先に書いたことで、自分ながら少し気が重くなったが、
でもあのような事件を引き起こしたあと、
その誤りと思い上がりなどに気づかされ、
自分の有り様を見つめ直していく過程は、
人々の暖かさ、共に生き、支え合っていこうとする志向、実践に 出会い、
人間に対する信頼を回復する過程でもあった。
大きな歴史の流れなどに思考を集中すれと、
つい何か暗い気持ちになるが、
私が自分の誤りに気づいて行く過程は
さまざまな具体的な人間関係
生活の場に関心を抱き、そこで生きていくしかない状況の中で
この世の中、世界には、
人と人が共に生きる関係を深めあい、育てあい、
関係破壊にに向かう方向を、なんとか変えて行こうとする、
暖かみのある、真摯な人たちも、いっぱいいることにも気付かされる過程だった。
そして歴史の大きな流れのなかにも、
自己中心的な利益を追求する人たちと共に、
常にこの世界で共に生きる関係を深め、
育てあって行こうと力を尽くしている人たちが必ずいることも自覚出来るようになった。
そして自分の生きているこの時代を、
過渡期という考え方で受け入れることが出来るようになった。
例えば欧米諸国の侵略や植民地支配の歴史のなかにも、
一方で民主主義や基本的人権の尊重 、思想や表現の自由といった、
共に生きる関係を育てあうためにも必要不可欠な理念が生まれ育ってきたという、
そういうことを、複眼的に見つめなおすこととも、出来るようになった。
ある一面だけ見て、全否定するのではなく、
常に破壊から関係を、守り育てようとする人々が一定の割合でいることが自覚出来るようになり、
この世界にたいして、暖かい気持ちを持てることが、多くなった。
前の日記で書いたことだけては、
あまりバランスがとれないので、この文章をつけくわえてみた。
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