ステイメンの「徒然なるままに」

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2016.07.10
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カテゴリ: drama
源氏供養



 年齢的な問題から、すっかり諦めていたのに、再び嫡子が産まれて秀吉は報せを受けた8月15日には名護屋城を発し、同25日には早くも大坂城に到着します。そんな中、源二郎信繁は秀吉の心遣いで秀次付きに転属することとなります。
 秀吉:「源二郎、お主は明日より関白付きになれ。」
 信繁:「その話は以前...」
 秀吉:「あれの側に居てやって欲しいのだ」
 信繁:「もう少し、太閤殿下の下で学びとうございます。」
 秀吉:「わしはもう隠居じゃ。世間はわしに子どもが出来たんで秀次を疎んじておるように思っているのか知れんがの、まぁそんな気持ちも無いでは無いが、その前に孫七郎が可愛いんじゃ!可愛い甥っ子じゃて何とかしてやりたいと思うんじゃ、頼むで」
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 秀次は関白として内政に力を尽くす一方で、また、『源氏物語』の「宇治十帖」を全巻揃えるなど、学問や芸術にも力を入れます。これは一時的な養父であった三好康長が茶人としても有名で、連歌でも秀でていた事から秀次自身も15歳の頃から著名な歌人の集まる連歌会に名を連ね、亭主も務めたこともあったようです。

 そして、関白秀次付きになった源二郎信繁ですが、ヘタレの秀次からしきりに叔父秀吉が自分のことをどう思っているか、問いただしてきます。それに対して源二郎信繁は「お心配なら、一度、ご自分からハッキリ申し上げては」と言われてしまします。
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 そして9月4日、秀次は大坂城に来て、「拾」誕生の祝いを告げ、元服の暁まで関白職を預かり日本を代理統治していく決意を示しますが、秀吉から日本を5つに分け、その4つを秀次に、残り1つである九州を「拾」に授けたいと秀吉に言われます。
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 その夜、仕えていた徳川家を退転した真田隠岐守信尹が在京中の兄安房守昌幸の元を訪ねてきます。戦乱乱世では真田家の生き残りのために諜報活動に尽力していた信尹ですが、秀吉によって「天下一統」が実現し「惣無事」の世の中になってしまっては活躍の場がない。この機会に諸国をまわり見聞を広げようと考えていた。

 しかし信尹とは逆に昌幸は世の中が近いうちにもう一度乱れるとの物騒極まりない見通しを語ります。
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 ある日、秀吉は秀次の1歳になる娘を拾に嫁がせることを一方的に決めてしまいます。
  秀吉:「そうすればあいつも少しは安心するはず」
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 秀吉はこの考えを「グッド・アイデア!」と自画自賛しますが、一方の秀次としては、そんな大事なことを相談もせずに勝手に決める事に不信感を持ち始めてしまいます。
  秀次:「叔父上はそこまでわしを信じておられぬか」
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 そんな折、秀吉の養子となっていた木下家定の五男である丹波中納言秀俊(後の秀秋)が、秀吉の「能好き」にこと寄せて、秀次にも能を学んではと進言します。

 そして、秀次、秀俊と秀次の三弟である秀保の3人が「能の名手」と知られる宇喜多秀家の特訓を受けることになります!
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 しかし、能の練習を進言した丹波中納言秀俊が毛利両川の雄小早川隆景に養子になる事が決まります。これは、当時未だ後継者に恵まれていなかった「西国の雄」毛利宗家に豊家一門衆である秀俊(後の秀秋)を養子入りさせることで毛利宗家を乗っ取ろうとした策謀と言われ、そうした事態を回避するために毛利一門の筆頭となっていた小早川隆景が自分の後継者である末弟筑後守秀包を廃嫡してまで「小早川家の養子」としてもらい受けた事件です!

 それはともかくとして当時、諸大名からは関白・豊臣秀次に次ぐ豊臣家の継承権保持者とも見られていた秀俊が他家の養子に出されたことで「秀吉が邪魔者を排除しはじめた」と感じた秀次は、次は自分の番だと怯えるようになってしまいます。

  秀家:「一言だけ申し上げておきます。それがしも血こそ繋がっておらぬが太閤殿下を父と仰ぐ者の一人。たとえ地獄へ行けと言われても、それが殿下の命であるのなら喜んで参る!殿下のお言葉に一喜一憂する方々の心が分からん!それがしは殿下のために生き、殿下のために死に、殿下のために舞うのみ!」
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 いやはや「熱い男」ですな、宇喜多秀家は!だからこそ「関ヶ原の戦」で西軍の副将となり、八丈島に流された後も最後の最後まで豊家に忠誠を尽くしたのでしょう!

