『ライ麦畑でつかまえて』


サリンジャー著  野崎 孝訳  

この物語は高校を中退になった主人公ホールデン・コールフィールドが家に戻るまでを書いた小説だ。
その中で、とにかくホールデンの文句が多い。
なんに対して?オトナの社会に対して。
オトナになれなかったホールデンはそんな社会に対して不断に不平を言う。
オトナの社会は建前が多い。
オトナの社会はルールの社会。
オトナの社会に生きることはなんてくだらないことなんだろう。

といったところが、インターネットで調べた限り、この物語の一般的な評価だと思う。
でもぼくにとっては堕落していく主人公の人間的弱さの方がはるかに印象に残っている。
この物語のメイン・テーマは以下の文章に表れていると思う。

「『君がいま、堕落のふちに向かって進んでると思うとぼくは言ったが、その堕落は特殊な堕落、恐ろしい堕落だと思うんだ。堕ちていく人間には、さわってわかるような、あるいはぶつかって音が聞こえるような、底というものがない。その人間は、ただ、どこまでも堕ちて行くだけだ。世の中には、人生のある時期に、自分のおかれている環境が到底与えることのできないものを、捜し求めようとした人々がいるが、今の君もそれなんだな。いやむしろ、自分のおかれている環境では、探しているものは到底手に入らないと思った人々と言うべきかも知れない。そこで彼らは捜し求めることをあきらめちゃった。実際に捜しにかかりもしないであきらめちまったんだ。・・・』・・・
『しかし、僕には、君が、きわめて愚劣なことのために、なんらかの形で、高貴な死に方をしようとしていることが、はっきりと見えるんだよ。』・・・
『ウィルヘルム・シュテーケルという精神分析の学者が書いたものなんだ。・・・こういっているんだ「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある」』」

いや、『理想のための高貴な死』すら選べない弱い主人公ホールデン。
そんな状況下、『堕落』していくことでしか社会で生きていくことができない。
このせりふは学校の寮を脱走して家にも戻れず頼った昔の恩師に言われた言葉だ。
彼ももちろんオトナであり、あちらの世界の住人だ。
だから極めて正確にホールデンのことを『描写』することはできても『理解』することはできない。
ほとんどのオトナたちは『描写』することもできず、もちろん『理解』など不可能だ。
だからこそホールデンは学校から排除された。

しかし、だからといってホールデンがいつまでもこちらの世界に居続けることも難しい。
彼は退学処分を受けたとはいえ、高校生である。
小学生の妹と比べれば、いくら彼女がおませでも、住む世界が違ってしまっていることを感じないわけにはいかない。
『高貴な死』を選択できないホールデンは、『卑小な生』すらまっとうすることができない。
頑ななまでに妹の住む世界に同化することを拒む。
あちらの世界にもこちらの世界にも文句を言い続けるホールデンには、ウッディ・アレンの演じる男の哀愁が漂っている。

そこにある生は、否定の否定によって辛うじて存在を認められた危うい生だ。
もはやこちらの世界に残ることもできず、かといってあちらの世界に適合していくことなどもっと難しい。
両方の世界から否定された彼の存在は、彼が両方の世界を否定することでしか実存しない。
異次元に迷い込んだ彼の精神は、肉体をも蝕んでいく。

身体や精神から離脱し、外化した社会。
その社会に適合していくことでオトナへと成長していく。
外化できず、同化した状態のコドモたち。
その世界は無邪気だが、生きるうえでの糧を得ることができない。
なにも知らず、なにも気づかず、コドモからオトナへと成長していく同僚たち。
どうしたらいいのかわからずに、二重の否定に終始し命を削るホールデン。
いま、そのようなオトナとコドモの世界のハザマで苦しむ若者がたくさん居るように思う。
今ある社会を前提としたとき、そのような若者は一方的な悪者となる。
今ある社会を前提としないでそのような若者を受け入れていこうと努力していくとき、成長のための儀式や、形骸化されたオトナ社会を打破する術が見つかるのかもしれない。

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