1

先日、北朝鮮のインターネットサイト「我が民族どうし」に、興味深い記事が掲載されました。「下着は1週間に1回くらい洗って着たら良く、お風呂も1週間に1回くらいが良い」というものでした。この内容は、同サイトの健康常識コーナーに掲載されたものですが、理由は以下のようなものです。《我々の体は季節に関係なく、目に見えない汗を出しながら体温を維持する。普通、人々は肌の表面に汗をかいたり服が汗で濡れると、汗が出たと判断する。しかしそれは、間違った考え方である。「人の肌からは絶えず汗が出ているが、肌の表面から蒸発してしまい、感じられないだけである」特に健康な人の場合、1日に400~700mlの汗をかくが、この程度の量の汗が蒸発する時には、約100~250calの熱を発散する。体温維持のために、1週間に1回くらい下着を洗って着るのが適当である。沐浴の場合、1週間に1回くらい、それも、摂氏37~40度のお湯で20~30分くらいするのが良い。》この記事を読むと、突然、色々な疑問が生ずるはずです。多分、まず最初に思い浮かぶことは、それでは北朝鮮人々は、このように沐浴も1週間に1回して、下着も1週間に1回洗って着るのかということです。北朝鮮の沐浴と下着文化は、個人別の経済力や社会的位置によって、大きな差があると見るのが妥当です。 まず、地域的特性を考慮したら、相対的に経済的余裕がある平壌に住む人が、少し多目にするはずで、山間地域に住む人は沐浴をあまりしないでしょう。山間地域で沐浴を一生懸命しても、だれからも褒められないからです。第二番目に、季節によっても変わります。夏には沢山沐浴をするし、冬にはあまりしません。北朝鮮では冬に熱いお湯を使うのが、本当に難しいです。熱いお湯を作ろうとしたら、石炭や焚き物などの燃料が沢山必要ですが、燃料費が食糧購入に掛かる費用と同じくらい掛かると言われるほど高価なのです。住宅事情も考慮しなければなりません。大多数の北朝鮮の住宅は風呂場がありません。大多数の北朝鮮人々は、夜、台所にたらいに熱いお湯を入れて、そこで沐浴をします。これを「ハムジ(たらい)風呂」と言います。ところで、いくら家族だと言っても男女が一つ屋根の下に住んでいるので、周囲の様子を伺いながら沐浴をしなければならないので、沐浴をするのは大変難しいです。 下着の洗濯も、お湯がなければ難しいです。冬に北朝鮮の農村へ行くと、女性たちが氷を割って、赤くなった両手に息を「はーはー、ふーふー」と吹きかけながら、洗濯をする姿が沢山見られます。北朝鮮の女性たちは、本当に可哀想です。沐浴をする回数も、男性よりずっと少ないケースが多いです。夏に川で沐浴をするのも難しいです。 韓国に脱出した北朝鮮の女性たちが一番満足することの一つが、いつでも家庭でお湯が使えるので、沐浴が毎日できるということです。結論としては、北朝鮮では沐浴は2週間に1回くらいして、下着を1週間に1回くらい洗濯する人々が多いようです。このように沐浴をあまりしないで、どうやって生きているのか不思議ですが、北朝鮮の人々は立派に適応して暮しています。まだ地球上には、北朝鮮のような国が沢山あります。北朝鮮には家庭で沐浴するのが難しいので、共同浴場が存在します。1980年代初め、北朝鮮の各地域に、当時としては現代的な共同浴場が建設されました。しかしその後、経済が急激に悪化したので、今はほとんど運営されていません。ご飯を炊く燃料もないのに、浴場のお湯を沸かす燃料があるでしょうか。石炭が非常に貴重なので、共同浴場用に石炭が供給されるのが難しいし、供給されたとしても幹部たちや職員たちが全て盗んで自宅に持って行ってしまいます。2000年代半ば、北朝鮮で個人の経営する共同浴場が爆発的な人気を呼んだ事があります。裕福な個人が企業所の名義を借りて、事実上、自分で経営したものです。その代わりに、毎月一定の金額を名義を貸してくれた企業所に捧げるのです。個人が主人の浴場と、国家が主人の浴場とは完全に違います。値段は高くても、実にサービスが良かったそうです。しかし、こういった個人が運営する共同浴場は、次第に、風俗営業の場へと変わってしまいました。最近、北朝鮮政府は、このような共同浴場を、全て取り締まって、無くしています。
