ステイメンの「徒然なるままに」

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2016.06.19
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カテゴリ: drama
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 雲霞の如き豊臣の大軍に囲まれた小田原城そして後北条氏ですが、盟約を結んでいた会津黒川城主の伊達藤次郎政宗ですら豊臣政権に恭順したのに、未だに徹底抗戦の構えを見せています。

 そんな中、駿河大納言家康と大谷刑部少輔の使者として北条相模守氏政を説得すべく小田原城に入った真田源二郎信繁ですが、イキナリ襲われますが、義兄である ガロード・ラン 小山田茂誠に助けられます。どうも旧主武田宗家が滅んだ後、郡内地方を拠点としていた小山田一族の多くが隣接する相模、武蔵を領していた後北条氏に仕官していたようで、茂誠もその縁を頼って小田原に来ていたようです。
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 源二郎信繁は、ウザ松が実は生きていたことを夫である茂誠に伝えようとしますが、板部岡江雪斎に呼ばれ伝える暇もなく北条相模守氏政の居室に連れていかれてしまいます。

 真田家に恨み神髄の氏政は、手の者に命じて信繁を拘束します。この事態に対し、江雪斎は魂消てしまいます。そして氏政は信繁を斬ろうとします。
  氏政:「……殺せ!北条がどれだけ真田に振り回されてきたか知らぬ事もあるまい!ようもぬけぬけとわしの前に姿を表せたな!」
  信繁:「私は、豊臣の使者として参ったのです。真田安房守昌幸の息子として伺ったわけではございません!」
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 そして、信繁はすでに戦の勝敗が決していることや、どれだけの兵の命を救えるかは氏政の決断次第という事を説き、さらに、家康から預かった書状だけでも見てほしいと訴えます。

  氏政:「わしは降服はせぬ。この城におれば、決して負けることはない。」
  信繁:「されど勝つことも出来ません。」

 そして、家康が氏政親子助命のために動いている事、伊達政宗をはじめ、出羽の最上義光や相馬義胤らも秀吉に恭順しており、もはや北条に従うものはいない事を信繁は説明します。さらに豊臣軍がこれまでに落とした城の名を挙げ始め、因縁深い上野の沼田城も真田が奪い返したことを伝えます。

 これにはさすがの氏政も潮時と観念した様子。
  信繁:「……引き際をどうか、お考えください。徳川も上杉も真田も、皆、己の道に折り合いをつけ、生き残ってまいりました」
  氏政:「教えてくれ、そこまでして人は、生きねばならぬのか」
  信繁:「ご隠居様がここで意地を張れば、小田原の城は攻め崩され、多くの者が死にます。死なずともよいのに死なねばならぬ者たちを、救うためでございます。ご隠居様にも、折り合いをつけていただきとう存じます」
  氏政:「ついに東国の覇者にはなれなんだ。どうせ秀吉と一戦交ええるなら、伊達や徳川と組んで、日の本を分ける大戦をやってみたかったわorz。華々しく戦国の世に幕を引きたかったわ。秀吉が恨めしいぞ」
 信繁:「しかし今はその秀吉公に頭を下げるときです。」
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 氏政から明確な返事は出なかったものの、一旦城を出る事になった信繁は、茂誠が待つ蔵に立ち寄り、松が生きていたことを伝えます。


 茂誠がいる蔵を見渡した信繁は、蔵の中に金属の塊がたくさんあることに気が付いた。
  信繁:「これはなんですか」
  茂誠:「鉛だよ。これを溶かして、鉄砲の弾を作る」
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 鉛や箱に打たれた刻印に、信繁は見覚えがあったようです。

 信繁はその鉛を手にすると、いずれ松の待つ上田城に来るよう茂誠に言い残しその場を去ります。


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 その矢先、昌幸のもとに秀吉からmailが届き、八王子城は景勝に任せ、忍城に戻るようにと書いてありました。昌幸はうんざりし、書状を丸めて捨ててしまいます。

 その忍城ですが、最初の大言壮語はどこへやら、石田治部少輔三成は着陣から10日過ぎても水攻めに必要な堤すら築けずにいました。それでも三成はこれ以上無駄な死者を出さない為にも、初心を貫き水攻めに固執します。
 それを見た昌幸は、自分や信幸も他の策を考えるべきではないかと進言しますが、真田のような卑怯な戦はしたくないと拒まれてしまいます。仕方が無いので昌幸たちは、三成の采配に任せ、自分たちは即座に対応できるだけはしておくことにしました。

 そして天正18年(1590)7月5日。既に氏政の四弟氏規が守備していた韮山城が開城し、八王子城も力攻めで落城し孤立無援となった小田原城から剃髪した北条左京大夫氏直が出てきて降伏することを伝えます。
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 湯治から関白秀吉も帰陣しており、大納言家康が段取りを説明します。

  家康:「それでは、氏政、氏直の命は救い、それと引き換えに、城を受け取るということでよろしゅうございますか。」
  秀吉:「氏政は死んでもらおうか!」
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  信繁:「それではだまし討ちでございます!」
  秀吉:「伊達が頭を下げ、小田原が落ち、もうわしに抗う者は誰もおらぬ。なんの気兼ねが要ろう( ̄Å ̄)」
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 7月10日、氏政は髷を落として秀吉の軍門に降った。

