ステイメンの「徒然なるままに」

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2016.07.25
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カテゴリ: drama
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 そして、その太閤秀吉に急速な老いが迫ってきた今週の第29回「異変」です。



 文禄4年(1595)7月15日、現職の関白であった左大臣秀次が出奔した挙げ句、高野山青巌寺において切腹するという前代未聞の事態は、豊臣政権を根底から揺るがします。
 それを収拾させるために、太閤秀吉と奉行衆は、秀次の死を「謀反の陰謀発覚による賜死」とし、その一族眷属は無論、前野但馬守など有力家臣まで粛正します。

 そして、絢爛豪華であった「聚楽第」をも跡形も無く破壊した上で、秀吉の隠居城として築城中の指月伏見城に政治中枢を移転させます。それに伴い、諸大名も伏見に移り政権は心機一転を計ります。

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 そんな中、太閤直属の馬廻衆に復帰した真田左衛門佐信繁は、かねてからの約定どおり、大谷刑部少輔吉継の息女「春」を正室として迎えます。真田屋敷で父母ら一族に紹介し、真田家の面々も人懐っこい性格の「春」を歓迎します。
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  昌幸:「これで本多忠勝とも大谷吉継が身内となった!」
  信幸:「誠に心強うございますな!」
  昌幸:「今、真田が戦になれば、必ず勝つる!」


 その後、安房守昌幸は「薫」の出自が下級公家であり、菊亭右大臣今出川晴季の母に仕えていた侍女であったことを信幸と信繁兄弟にこっそりと打ち明けます。

 深夜、石田治部少輔三成から信繁に至急出頭するように連絡がはいります。「何事が出来したのか?」と急ぎ出仕したところ、天下人である太閤秀吉が寝小便をするという粗相をしでかしていました。
  三成:「殿下、左衛門佐が参りました。あとは左衛門佐と私で何とかいたします。」
  秀吉:「すまぬ」(´・ω・`)
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 三成と信繁が汚れた寝具を宿直である片桐東市正且元を欺きwww極秘に処分したあと、別室で三成と信繁とが密談します。
  三成:「殿下のお顔だが」
  信繁:「おひげがございませんでした」
  三成:「お歳を召されてメッキリお髭が薄くなり、先月から付け髭にされた。」
  信繁:「殿下が心配です。近頃、何度も同じ事を言われる。」
  三成:「昔からだ」

  三成:「それも、今に始まったことでは無い。私はお主よりずっと長く殿下にお仕えしている。変わり様は誰よりも分かっておる」
  信繁:「さようでございました」
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 と、治部少輔三成はまるで自分自身に言い聞かせているようです。

 そして秀吉の寝所に戻ると、悄げた秀吉が寝台に腰掛けていました。
  秀吉:「死んだ後のことを考えていた。」

  秀吉:「拾が元服するまでは関白は置かぬと決めた。それまではおまえ達奉行衆が相談のうえ政を行え!」
  三成:「かしこまりました」
  秀吉:「石田治部、日の本の事、豊臣の事、拾の事、よろしく頼む」
  三成:「寝小便ごときで弱気になられたら困ります」
  秀吉:「左衛門佐、治部に力になってやれ!」
  信繁:「かしこまりました」
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 未だ築城中の指月伏見城ですが、経験不足の伊豆守信幸1人では荷が重く、作業は思いどおりに進んでいません。息子に丸投げをした安房守昌幸といえば、やる気ナッシングで昼間から遊郭に入り浸って吉野太夫と遊ぶ始末。
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 すっかり「戦国武将」としての覇気を失った昌幸に、出浦も佐助も失望してしまいます。

 そんな中、夫の「女遊び」に気づいた薫は長男である信幸に、昌幸が昼間何をしているのか詰問します。何とかそれから逃げ延びた信幸は精神的に疲れてしまい、癒しを求めて前正室である「こう」とギシギシアンアンに及んでしまいます。
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 ところが、「女の勘」とは恐ろしい者で、現正室である稲姫がそれに気づいてしまいます。稲姫は信幸に積もり積もった怒りをぶつけますが、結果的にそれがきっかけで二人はやっとこさ合体できます。
 そしてまもなくして、こうも稲姫も新旧二人の正室がほぼ同時に懐妊するという結果を生じますwww。やっぱ、信幸も出来る時にはヤレる子だったようですねwww
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 一方。太閤秀吉は北政所「寧」が作った大好物の生せんべいを「まずい」「こんなもの、食ったこと無い!」と投げ捨てて寧を悲しませてしまいます。
 そんな秀吉に対し三成は、関白を置かずに奉行衆が政治をすることを内大臣家康にも伝えた方がいいと、秀吉に進言しますが、直後に家康と対面した秀吉は
  秀吉:「徳川殿を呼んだのはほかでもない。わしは、政の仕組みを考え直す時が来たと思っておる。」
  家康:「この内大臣徳川家康、豊臣家のためこの命捧げる所存でございます。」
  秀吉:「わしが隠居したのちも、拾が元服するまで、関白は置かぬつもりだ!政は徳川殿を要とした大名達の合議で進めていってほしい」
  家康:「かしこまりました」
  秀吉:「拾のことは徳川殿、其方にかかっておる。どうか頼みますぞ」
  と全く違うことを言いだし、三成と信繁を驚かせます。
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 ある日、ついに薫は昌幸に詰め寄ります。しかし昌幸はまったく意に介さず薫の話を聞き流しますが、詰問された出浦昌相が忍びの術でトンズラをこいて薫の目が逸れた隙に、信幸から伏見城周りの図面を見せられます。すると突如として鋭い顔つきに戻り
  昌幸:「何だこれは!」
  信幸:「伏見城周りの絵図面ですが・・・」
  昌幸:「このような平城、一気に攻め潰されてしまうではないか!おまえの目はどこについておるんじゃ!」
  薫 :「はじめてご覧になっているようございますね!」
  昌幸:「ここじゃ、この高台に出城を作るのよ」
  信幸:「出城?」
  昌相:「なるほど!」
  薫 :「いつの間に?」
  昌幸:「これで東と北の敵は寄せ付けん。西と南は宇治川が天然の堀となって敵を防げる。何故、そこに気がつかん?」
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 と指月伏見城の傍の木幡山に出城を築き、そこを守りの要にするという考えを信繁らに説明します。これがのちの木幡伏見城となる城です。真田安房守昌幸はかつての覇気を取り戻し、「この真田安房守が難攻不落の城を作ってみせる」と完璧な城にしてみせると言い放つのでした。