2009年11月23日
閲覧総数 5438
2

金正日好みの理想の女性像は?今回の内容も前回(#5)に続き、韓国の雑誌「新東亜」に連載された金正日の「喜び組」(金正日の女性たち)の話を翻訳したものです。過去に北朝鮮を脱出して韓国に入国して韓国のマスコミで働く記者が、前職金正日の「喜び組」の女性を直接取材した内容を元に、記事を作成しました。----------------------------------------------------Q)すると、ミオク、ミヒャン、ミソ、ヨンミなど、全て「ミ(美)」の字が入った名前ですね。A)はい、それは金正日の女という意味のようです。ミソお姉さんは笑うと、本当に美しかったです。多分、それでミソ(微笑み)という名前を付けたようです。ヨンミも後にミエと改名しました。金正日は酒に酔うと、同じことを何回も繰して喋る癖がありました。特に面白いことは、「ミ(美)」の字が入った名前を私たちに付けて置きながら、名前が解らなくなってしまうのです。お酒を少しでも飲むと指をあげながら、「お前がミオクか?ミヒャンか?」と何回も聞きました。そして、「ミヒャンだったな」と言ってから、また同じことを初めから繰り返しました。 Q)ミオクという女性のする仕事は、教育をすることだけですか?A)お姉さんは金正日と寝たりもする愛人でしたが、秘書の仕事もしました。金正日と親しかったですが、とても丁寧な言葉だけ使いました。お姉さんも平壌で育った人でしたが、中央党庁舍内に金正日が下賜したとても大きくて立派な自分の家を持っていました。しかし5科の建物に来て寝てくれたのは、多分、私が過渡期を楽に乗り越えて、金正日に対してもっと良く知ることが出来るようにと、側に付けてくれたのだと思います。もちろん、いつも私と一緒に行動しなければならなかったので、そうしたのかもしれません。それから、よく1人で外出していました。お酒を飲んで夜明けに帰って来る時もあったし、昼に帰って来る時もありました。金正日が下賜したベンツを直接運転して家へ帰って、寝てから来る時もありました。Q)ミオクお姉さんに対する想い出も多いでしょう。A)お姉さんが金正日の恋人だったので、マスコミが関心を持つような話題も多いです。私と2年近く1つの部屋、1つの布団で寝たので、お姉さんから聞いたことは本当に多いですが、これ以上話したくありません。お姉さんが心配だからです。お姉さんは私を自分の後継者と思っていました。ところで、嫉妬もしなかったし、本当の妹に対するように、良くしてくれました。その中で、私も寂しかったですが、お姉さんも同じように寂しかったようです。お姉さんはよく私を抱きしめながら、「お前は私の後継者ね。お前も私も寂しく生きていかなければならないのね」と言いました。そのようなことを言う度に、お姉さんはとても悲しそうでした。お姉さんは本当に良い人でした。 元々、学校では「同志」と呼ばなければなりませんでしたが、部屋に帰って2人きりになると、「お姉さん」と呼びなさいと言いました。お姉さんには弟が1人いたので、とても会いたがっていました。お姉さんには金正日がくれたプレゼントが沢山ありました。私がある時、「これ本当に綺麗ですね」と言うと、お姉さんは「お前にあげたいが、将軍様が下さったプレゼントなので、あげられないわ」と言いました。そして「これなんか何でもないわ。家にすごく沢山あるの。お前も将軍様に仕えるようになったら、私のように大きい家ももらえるし、あらゆるプレゼントももらえるわ」と言いました。Q)お姉さんの運命はどうなるのですか?A)私たちは26~27歳になると除隊をします。除隊する頃になると、少佐か大尉になります。しかし金正日とそのような関係だった女性は、それ以後も結婚ができなくて、1人で生きて行かなければなりません。もちろん、最高の待遇はしてくれます。除隊した後も金正日の愛を受けていたら、秘書としてずっと側で働くことができます。ミオクお姉さんも金正日の色々な雑用を代理にする仕事が多かったですが、除隊しなかったのは確かです。金正日の側にずっと残ったと確信しています。愛情も信頼も厚かったからです。