 家康は氏政に、秀吉に命乞いをするよう説得するが、さすがは「関八州の覇者」氏政の気持ちはすでに固まっていました。
  氏政:「生き恥はさらしとうない」
  家康:「恥は一時でござる。生き延びることこそが肝心」
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 何とか氏政を助命したい家康は忍城攻めの陣から真田昌幸、八王子城攻めからは上杉景勝を呼び出し、3将で氏政を説得にかかります!
  家康:「氏政どのには是非とも生き延びていただきたい。それが互いに凌ぎを削ってきた我ら3人の総意でござる」
  景勝:「わしも髻を切る。我ら一同その覚悟で殿下に申し上げる所存。殿下は話してわからぬお人ではござらぬ。共にその下で働こうではござらぬか。」
  氏政:「上杉殿。わしも貴方に伺いたい。秀吉のために生きるのでござるか?それでよろしいのか?」
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  景勝:「・・・・」
  昌幸:「死にたければ死になされ。」
  家康:「おろかな!」
  昌幸:「されど生きておればまだまだ楽しい物が見られますぞ。このまま秀吉の天下が来るとは到底思えぬ。ここに居る誰もが思っている筈。そうではござらぬか。もうひと暴れしたいとは思われませんか!」
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  氏政:「おぬしらの働きぶり、あの世でしかと見物させていただこう!」
  家康:「ここまで…でござるか」
  氏政:「ここまででござる」
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と既に覚悟を決めた氏政の心は動きません。それにしても真田安房守昌幸はまだまだ懲りていませんw

 その控え室では。本多佐渡守正信、直江山城守兼続、板部岡江雪斎、そして真田源二郎信繁が待機していますが、兼続「お館様が妙な約束などしていないか心配」と言い、景勝が戻ってきて兼続が何も言っていないのに「何も約束していない」と言った事に大笑いしてしまいましたwww
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 それにしてもこの作品における家康の描き方、今までみたいな「狸親父」ではなく人情味あふれる人物として描かれていると思います。これが大坂の陣に至るまでにどこまで黒くなっていくか、それも楽しみですね!

 天正18年(1590)7月11日、いつもチビチビと汁をかけながら食べていた氏政が「人生最後の食事」として選んだ食べ方が「一気に汁」をかけるやり方!それを憑き物が落ちた感じですする姿がとても印象的でした。
 そして、北条相模守氏政は次弟氏照、宿老の松田憲秀・大道寺政繁とともに切腹して果てました。享年53。首は京に送られ、聚楽第の橋にさらされたと言われています。
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 当主であり息子の氏直は助命され、出家の上、高野山へ送られます。これにより早雲庵宗瑞以来関東に一大王国を築いた北条氏は「戦国大名」として滅亡しました。
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 その後、信繁は小田原城の蔵にあったマーク付きの鉛の塊を大谷刑部少輔吉継の前に差し出した。
  信繁:「ここをご覧ください。刻印が打たれています」
  吉継:「……利休は、北条にも鉛を売っていたのか」
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 「茶人」として高名な千利休も、元をただせば堺商人。今回の小田原征伐が長引けば長引くほど儲かるというものです。その疑念を確かな物とすべく吉継と信繁は小田原城へ急ぎますが、一歩遅く二人が蔵についた時には慌てふためいた利休によって持ち出された後であり、すでにもぬけの殻でしたorz
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 このマークは生家の本業が「魚屋(ととや)」であった千利休ならではの「社印」であったわけです!

 一方、小田原城が開城降伏してもなお、三成が攻める忍城だけは最後まで北条への忠義を尽くし降伏していませんでした。
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 てこずり苦戦する三成に小田原から戻った昌幸は、戦に勝つには人の心を制することが肝要であると持論を述べます。
  昌幸:「戦に勝つとは、人の心を制すことにござる。忠義が邪魔なら、そこにつけ込めばよろしい。」
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 と血のついていない氏政の兜を使い、氏政が家来を見捨てて逃げ去ったように噂を流し、その策にハマった忍城の者たちは城を明け渡す事を決め、ついに7月14日に忍城も開城したのでした。

