December 25, 2004
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カテゴリ: そのほか
もうすぐ震災から10年。今年、新潟で地震に遭った人たちは、阪神の我々には無かった豪雪の冬を迎える。海の向こうのイラクやイスラエル、温暖化で足下が流されていく島の人たち、、数えきれぬ人が知らない場所で知らないうちに、とても大きな困難に向き合っているのは事実。ちっぽけな自分にはそのすべてに思いを巡らせることすら出来ない。

自分の力で何とかかろうじて気を向けることが出来るのは己の足下。西宮、芦屋、神戸、、。震災で何千の命を失った地震から10年、、。ここら辺りは、その昔、昭和13年に大水害があった。数日前に駅前の古本屋でふと目にとまった古い絵葉書。同じだった、、。10年前と、。昭和13年7月、三宮も元町も、泥に埋まり、人は線路を歩き、家が町が、粉々になって、跡形もなく崩れ去っていた。

そしてその七年後、水害から復興しようやく立ち直った街と暮らしに、数多のB29が爆弾の雨を降らせた。

地震から10年。もし、今から3年前にもういちど街と人と暮らしが焼かれていたとしたら、、。

でも、今、その中をくぐり抜けて生きている人は自分の身近に確かにいる。そして、その人たちはあの地震にも遭った。その人たちは今、自分の教えるコーラスで歌を歌っている。「あの時はピアノも流れたの、、。そして、あの時は広島に疎開したの、、。」戻って、忘れた頃に地震。二度は生き延びたものの、三度目の災難で命を落としてしまった人もいる。

地震から10年。その間、確かにこの国である一つの理由で、多くの人が死んだ。その数は広島・長崎の原爆投下当時に亡くなった人の数に匹敵する。また、阪神大震災の死者の数の10倍を超える。なのに何故、戦災・震災と比べればこんなにも忘れられている?日本をここまで経済的に豊かにしてきた立役者を悪者には出来ない、その理由もよくわかる、、。でも、割り切れない気持ちが残る。今年も数は減ったとはいえ、阪神大震災の死者数より多い。死んだ人ばかりではなく、震災同様、その後生活を変えざるを得ない人も多い。本人も家族そして遺族も、、。

その他にも社会的には何事も起こらない、平和ともいえる日常の狭間で、苦しみ藻掻きながら死んでいく人も居る。その苦しみと格闘しながら生きるしかない家族も居る。その、苦しみや現実は大災害で受けた苦しみや現実とは全く違うのだろうか? どうしてもがれきの下のとどかない叫び声、、に思えてしまう。

人は皆いつかは死ぬ。誰でも早かれ遅かれ、いつかは家族を失う。看取られながら死ぬ人、そして、その家族を見守る目の中での死もあれば、誰にも相手にされず、腹の底で踏ん張って藻掻き苦しみのたうち回りながら死んでゆく人とその家族も必ずどこかに居る。10年前、多くのヘリコプターがハエのようにがれきの街に群がり、轟音が助けを呼ぶ声をかき消してしまったように、今も、この瞬間も、、。

そんな思いが、毎年、震災の日になると胸から溢れ出る。





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Last updated  December 26, 2004 01:30:59 PM
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