あまり深い関係にならなかった女性たちは、護衛国軍官などと結婚させて、秘密が漏れないようにします。 Q)金正日の妻だという「キム・オク」という女性について聞いたことはありますか?もしかすると、ミオクというその女性ではないでしょうか?A)私はキム・オクという名前は知りません。韓国へ来てキム・オクという女性の写真は見ましたが、北では見た事がありません。写真を見たところ、可愛くて溌剌としたタイプですね。私たち学生10人の中に、その女性に似た子もいました。でも、美貌に関して言ったら、ミオクお姉さんがずっ美人でした。それから、キム・オクという女性は金正日と丁寧な言葉を使わなくても良い関係だと聞きましたが、私はその報道が信じられないです。金正日は従順な女性が好きです。 金正日の死後、キム・オクが莫大な権力を行使するだろうと予測する人もいますが、私は絶対にそうではないと思います。彼は女性と権力を分け合う人では絶対にないし、そのような状況を作るような人ではありません。ミソお姉さんはちょっと野心があって嫉妬もしましたが、金正日はそのような点をあまり好みませんでした。でも、美貌だけで判断することも出来ませんよね。ある時、ミオクお姉さんが30歳を過ぎたある女性を丁寧に接待していました。誰かと尋ねたところ、「将軍様の信任を受ける秘書で、重要な女性です」と言いました。ところが、その女性はそれほど美人ではないと思いました。Q)金正日の女性に対する趣向はどうでしたか?A)そうですね。簡単に答えるのは難いです。私が感じたとおりに言いますね。まず、目を一番重要視します。そして目と髪の毛の調和を考えます。彼は私の髪の毛の量が多くて真っ黒で、瞳も真っ黒だから好きだったようです。瞳が茶色ならば髪の毛も茶色でなければならないし、瞳が真っ黒ならば髪の毛も真っ黒なのが良いというのが彼の美学でした。その次に口を見ます。特に美人でも唇が薄ければ、無条件に嫌がりました。鼻は高くなければならないです。とにかく彼の趣向は、とても纎細でした。私の指を取って詳しく見ながら、指が長いので感受性が豊かだろうと言いました。化粧を濃くしたら嫌やがりました。付けまつげを付けたことがありましたが、嫌がったので2度と付けませんでした。 香水を付ける方法を教えてくれるほど、私たちには優しくしてくれました。 ミソお姉さんがある時、香水を沢山振り撒いて行ったら、香水は空にまず撒いてから、そこに体を当てなければならないと教えてくれたこともありました。私たちが使った化粧品は、全部フランス製でした。シャネルもあったし、他のものもありました。私たちにはヒールの高さが5cm以上の履き物はくれませんでした。彼の背が低かったので、そうしたようでした。女性が自分より背が高いのは好みませんでした。彼が一番好きなスカートは、下部にだけフレアーが入ったスカートでした。それで私たちが着る服も、そのようのなものが多かったです。とにかく、こういうことも話したら長くなりますね。(次回に続く)
2010年02月01日
閲覧総数 26551
3

今回の内容は、韓国の雑誌「新東亜」に連載された金正日の「喜び組」(金正日の女性たち)の話を翻訳したものです。北朝鮮を脱出して韓国に入国して韓国のマスコミで働く記者が、前職金正日の「喜び組」の女性を直接取材した内容を元に、記事を作成しました。----------------------------------------------------彼女に北朝鮮の金正日国防委員長と関わる過去があるという事実を知ったのは、かなり以前のことだった。金正日の「喜び組」の一員だったと主張する女性は、以前から多くいたし、新たに入国した脱北者の中にも、自分が「喜び組」だったと主張する女性たちはいるが、偽物と本物を区分するのは非常に難しい。しかし、いくら本で読んだ内容を自分の経験のように話しても、自分が知らなかったり経験していなかったら、そのような話は少し聞いただけで、すぐにばれてしまう。また、もう一つ。特にこのような主張には、ただの1カ所も手をつけた形跡がない自然の美貌としなやかな体つきと魅力といった、決定的な「証拠」がなければならない。彼女がそうである。彼女は現代医学の恵沢とは無縁の美人である。