『家族シネマ』



この物語は家族のドキュメンタリーでありドキュメンタリーでない映画(昔はやった未来日記みたいなものか)を撮っているシーンから始まる。
主人公は30歳そこそこの大きな花屋の企画部に勤める長女。
今日は彼女の誕生日。
家族全員がケーキを囲んでお祝いしている。
両親は小学生の頃離婚しており、家族が全員で集まって『ごっこ』をするのは実に20年ぶりである。
この映画のその他の主人公は妹と弟。年は弟の方が上。
弟は勉強はできるが社会的にずれている。
28歳になっても、プロのテニスプレーヤーを目指している。
典型的なモラトリアム症候群だ。
妹も若干現実離れしている。
彼女はモデル上りで今は売れない女優。
今回監督の片山に見出され、大きなチャンスが舞い込んだと思い、このおかしな企画に積極的に乗り出す。

主人公は花を売る企画として、芸術家の作ったオリジナルの花瓶と一体で商品化する案を提案する。
そこで彼女が推薦したのが老芸術家の深見清一だ。
深見は女性の尻に異様な執着を持つ。
主人公も深見に尻だけ写真に撮られる。
主人公は深見と関係することで、現実から逃避していく。

『シネマ』であるはずの家族関係。
しかし、ひとたび演技が始まると、その境界線はぼやけていく。
シナリオに沿った演技が現実味を帯びてくる。
家族の中に自分の居場所を見出せなかった主人公は、シネマの中でも孤立していく。
家族から独立し、社会的に自分の地位を確立した主人公にとって、いまさら『脇役』にもどることなんてできない。
そんな彼女は深見との関係に逃げていく。
深見の現実感の希薄さに、自分のペースを取り戻していく。
しかし、最後にそんな老人、深見にも若い愛人がいることを知り、主導権が自分になかったことに大きなショックを受ける。

現代、人とのコミュニケーションの質が確実に変わってきている。
しかし、完全に疎になるのは難しい。
外の世界に飛び出してしまえば、内側の世界の関係に翻弄されることはない。
そのかわり、失うものも多い。
ぎりぎりのところでこっちの世界と繋がっていたい。
強すぎても、無視されても、自分というものが失われるような焦燥感に襲われる。
強いしがらみから逃げようとする自分。
邪魔者扱いされて排除されさまよう自分。
素直にこっちの世界の関係を受け入れることのできない魂は、こっちの世界に自分のためだけの関係を構築することもできず戸惑う。
結局、こっちの世界では現実とシネマの境界線は曖昧だ。
演技は現実味を帯び、現実は自分の中で舞台となる。
そうして徐々にぼくらはあっちの世界へと追い詰められていく。

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