《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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生きる




〔人の業績を語るには、肩書や数字が必要になるが、本当の価値はそこにはない。見せかけの看板は、来世においては何の役にも立たない。〕


〔期待をすると裏切られ、期待しないと感謝が生まれる。〕


〔人間は失敗からでしか学べない。成功には偶然も含めいろんな要素があり断定できないが、失敗はある程度原因が突き止められるからだ。失敗は避けるべきものではなく、貴重な学習機会なのだ。〕


〔困難は何かの伏線である。何気ない引っ掛かりも、後の物語の展開に大きく影響を与える。映画の結末には、それを乗り越えた主人公の成長がある。〕


〔価値があるから高価なのか、高価ゆえに価値があるのか。”豚に真珠”とは、豚は真理をわきまえているということ。〕


〔自分の思ったようにことが進まない時、自分の心に奢りがないか振り返ってみよ。傲慢な心は、物事を歪ませて見せる。謙虚な心でなければ、真の姿は見えない。〕


〔人は何をやるかでなく、どうやるかで価値を問われる。どんなつまらないことに見える用事でも、心構えでいくらでも学べる。小さな学びを積み重ねて、人格は形成されていく。〕


〔地球上に、自分と相手と二人しか生き残っていないシチュエーションで語る話は、日常のガチャガチャした中での会話とどう変わるであろうか。言葉ひとつひとつが、もっと真剣な重要なものに変わっているに違いない。たとえその相手が誰であろうと。〕


〔お金持ちで、何不自由なく生活をしていても、自分は不幸だと思う人がいます。何もなくて、社会の底辺で苦しんで暮らしていながらも、幸せを感じて生きている人もいます。健康なのに不幸な人。病気でも幸せな人。人の一生を左右するのは、その人の受け止め方、考え方です。〕


〔試練は乗り越えるためにある。時には誰かに助けられて、時には誰かに裏切られても。耐えて忍んで、越えられなかった試練はない。〕


〔人の考えは、言葉によってのみ表現される。良い考え方をしたければ、良い言葉を使うことだ。〕


〔人は合理的に”損得”でものを判断する。しかし「人間万事塞翁が馬」、何が災いとなるか、好転に向かうかわからない。損を承知しながら、将来において得に変える知恵を持つ人が、結局お得な気がする。〕


〔自分は、母から離れて個別に生まれたと思っているかもしれないが、母の卵子が父の精子と結合し増殖し、分離したに過ぎない。その母と父はそのまた母と父から分離しただけで、地球の生命誕生から40億年の長きにわたってバトンをつなぎ続けてきた。自分の細胞の中にその時間が凝縮されていることを知れば、命を疎かにすることはできない。〕


〔過去の成れの果てが、今日の自分である。しかし、未来の自分の出発点でもあるのだ。〕


〔”考える”とは選ぶということ。最低二つ以上の選択肢の中から、最良と思われる一つを選ぶ。様々な条件を加味し、推量して選ぶ過程が考えるだ。ゆえに、もともと選択肢のないままに、一つの決定に従うことは考えることにならない。〕


〔人生は「ジグソーパズル」。困難や苦悩のピースをつなげて埋めていくと、最後のピースで知られざる自分の姿が出来上がる。〕


〔最終的に、神様は、どれだけ”愛を与えたか”によって人を審判する。”愛される”のは人の評価だが、与えた愛を見極めてくれるのは神様だけだ。〕


〔人は自分を基準で考える。自分が正しいと思うことに背く人を嫌悪する。それが、自分自身の行動が信念に背く結果となった場合、自己嫌悪に陥ってしまう。自分が嫌いになるのは、自分の決定に従えない自己矛盾のため。根本の自分は揺らいでないのだから、つまりは自分が好きなわけだ。そんな自分を許すことを覚えよう。〕


〔人生の喜びの一つに、人との出会いがある。他人というものが一切いなくなったら、人生に喜びなどあるのだろうか。人生の目的は、自分を知ることにあり、自分を知るためには、人とのかかわりが必需なのだ。〕


