スピリチュアルカウンセラー 詩音の日々(2003年11月開設)

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2004.02.11
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今日は近所の公園に散歩に行き、久々に大きな木と話をしてきました。

小鳥達も可愛らしい声でさえずっていました。

ゆったり落ち着いた、いい気分になりました。

自然の中にいき、話をするたびに思うのは、
「不幸」なのは、人間だけだということです。

木々はもちろん、鳥も草花も魚も「不幸」を知りません。
彼らは今に生きているので、苦痛があってもそれを「不幸」にはしないのです。
淡々とただ自分に与えられた生命を精一杯生きているだけです。


人間の頭の中につくられますが、その幻想の利用の仕方を間違うと
今を精一杯生きることができなくなってしまう足枷になってしまいます。

ここしばらく、「恐れ」について考えていたので、
何かを「恐れ」ている人たちとの関わりがありました。
恐れの感情に突き動かされると、混乱し平静さを失ってしまいます。
そこでその「恐れ」は幻想なのだと見抜き、自分の「恐れ」を感じていない内面とつながると
自分が人生の主人なのだということを思い出し、人生の主導権を取り戻すことができます。

人間が「全く恐れを知らずに生きる」ことは可能だと思います。
神や宇宙や愛についての理解が深まれば深まるほど、自然とそういう生き方になるでしょう。
私は日々、そう在りたいと願っています。

あるいは、一瞬にしてその境地を垣間見ることは日常の中でも時々あります。

愛する存在を前にして至福に満たされる瞬間。
でも、ほとんどの場合、いつも自分が大切に持ち歩いている心配事に意識を戻してしまいます。

「全く恐れを知らずに生きる」ようになる、ステップのひとつは、
自分の肉体的な死を恐れない状態になることです。

肉体的な死は、遅かれ早かれ、誰にでも必ず訪れます。


彼の本は沢山ありますが、その中で「死」について、とても印象に残っている話があります。

以下、私が共感した内容はこんな感じです。

「私たちは、死を体験していないので、本当は死はどんなものか知らない。
注射を一度もうけたことのない子供が、注射を怖がれないのと同じだ。

死について、他の人が言っていることを怖がることはできる。
だけど、その人であっても実際に死んだことがあるわけではないので、
本当の死を知っているわけではない。

「死」はもしかしたら「気持ちのよい」ものかもしれない。
誰も体験していないのだから、誰も本当には知らない。
誰が本当に知りもしないことを怖がれる?

私たちは「死」を恐れているのではない。
本当は生きられなかった「生」を恐れているのだ。

ああすべきだった、こうもすべきだった。
ああしたかった、これもしたかった。
あれを味わいたかった、これも体験したかった。

だけど、そんな「生きたかった」のに「生きてこなかった」様々なことを残して
自分のタイムリミットが近づいてくる。

死んでしまったら、自分が「生きて」体験したかった様々なことは不可能になる。
それが怖いのだ。

私たちは「死」という「不可知」なものに、
「自分が生きたかったけど、生きられなかった」人生の終焉を投影しているのだ。

もし、自分が生きたかった人生を全て完了し、完結させていたならば、タイムリミットには何の問題もない。
いつ来てもいいと思うはずだ。」

私はこの話に衝撃を受けました。
本当にその通りだと思ったのです。





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最終更新日  2004.02.13 12:31:47


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