北朝鮮で中央党所属の写真師が撮影してくれたという10代の時の写真の中の彼女は、もっと美しかった。彼女はこれまで、めったに口を開かなかった。しかし、金正日の重病説が報道された今年の初めから、心境の変化が起きたようである。この記事は彼女との数回のインタビューを通じて整理した内容である。金正日の私生活は、常に好奇心を刺激する素材だが、多くの部分がベールに包まれている。この記事は彼の私生活の一部に過ぎない。そして彼女の願いに沿って、わざと書かなかった話がもっと多い。 Q)今まで私に金正日と関係があったという事実は隠さなかったのに、敢えて記事にすることを避けてきた理由は何ですか?A)理由を敢えて挙げるとしたら、沢山あります。まずは金正日の「喜び組」にいたと、後ろ指を指されるのが嫌だったからです。人々が、まるで私を金正日のオモチャだったように見るかと、心配で恐ろしかったのです。私は金正日と2年近く一緒にいましたが、彼と寝たことはありません。そして、実は北朝鮮には「喜び組」とか「満足組」という言葉さえありません。ここで全て名前を付けたものなのです。そして、私の身の上に金正日の側にこれ以上いるのが困難な出来事が起こった時、彼は私を特別に生かしてあげるようにという指示を下したとのことです。元々、私のように彼の側で多くのことを見て聞いた人は、生きてそこを出るのが難しいのです。金正日が私に慈悲を施してくれたおかげで、私の命は繋がったと見ることもできます。韓国に入国して調査を受けた時、過去の経歴を隠したことも、理由といったら理由になりますね。金正日との話は全て隠して、平凡に生きて来たように話したのです。以前、偶然海外のマスコミに一度出演した事があります。その国の言葉が分からなくて、そこでどのように紹介されたか分かりません。 後に一度、事実を歪曲した記事が出て抗議したら、「それじゃ、訴訟しなさい。ここは外国だから、勝とうとしたら、多分、数十年は掛かりますね」と言うのです。本当に頭に来ました。そんな体験を通じて、マスコミ嫌いになったようです。Q)では、今はマスコミに出ても良いのですか?A)いつも記事を書きたがっていたじゃないですか。私が結局、降伏したのです。(笑い) これは冗談です。代わりに、あまり問い詰めないでください。実際、これが国家のための重要な情報でもないし、ただ人々の好奇心を満足させるためのものに過ぎないでしょう。私が実は口を割る必要もないのです。どうせ、今も全部は話したくないです。ただ、金正日が病気に掛かって痩せ衰えた姿を見ていたら、人生無常という言葉が思い浮かびました。どうせ彼が死んだ後に全て公開されることなのだから、今言っても言わなくても、とにかく私はまだよく分からないのです。私の話が誰の役に立つかも…。それから今は時間も沢山経ちましたから。私が金正日の側を去った時から、もう12年も経ったのです。10年経ったら江山も変わると言うじゃないですか。Q)金正日の側にどのようにして行くことになったのですか?A)私の意志ではないです。北朝鮮では、毎年、中央党の幹部たちが全国の学校を回って、学生たちを選抜します。多分、脱北者たちは皆知っていると思います。これを5科に選ばれると言います。5科については、これ以上話すのはやめます。私もそこで選ばれたのです。 5科対象者の選抜は毎年されますが、中央党の幹部たちが1回学校を回る度に、3つの学年の学生たちを調査して選びます。私は平壌で生まれて、芸術関連の特殊目的高等学校に通いました。私の学校には美貌の学生たちが沢山いました。Q)初めはどのように選ばれるのですか?A)私が5年生の時、授業時間に40代位の中央党の男女幹部が入って来ました。 「お前、お前、そこに立ちなさい」と言いながら、一旦、何人か選んだ後、選ばれなかった学生たちをゆっくりと見回しました。もしかして見落とした学生がいるかもしれないからです。その次に自分たちが選んだ学生たちを相手に、沢山の課題をさせます。「何が上手か、して見なさい」とか、「一番可愛くない顔をして見なさい」といった具合ですが、見ながら彼らもクスクスと笑ったりします。