 一方、家康は再度指月伏見城に呼び出され、秀吉は前回と同じ「政治を大名たちの合議で決める事」という話を繰り返します。秀吉がおかしくなっている事を悟られまいと、三成と信繁が上手くごまかすが、家康は目の当たりにした秀吉の老いに驚き、信繁は危機感を抱きます。
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 信繁はすぐに舅である大谷刑部少輔吉継に相談に出向きます。「利休の呪い」が完全発動した吉継は重病を患い、首に布を巻き皮膚の赤みを隠し、自由に体を動かすことも難しくなっていました。ただ病に冒されていても頭脳の明晰さを失っていない吉継は、
  信繁:「これから、我らは何をすれば?」
  吉継:「殿下が危うい事、決して誰にも悟らせてはならぬ」
  信繁:「はい」
  吉継:「そして、殿下から目を離さぬ事じゃ!私がお側に居られればよいのじゃが。治部殿に覚え書きを届けよう。」
  信繁:「忝うございます!」
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 そして、昌幸が現場に復帰したことで作業が進捗し始めた伏見城の作事において、敷いたばかりの畳を秀吉が躓いたという理由で一日で畳替えを行うことになり、信幸は秀吉に異変が起きていることを察したようです!

 そして秀吉は三度家康を呼んで今後の政について説明することを三成に伝えます。これに対し、三成がその話を制し、そもそも政治は奉行たちで行えと命じていたと指摘します。ここに至って自らの老いが進んでいることを秀吉自身も理解するに及び、三成を下がらせた後、「拾が元服するまでは生きていたいんじゃ。生きているだけではいかん。拾が、わしのようになりたいと思う、そんな父親であらねばならん!」そして「死にたくない」と信繁に本音を漏らします。
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 三成と信繁は、北政所「寧」を交えて今後のことを話し合います。三成や信繁は秀吉に残された僅かな人生を、できるだけ拾と一緒に過ごさせてやりたいと願いますが、生母である茶々はそんな惨めな父の姿を子に見せたくないと言って拒否してしまいます。
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 そんな秀吉の状態は次第に周囲の諸大名にも漏れ伝わり、伊豆守信幸は信繁にそれとなく尋ねますが、信繁は口を割ろうとしません。その信繁に対し信幸はいざとなれば徳川方に就くことを明言した上で、「お前はいささか豊臣家に深入りしすぎたようだ!お前は真田家の為に太閤殿下のお側にいるのだぞ!それを忘れるな!」と叱責しますが、それでもなお信繁はダンマリを貫きます。
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 はい。「犬伏の別れ」に至るフラグが立ちました!こうしたあたりに、たとえ兄弟であっても独立した諸侯となった伊豆守信幸と太閤直属の側近の一員となった左衛門佐信繁との「立場の違い」が如実に表れていると思います。 

 そして文禄5年(1596)閏7月13日。有馬-高槻断層帯、及び六甲・淡路島断層帯を震源断層とするマグニチュード7.25-7.75程度と推定される内陸地殻内地震(直下型地震)が伏見など近畿地方各地を直撃しました!
 後に、改元されたことで「慶長伏見地震」と呼ばれる大地震により、完成間近であった指月伏見城は天守が倒壊、当初、出丸扱いであった木幡山に移転の上で再築することになります。
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 しかし、この指月伏見城の倒壊は天下人太閤秀吉の最期と豊臣政権崩壊をまるで暗示しているかのようでした!


 人に限らず、この世に生を受けた者には必ず訪れるもの。それが『死』です。それは天下人であっても市井の名も無き民であっても変わりはありません。しかし、自身に続く「第二世代」と言える秀次兄弟を全て喪い、後継者が未だ幼い「拾」しかいなかった太閤秀吉は「自らの衰え」という事態に直面してさぞかし狼狽したことでしょう。
 しかし、いくら足掻いても、天下一統を成し遂げた「一代の英雄」従一位太政大臣豊臣秀吉の命数もあと僅かで尽きようとしているわけです。そして徳川家康が「その日」を虎視眈々と狙っていたわけです!


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Last updated  2016.07.25 00:55:55
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