我が家のキーチャンが姿を消して二週間、どこに居るのか便りも無い。こんな時、GPSでも付けておけば・・と悔やんでも時遅し。高齢になったキーチャン、家族の一員として過ごした15年間、出生日は不明だが、解っているのは半野良、半家猫の自由奔放に生きた、自由主義者のネコでもあった。
高齢になったキーチャン「死」についての概念はあったのか?もし、あったとすれば悟りの心境は?と聞いてみたかった。または、家族には解らない病気があったのか?それに家族が気づかなかったのか?。また、縄張り争いに負けて殺されたのか?人間は人間同士で殺し合う戦争があり手段を選ばずの戦争は今も続いている。人間以外の生き物は、同種で争いがあっても相手の命を奪う程の争いは殆ど無い。
ネコは死ぬ時に姿を隠すとよく聞くが、果たしてそうなのか?人間社会で生きるネコ、時には人間に媚びを売り、生きる術も知っている。また、本能のままに行動しては野鳥を餌食に数日間、帰宅しない事はあった。その間は野鳥を捕り、自給自足で自然との共生でもあった。野鳥にとっては災難もキーチャンにとっては、自然との共存共生であったが、葬儀も出来ないまま帰りを待つのも寂しいものである。
※爺さんのひとりごとは http://blog.livedoor.jp/soundkk/

お客様に愛嬌を振りまくキーチャン
上は、キーチャン4点
キーチャンと仲良しだった今は亡きタケ君
一人前になった雄のハナちゃん
今も窓辺でキーチャンの帰りを待つチャチャ君