野の花・野の豚の自己研究に根ざす、社会的な共生の道を探求する発言・2015年7月1日から

野の花・野の豚の自己研究に根ざす、社会的な共生の道を探求する発言・2015年7月1日から

2019.01.17
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天皇家の人たち、天皇家を尊い家柄の人たち、自分たちだけが天孫、天から降りてきた神の子孫であるというような神話、物語を、ばかばかしい、自己特別視の物語と認識できない、また嘘であるとはっきり言えない人たちの精神は、人間、およびこの天地とその間に存在するすべてのに対する、敬虔な意識の次元から、あまりにも遠く離れた人たちである。
偉そうないい方して申し訳ないですが。
多くの人たちがそのような意識の中にいて、
あるいはそんなことは意識しないまでもなんだか天皇家の人たちを尊敬する、多くの人たちの中に生きていて、ごく普通にそうしているだけの話なのでもあると思うのですが。

先日、今年の元旦に皇居で行われた、一般参賀というのだろうか、天皇家の家族をひな壇?に迎えて、拝んでの、儀式に、凄い人々が訪れている光景を見ながら、なにかすべてがさかさまであるような、違和感を抱いた。
明治時代に、現天皇家の祖父である明治天皇が現人神であるという信仰が、日本国家を西欧列強に抗して生き延び発展していく計画のもとに作られた。欧米諸国を裏で支配していたロスチャイルド系金融資本、アヘン戦争で莫大な財を成した犯罪者集団でもある、グラバーらの指導、アドバイス、影響のもとで作られた。そして、西欧の絶対主義的王国の真似をしてか、天皇家に莫大な財産形成がなされるように、あらゆる仕組みがつくられもした。
その時代の人たちにとっては、

それ以後天皇家は、例えば日本が戦争をするたびに莫大な財産を増やし続けた。ロスチャイルドたちがそうであったように、
日本人が戦争で血を流せば流すほど、天皇家は財産を莫大に増やし続けてきたのだ。それが現人神という、自分たちだけが天から降りてきた神の子孫であるという、天皇家のリアルな姿であった。
その天皇を、長年のプロパガンダで、日本人も現人神として拝み見るようになった。
寒気がしないだろうか。
こういう構図。
現人神どころか、とてつもなくい、金もうけをする、いわば金融資本家だったのだ。それを現人神という、天皇信仰カルト教義で覆い隠していただけの話なのだ。
あの敗戦に直面しながら、日本社会はそのような事実と向き合い、あの敗戦がなぜ起こったかを根本的に問うこともなく、現憲法のの冒頭に、天皇家を国民統合の象徴として定義した。
これが根本的のおかしいのだ。

天皇家がその時責任を取らされなかったのは、
通説のように、アメリカなどが天皇家を日本支配の道具として使いたかったからだけではないと思う。

まだそういう天皇信仰の中に生きていたからでもある。
しかし、
天皇家は、国際金融資本家の勢力にとって、仲間か
利用しやすい、あるいは利用できる、有用な人たちだったのだろう。そういうこともあったのではないか。



しかし、彼ら家族は、決して自分たちの明治以来の家族史を、
ありのままに見つめなおし、かれらが支配者として、苦しめてきた、搾取もしてきた国民に対して明らかにしてこなかった。欧米に抗してこの国を保ち、発展させていくという、近代以降の歴史の中で、本当に困難なことであったには違いない歴史の中のことで、単純な批判だけでは済まされないのだが。

しかし、そのことを根本から明らかにし、あの太平洋戦争による、300万の死者とか、原爆の被害を出してしまう戦争にまでたどり着いたこと、そのことに対する天皇家に1員であることから生じていいる、一人分の関係責任を果たしているだろうか。

彼らこそ、ドイツの首相だったかが、戦争を、ユダヤ人に対するジェノサイドを反省して、その墓の前でひざまずいたように、まさに国民の前でひざまずいて、自分たちが天皇であること自体が、明治以降の政治的に作られた観念の産物であるとして、そこでとてつもない財産を築き、人々を戦争に動員し、
他国民を殺すことを強要し、また戦争で殺されていくことも強要した、本当に申し訳ないことを長い間してきたと、
皇居のひな壇から降りてきて、日本国民の前でひざま付き、決して天皇陛下万歳と叫んだりしてはならないとか、言うべき人たちではないか。

そういう行動、言動を通して、安倍政権が、美しい日本を取り戻すとか言いつつ、明治憲法体制を回復し、国民主権、国民の基本的人権などの基本的な民主主義的理念を捨て去ろうとしていることに対しての、天皇家の一人としての一人分の、また家族としての責任ではないのか。

ほんとうに困難なことだとは思うが、天皇家には、そういう責任がある。あの戦争で国民を苦しめてきた家族の一員であるということに根差す、一人分の責任がある。

もちろん国民のほうにもあるのだ。天皇家を今も崇拝することを通して、自分と他者、日本と世界に対して、無責任な行動、
共に生きる関係の破壊行為を行っていることからくる一人分の関係責任があるのだ。誰もそれを他人の責任に転嫁することはできない。

あの皇居前での、多くの人たちの、参賀という、光景を見ながら、私の脳裏をかすめた違和感は、詳しく書けばこういうことだったのだろうと思う。

誰も憎みはしない。
大きな過ちを、犯罪を犯してきた私だから。
そして1978年1月1日、明治神宮に初もうでに来る人たちに対し、その拝殿の前で、人が傷つくのはできる限り避けたいと思ってはいたが、スプレー缶爆弾を作り、そのわきに糞尿を入れたビニール袋を紙袋の中に入れて、爆発させようとした人間が私でもある。初詣のために着飾ってきた人たちを、こんな明治天皇を敬うべきではないと、そのことに怒り、批判する意味も込めて作った爆弾だった。
今はそのような自分の精神性をおぞましく思う。
どのような意味でもそのような場で、その様な暴力を使うべきではなかった。
いろいろな事情があり、その、糞尿爆弾を爆発させることは未遂の終わり、疲労痕ばいして帰ってきたボロアパートの自分の部屋で、その爆弾を誤爆させて糞尿を浴びたのはこの私だった。顔面を火薬の熱でやけどし、左耳の鼓膜は破れて、長い間聞こえなくなったりもした。

その誤爆事件を犯したおかげで、私は爆弾闘争をやめる事態になり、その逃亡生活にの中で、自分の誤りに気付いていった。
私にとってはとても大切な転機をもたらしてくれた、明治神宮拝殿爆破未遂事件だった。

それが成功していれば、当時の私は、たった一人でのゲリラ的な爆弾闘争の持続という孤立感から、明確に人を殺す戦いをこれからはやるのだと思い始めていたから、その前に訪れた根本的な転機だった。

存在よ、
大いなる存在よ、
私にそのような機会を与えてくれて本当にありがとう。
そして今、こんなことを書く機会を与えてくれてありがとう。
ほんとうにありがとう。

PS
惑星地球の根源的共生のための、
ロスチャイルドたちのような形式的な、支配のための世界政府ではなく、様々な地域、国ぐにの利害の調節をしうつつの、共生関係深化、豊穣化のための、国連の発展形態としてのでもいいが、惑星地球共生機関の設立、その様な明確な理念を持っての、組織の設立を、早急に求める、野の花社、サブロウです。





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Last updated  2019.01.18 03:57:21
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