 昌幸のおかげで無駄な血が流れずに済んだことに感服した三成は「それがしに戦の何たるかをもっと教えて頂けぬか」と昌幸に申し出ます。今作の三成はどうも前世の『悪左府頼長卿』とは違って、人に対して教えを請えるだけの度量を持ち合わせている様子です。
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 7月17日、小田原を出発した関白秀吉と軍勢は鎌倉に立ち寄り、そして26日に下野国宇都宮城に入城しました。その時既に常陸の佐竹義宣、陸奥の南部信直が宇都宮入りしており、28日には伊達政宗が奥州への迎えの為として宇都宮入りするなど、関東、奥羽の大名達が宇都宮に出頭します。豊臣政権によるいわゆる『宇都宮仕置き』です。
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 このとき、伊達藤次郎政宗は名門芦名氏を滅ぼして手に入れた会津など所領の全てを秀吉に差し出し、宇都宮城で秀吉をもてなす酒宴を催します。皆がほろ酔い気分になってきたころ、政宗は名家臣として著名な片倉小十郎景綱と一緒に餅をつき始め、餅が突き上がると、餡をまぶして人々に配った。
  政宗:「これぞ、名物ずんだ餅。さあさ、ご一同、召し上がられよ」
  秀吉:「よし、わしもつこう!」
  政宗:「これより関白殿下御自ら餅をおつきになられます。これぞ天下持ちでございます!」
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 昌幸は「わしは伊達に賭ける!」といつか政宗と一緒に秀吉に反旗を翻そうと考えていたのだが、まるで戦国武将としての気骨が見出せない『太鼓持ち』そのものな政宗の姿に絶望的な気持ちになり、またもやヤケ酒をあおるのでした。
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 この「宇都宮仕置」その後の「奥州仕置」の結果、伊達藤次郎政宗は旧芦名領の会津郡、岩瀬郡、安積郡を没収され、150万石から陸奥出羽のうち13郡、およそ72万石に減封されます。
 その他の諸大名は
  ・改易 - 石川昭光、江刺重恒、葛西晴信、大崎義隆、和賀義忠、稗貫広忠、黒川晴氏、田村宗顕、白河義親ら(小田原に参陣しなかったため)
  ・減封 - 伊達政宗
  ・所領安堵 - 最上義光、相馬義胤、秋田実季、津軽為信、南部信直、戸沢盛安ら
  ・新封 - 蒲生氏郷(蘆名氏の旧領・会津黒川42万石)木村吉清(葛西大崎30万石)

 そして、勘助家康ですが、北条の旧領を手に入れたが、その代わりに三河・遠江・駿河・甲斐・信濃を召し上げられ、凹んでしまっています。しかし下手に逆らうと論功行賞で東海地方の家康旧領への移封命令を拒否した挙げ句に改易&流罪となった織田三介信雄と同じ憂き目に遭ってしまいます。そんな家康を見て秀吉が意地悪を炸裂させて問いかけてきました。
  秀吉:「徳川殿、江戸はどうであった」
  家康:「すばらしき土地にございました。それがしが、江戸を東国一の都にしてご覧に入れまする」
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 と精一杯強がってみせますが、秀吉は家康の隣にいた昌幸に対して
  秀吉:「こたびはよう働いた。真田のこと、決めたぞ。小県は安堵。沼田もお主にくれてやる」
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 そして秀吉は真田に対し徳川の与力大名の任を解きます。これは昌幸を上田に落ち着かせ、潜在的敵対勢力である家康を監視させるためのことでした。兎にも角にも、この朗報を喜ぶ昌幸。そして落胆を隠せない家康w

 一方、秀吉に恭順した政宗でしたが、
  政宗:「生き残るためじゃ。わしだって、どうせ戦国の世に生まれたからには天下を賭けた大戦に臨み、何万という大軍を率いて敵を蹴散らしたい。おぬしだとてそう思うだろ?」
  信繁:「いえ」
  政宗:「思えよ!もしわしが、もう20年早く生まれておれば、もしわしがもう少し京の近くで生まれておれば、大広間の主座に座っているのは秀吉ではなくわしであった!」
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と生き残るために仕方なく選んだ道であり、もう少し京に近いところで生まれていれば、秀吉と立場は逆転していたかもしれないという悔しさをを募らせます。

 天正19年(1581)にかけ「奥州仕置」による強引な大名の再配置がもたらした不満と軋轢が爆発して、「葛西大崎一揆」「和賀・稗貫一揆」「仙北一揆」「九戸政実の乱」などの一揆・紛争が続発しますが、何はともあれこれで応仁・文明の大乱以来続いていた「戦国乱世」が実質的に終幕を迎え、亡君信長の遺志を継いで「天下一統」を成し遂げた関白太政大臣豊臣秀吉は名実ともに天下の覇者となりました。
 しかし、これが関白秀吉とっての「頂点」であり、この後、秀吉と豊臣家は徐々に衰運していくことになります…

 ついに「戦国大名」としての後北条氏が滅亡し、高嶋政伸による怪演が話題になっていた北条氏政が退場してしまいました。また「相模のDQN」から成長を遂げた嫡男氏直も豊臣政権からの赦免&大名復帰を目前にした天正19年11月4日に疱瘡でこの世を去りますので、氏直もこのまま退場ということになるでしょう!
 それにしても、一夜城伝説が残る石垣山城や小田原城の開城交渉を担ったとされる黒田官兵衛すらオミットした今回の潔さは、ある意味凄いと思いましたね!それにしても前田利家や浅野長政ですら姿を出さないとはねぇ〜w
 さて、次回からは豊臣政権の崩壊過程が描かれていくわけですが、未だ「馬廻り」でしかない真田源二郎信繁をどう物語に絡めていくのでしょうか?制作陣の力量が試されますな!

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Last updated  2016.06.19 23:53:04
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