〔人は皆、「老・病・死」に向かって生きている。これを”苦”とするか、”楽”につなげるかは人のステージによるだろう。先達に教えを乞い、日々研鑽を積み、自分なりの幸せな終焉を迎えることが願いである。〕


〔本当のピンチは予見できることの中にはありません。

思いもしなかった方向から攻撃を受けた時に起こるので、事前に準備ができません。

予見できることは、ある程度対策ができているのでその通りに事をすすめればいいだけだし、予見できないことは考えてもしょうがないので、不安を断ち切るしか方法はないのです。

そうなったらそうなったで、なんとかなりますから。

「どうにかなるから気にすんな」ってことを自分に言い聞かせればいいのです。〕


〔緊張した状態は脳に”ノルアドレナリン”が充満し興奮しています。

”ノルアドレナリン”は人間が動物だったころ(今でも動物ですが)、敵に遭遇した時に瞬発的に筋肉を使うために(闘うとか逃げるとか)全身に非常態勢を促す脳内物質です。

生きるか死ぬかの瀬戸際に放出される機能ですから、頻繁に活用するようには準備されていません。

闘うか逃げるかのきわどいシチュエーションはそう長く続かないものなので(負けたら食べられちゃいますから)、持続性も備えていませんし身体も受け付けません。

ゆえに長時間ノルアドレナリンを放出していてはいけないのです。

オーバーヒートして脳に支障が生まれます。〕




〔脳の指令が正常でないと、体のあちこちが混乱します。

例えるなら、身体の各部分は、勝手に任務を遂行している地方行政と、脳の指令で活性化したり制限したりする中央行政があります。

二つの行政がうまくかみ合ってすみ分けていれば問題ないのですが、緊急事態となって脳の指令が優先されると制限を受け、それが長引くと地方は疲弊し混乱します。

精神疾患を起こすと、身体に異常をきたすのはこのためです。

そこで人体に備わっているのは”セロトニン”という脳内物質です(脳だけではありませんが)。

脳をクールダウンして落ち着かせます。

神経をリラックスさせて、痛んだ箇所があれば修復します。

冷静に環境を整備し、健全な行政に戻します。

リラックスするということは、副交感神経優位の状態に持っていくということで、そのための深呼吸やストレッチなのです。

心と身体の健康のため、なるべく緊張状態は避ける方向を選びましょう。〕


〔”不安”は”おばけ”です。

脳が勝手に増幅させて”妖怪”にしてしまいますが、冷静に対処すればただの”幻影”なのです。

恐ろしいのは、”不安”が高じて”絶望”にまで膨らんでしまうと、取り返しのつかない選択をしてしまうことすらあるのです。

”不安”癖のある人は、病気になりやすいし、心も疲れます。

「トイトイトイ」でも「人ゴックン」でも、冷静を取り戻すおまじないがあるのなら活用してください。

でも、本当にピンチが襲ってきたらどうすんだという人。

その時は「これは神様のメッセージ」だとすべて受け止めて、誠実に対処すればいいことなのです。〕




”ノルアドレナリン”は非常事態に遭遇した時に活躍する重要な脳内物質ですが、平時においてはなるべく不必要な使用は避けるようにするのがよいでしょう(訓練のため時々は使用すべきですが)。


人は人生に行き詰ったとき、自分の判断が正しかったか間違っていたかに焦点を絞りがちです。
でも、すんでしまったことは後悔してもしかたない。
裏切られたことに、憤ってみてもしょうがない。
まして運命を呪ったところで問題は解決しません。
何よりも、大切なのは、今の自分の”幸せ”です。
そのために、捨てるものは捨て、身軽になって自分を守りましょう。
さっさと捨てていいもの、正義感、使命感、自尊心。
今日を楽しく生きるためには、重いこだわりは捨ててしまうのが一番です。

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