォーが新聞『レビュー』を創刊。続いて1709年にスティールとアディソンが『タトラー』を創刊。(この“タトラー”が“おしゃべり”という意味なのがそそる)そして1711年3月1日木曜日にスティールとアディソンが日刊『スペクテイター』創刊。(これがまた“観察者”という意味なのがそそる)『スペクテイター』の特徴のひとつは多くの噂情報や市場での見聞が取り入れられたということ。また政治議論がなくなり、より生活密着な情報をひとつのスペースにまとめて臨機応変にレイアウトしたということ。「世上万般の事柄がスペクテイターの目から逃れることはない」のだ。★『「スペクテイター」の文章の良さ、ある話題を取り上げるタイミングの感覚、またこの雑誌の中にたびたび登場するロジャー・ド・カヴァリーやアンドルー・フリーポートなどの架空人物の魅力なども逸することはできないであろう。その意味では雑誌「スペクテイター」はジャーナリズムの面のみならず、エッセイ文学、ひいては小説の発生とも大いに関わりをもっているといえる。』(『コーヒー・ハウス』小林章夫)◆登場するさまざまな伝説のコーヒー・ハウス。◎ウィル・コーヒー・ハウスここにはドライデンという親分がしきる文学サークルがあった。書斎やアトリエでない、公的な場での詩作・劇作の方法には何やら惹かれるものアリ。◎バトン・コーヒーハウスここは『スペクテイター』『タトラー』常連掲載店でもあり、アディソンの根城。ウィルがドライデンを中心とする詩、劇などの文学系だったのに対し、バトンは中流以上の一般大衆に「文芸一般への知識、健全な判断力を与えること」の啓蒙が主眼だった。このアディソンのエッセイが後の文学の新潮流をつくったことにブルった。★『日常談話の道程を測定して、通行人を傷つけないまでも、往来の煩いになる茨、とげの類を取り除こうとした趣味の主宰者、礼法の判決者はこれより以前にまだ出た事がなかったのである。』(『アディソン伝』ジョンソン)◆高級文学のドライデンに対するアディソンの一般都会人向けエッセイ。この日常生活を題材にして“エブリマンのための文化”をめざす志向は、文学という狭小な世界への影響力なんかよりも、“読書”という人間文化全体を変えたところがスゴイ。ぼく的にはこっちのほうがワークショップしてる。◆『情報の歴史』(NTT出版)の1700年を開いてみる。一番右端のトラックタイトルに「文芸とメディア」。情報文化動向に「デフォーやスウィフト、西鶴や近松によって、各種の『噂情報』が再構成される。」とある。1720年のトラックタイトルは「サロンとメディア」1750年は「クラブとメディア」、1760年は「ロマンとメディア」。だいたいここまでが、コーヒー・ハウスの盛衰。これを見ると★『だいたい大半の芸術というものは、新しいライフスタイルとともに生まれてくるものなのである』(491夜)★『たいてい独特独自のクラブ性やサロン性や、加えてメディアやファッションの力を伴っていたということである。』(491夜)はナルホド納得だ。◆そだ。いまこそ、コーヒー・ハウスなのだ。カフェやギャラリーでISIS編集学校の「くぐり戸ワークショップ」を紫煙モウモウたるなかで実践しなくてはならないのだ。
2004年12月12日
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