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『この人の閾』
この本はかなり変わっている。
ストーリーが無いのだ。
無いといったら語弊があるが、基本的には大学時代同じ映画系のサークルに入っていた先輩と後輩の会話で大半が占められる。
この二人、先輩が女性で真紀さん、後輩は男性で三沢くん。
真紀さんは38で三沢くんは37歳。
大学の頃は哲学に明け暮れて、生きることに対していろいろと激論を交わしていただろう。
実際、この二人に今の会話にも、その手の内容はふんだんに見え隠れしている。
心理学有り、認識論有り、唯言論有り、現象学有り。。
ソフィーの世界ではないが、本当にいろいろな哲学が会話に散りばめられている。
しかし、それが大事とは思えない。
ひょっとしたら、作者の意図としてはそれも大事なのかもしれない。
実際、保坂のほかの短編小説を読んでみると、会話形式でやはり哲学を語っている。
そこにいろんな実生活をダブらせて、自分の哲学を半展開している。
(半展開というのは、結構ふらふらしていてはぐらかされてしまうからだ)
では、なにがこの小説を際立たせているのか。
他でもない、主役の二人の境遇である。
哲学をいくらいっぱい語ったところで、二人の生活は平凡そのものだ。
真紀は二人の子育てに追われる専業主婦。
三沢は特に職業についての表記は無いが、サラリーマンであることは間違いない。
若い頃に燃やした反体制的思想はいまだに燃え尽きていない。
それにもかかわらず体制に組み込まれた自分に矛盾も感じていない。
いや、それどころか、昔の自分が顔を出すのを楽しんでいたりさえする。
このときにちょろっと顔を出す自分が成熟した自分なのだろうか。
そこにこそ『閾』があるのであろうか。
『閾』を大事にしながら、日常を生きていく。
そこに妥協は無いのだろうか。
それでも最後、三沢は真紀の『閾』にふれ、少しだけ非日常を生きてみる。
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