中央党幹部の前に立っているので緊張するうえに、本当に難しかったり滑稽な課題をさせる時もあるので、おしっこを漏らしてしまう学生も時々います。私には踊って見なさいと言ってから、一番綺麗な顔をして見なさいと言いました。このようにして選ばれた学生たちを、教務室に呼びます。教務室へ行って、両親の名前、家族構成、担任の先生の名前などを全て記録します。その場でその中年男性が何と言うかというと、「お前、男と寝たか。寝たことはないか?」こんな質問をするんです。その時、私が満15歳位だったので、どんなに恥ずかしかったか…。そして選んだ学生たちを病院に連れて行って、健康診断をします。病気がないかどうか検査します。このようにして最終的に選ばれた学生が、私の学校には15人位いました。そして私たちにしっかりと振舞って、男性と恋愛してはいけないと言ってから帰って行きました。5科対象者に選ばれたので、その後、先生たちは「あの子たちは5科に行く学生たち」と言いながら、授業に参加しなくても何も言わなくなるし、とにかく誰も私たちに干渉しなくなりました。 Q)選抜手続きはそのように簡単なのですか?A)当然、そうではないです。1年後、ですから卒業の数カ月前に、中央からとても素敵な病院の車が来ました。今度の検査は、本当に詳細にされました。そして2番目の検査で私の学校から、たった3人だけが選ばれました。でも、かえって1次検査で落ちたほうがよいです。2次検査で落ちたら、男性と寝たから落ちたと、他の友達から後ろ指を指されます。それから女子だけ選ぶのではなく、男子も選びます。Q)男子は主にどんな所に使われるのですか?A)男子も選ばれて上に上がると、部類が分かれます。親衛隊に行く学生もいるし、金正日の狩り場へ行って、10年間秘密裏に豆農業だけして帰ってきた学生もいます。狩り場に雉が沢山集まるように、豆農業をさせて、収穫しないで、そのまま捨て置くのです。5科に行ったら、休暇もないし、手紙も家に送れなくなります。初めから10年間は家族と断絶させるのです。そうとは知らないで、親は息子が5科に選ばれて行って、素晴らしい働きをすると自慢をします。豆農業だけではなく、豚の飼育をさせる5科もあるし、果樹を育てる5科もあります。とにかく、健康で若い学生たちを選んで、金正日と中央党幹部たちの世話をさせるのです。Q)一番重要なことは何ですか?A)顔と性格、心がけを一番重要視します。内向的な性格ではあまり選ばれません。最終審査まで行ったら、写真を正面、側面、後面と多様な角度から本当に沢山撮影します。検査をする時、定規を持ってきて、顔の比例を測り、撮影した写真を拡大して定規で測るなど、何回も顔を測って、目の長さはどれくらいで、口と顎との間隔はどれくらいで、ということも精密に記録します。背は158~165cmの間で選びます。私の場合は当時158cmでしたが、身体検査をした人たちが「丁度2cm足りない」としながら、「家へ帰って親に手足を引っ張ってもらって、ぐいぐいと伸ばして欲しいと言いなさい」と冗談交じりに言いました。それから「まだ17歳だから、もうちょっと大きくなるだろう」と彼ら同士話していました。最終的に選ばれた女子たちは、全部で10人でしたが、私の背が一番小さかったです。私と背の高さが同じ子が一人いましたが、残りは私より大きかったです。ただ165cm以上は選びません。金正日の背が小さいからです。声が低かったり、ハスキーだったりしても選ばれません。そして体に傷跡や染みがあってもいけないのです。私の場合、最終段階で幼い頃に転んで腕に出来た傷跡のために、本当に悩んでいました(彼女の腕には、本当に注意しないと見えない、約1cm位の傷跡があった)。それで私をキム・マンユ病院と烽火(ボンファ)診療所に連れて行きました。年をとった医者に会わせて、あれこれ質問していましたが、とにかく手術はしないという結論が出たようです。 「久しぶりにゴミから真珠を選んだのに、たった2つ(背と傷跡)引っかかる」と言いながら、大変残念がりました。とにかく私は1、2次試験には合格しました。そして平壌では全国から集められた女子たちを比較、最終選抜する3次関門が残っていました。」(続く)
2010年01月21日
閲覧総数 37146
![]()

