今日も憂鬱な曇り空。雨は降らないようだが、空は鉛色。気温10度ぐらいでも爺さんには寒い一日になりそうだ。
早起きは三文の得、何てことわざもあるが今は死語。朝もなければ昼もない社会、コンビニは24時間稼働しているが、誰が儲かるの?。街はシャッター通りが増え、田舎に行けば空き家ばかり。今や空き家も、廃屋から廃墟へと替った。
朝一杯のコーヒーをすすりながら朝刊を開く。先ずは、お悔やみ欄に目を通す。常連客のSさんが暫く来ないと思ったらお悔やみ欄にあるではないか。爺さんよりもやや年上だったが、奥さんを数年前亡くしていた。食事も何とか自炊で頑張っていたが、寂しさだけは避けられないようだった。
常連客が去り、クラスメートが去り、友人が去り、誰もが何れは去って行く。死は悲しいことではあるが、なるべく関わりたくないのも本音である。そんな事は宗教に任せるのも勝手すぎるか。誰にも必ず訪れる死、逃れることは不可能なのだ。死に目をそらし今を楽しく、何て思っても勝手な人生観だ。
正面から死について考え、今後の生き方に充実さを求めるために宗教があるのかも知れない。年寄りになったことを自覚して何を求めれば良いのか?自分の存在さえ見いだせないまま、好きな写真を撮る。もしや、何時の日か、自分を発見できるかも・・・。
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