 文禄3年(1594年)2月、吉野で開かれた酒宴で、秀次は宇喜多秀家と練習していた能『源氏供養』を太閤秀吉と北政所夫妻に披露します。
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 本来、一緒に演じるはずであった三弟大和中納言秀保は急病となり、代わりにど素人の源二郎信繁が加わりなんとか演目は無事に終えることができましたが、しかし
  秀吉:孫七郎、お前は何をやっているのだ。関白は他にやるべきことがいくらでもあるだろう!」

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 褒めてもらえると思っていた秀次はさすがに(´・ω・`)しょぼーんとなってしまいますが、叔母である北政所「寧」がそんな秀次を見かねて「あの人はね、孫七郎が堂々としとればそれでええの。ありのままの自分を見せりゃええの」と励まします。
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 やがて夜になり、夜桜を見ながらの宴となります。そこへ朝鮮から帰国した三成も合流。いつの間にか文禄の役の「停戦交渉」と半島からの撤兵を行っていた様子です。

 そんな時、良い感じに酔っぱらった秀吉は、そろそろ信繁に官位を与えたいと発言。信繁は驚き、兄の信幸を差しおいて官位を授かるわけにいかないと丁重に辞退します。

 すると、兄弟揃って官位を得ようと画策しているのかと秀吉が怒り始めますが、そこになけなしの勇気を振り絞った秀次が「お待ちください!」と割って入ってきます。

 秀次:「太閤殿下は何か思い違いをされているようでございます。」
 秀吉:「何だと!」
 秀次:「官位を与えるのは関白の務め。誰に何時いかなる位を授けるか、これ全て関白がいたすべきこと。源二郎に官位を与えるかどうかは私が決める事です(`・ω・´)キリッ」
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 今までの秀次には見られなかったしっかりとした主張を見て、秀吉は「よくぞ申した!」と大喜びし、この問題をすべて秀次に委ねます。
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 そして文禄3年(1594)11月2日。豊臣姓を下賜されていた信幸・信繁兄弟は揃って官位を与えられ、信幸は従五位下伊豆守に、信繁は従五位下左衛門佐となります。
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 ところが、叙任の挨拶に出向いた大坂城において、事前に口止めされていたにも拘わらず、太閤秀吉が信幸叙任の経緯について口を滑らせてしまいます。「弟に頭が上がらないのう」と秀吉に笑われてしまった信幸はプライドを傷つけられて、当然のように嚇怒します!
 しかもこの事は、実は安房守昌幸も承知していたことだったため、伊豆守信幸は独り疎外感にさいなまされるのでした。
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 そんな中、秀吉は治部少輔三成を通じて昌幸に対し、指月伏見城の普請に加わるよう命じます。当初は秀吉の「隠居城」としての性格しか持たなかった筈の指月伏見城を公家の接待や明や朝鮮からの使者を接遇できるように計画を改めるとの事。そしてさらに防衛設備をも充実させるようにする模様です。

 自分の居城ならともかく、他人の城を築きたくない昌幸は、最初は伊豆守信幸に押しつける予定だったのを止めて、この役目を左衛門佐信繁に押しつけます。
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 その直後、図面を眺めていた信繁のもとを訪れた秀次はこの指月伏見城普請を知り、「わしはもう要らんと言うことかと」落ち込んでしまいます。それもそのはずで、関白である秀次は明や朝鮮からの使者を聚楽第で接遇するつもりで改築の腹づもりをしていたのでした。
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 さらに、悪いときには悪いことが続くもので、秀次に追い打ちをかける事態が発生します。

 長らく病床にあった秀次の三弟・大和中納言秀保が文禄4年(1595)4月16日に17歳の若さで他界してしまいます。これで大和豊臣家は廃絶となってしまいますが、先に次弟の岐阜中納言秀勝を喪っていた秀次にしてみれば、これで3兄弟で自分だけが生き残ってしまった格好になり、寂寥感に苛まれます。
 この大和中納言秀保の死については、様々な風説や俗説が流布していますが、どうやら疱瘡か麻疹を患っていて、文禄4年(1595)4月に病気療養の湯治のために大和の十津川へ赴いたものの、薬石の効なく薨去したようです。
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 一方で次男鶴松を3歳で亡くしていた秀吉は、三男である拾が3歳となったこの年を不吉な年だと感じていたところに秀保が薨去してしまい、怒った秀吉は葬儀に豊臣家一門の参列を認めないという暴挙に出ます。

 この冷たい仕打ちに戦慄し不安が膨らみ精神的に追い詰められた秀次は、遂にある決断をしてしまいます。そして何と関白職を放擲してしまい、居城である聚楽第から出奔してしまいます!そして身を窶して大坂城に現れたのです!
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 関白秀次については、「殺生関白」という不名誉な言われ方を後世まで伝えられていますが、今作では小心者だけど善人であり、何とかして叔父の期待に添えるよう努力をする若者として描かれています。そして太閤秀吉の方も、決して秀次を排除しようとするつもりは無かったように描かれています。
 もし、関白秀次と太閤秀吉との「もつれた糸」をほぐす事が出来たとしたら、それは大和大納言秀長と大政所「なか」の二人をおいて居なかったでしょう。そしてその二人が先に薨去してしまっていた事が秀次のとって「不運」だったのでしょう!

 さて次回、あの歌舞伎界の大御所が実に38年ぶりに同じ配役で登場します!次回も楽しみですな!

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Last updated  2016.07.10 23:26:07
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