June 17, 2006
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カテゴリ: そのほか
音楽にジャンルは無い、とか、音楽は世界の言葉、とか、

今までもずっとそう思ってきた。

思うといっても、単に頭で考えてきた訳じゃない!
やってきたから、、、経験してきたから、、
だから、そうなんだと「思う」。

ジャンルの壁、それらは
時代の壁、言語の壁、地域の壁、など色んな種類の素材で出来ている。
でも、民族、国、人種、

そんなものハナから無い。
そう確信している。
そういう意味では音楽は世界の言葉、、?
民族、国、人種の壁なんて、
政治や利益追求で必要な「概念」じゃないのかな?
もっと本音を吐露すれば「道具」に過ぎない。

人間そのものの間には壁はない。
あるのはその人間を育んできた文化の壁。
同じコミュニティの中の人同士で起こる「立場の違い」
というのも小さな次元での文化の違いか、、とも思う。

壁って、障壁という存在だけじゃないんだよ。

家だって壁があるから人が初めて暮らす事が出来る。
壁は人と暮らし、文化を守り自然と上手に向き合っていくためにある。

壁の中で暮らし続ける良さもあれば、
我慢しなければならない辛さもある。
常に壁を越えて渡り歩く自由と楽しさもあれば、


壁には、壊しても良い壁と、壊してはいけない大事な壁がある。
壁の向こう側とこちら側の人が十分に納得出来ていなければ、
壁は必要なものだと思う。

そして、壁は無理に越えなくても良い。
壁に扉を見つけ、その鍵を手に入れれば良い。
至難の業だが、新たな扉をちゃんと作れるのなら作っても良い。
でも、恐らく死の覚悟が必要な場合もある。

時代の鍵、言語の鍵、コミュニティの鍵、、
その鍵を得る行為は、その壁の向こう側に入ることを許された事になる。
そして、許してくれたのはその壁の向こう側の人。

僕が音楽を初めた頃は盛期バロックを中心に活動してきた。
古典派へ、ルネサンスへ、初期バロックへ、アイリッシュへ、
日本のクラシックへ、、、
思えば初めのバロックもそうだったが、
いくつもの壁に扉を探す作業をしてきた。
いくつもの壁を越えてきた事を振り返れば、
その壁の向こうには「人」が居た。
(また最近必要に迫られフランス近代の壁の扉の鍵を探している、、)

音楽は目的か手段か、、
そんな大それた事に僕は答えは出せない、、
けれど、僕の人生の最後の最後にとっては、
音楽は目的では無いような気がする。

音楽は扉を開ける鍵であることは確かだと思っている。
同じ音楽のカッコはしていても、
鍵を持とうとしない音楽が奏でられる場合もある。
そんな音楽はしたくない。

壊してはいけない壁について、
「壁なんて無い!」
「壁を乗り越えろ!」
「壁をぶちこわせ!」
っていうのは、文化の中では
夢想家であったり、
侵入者や泥棒であったり、
テロリストであったり、
もするんじゃ無いかな、、?


そして、僕はアマチュアの皆さんに歌を教えているわけだが、、
アマチュアだからといって、夢想家であるだけなら許されるかもしれないが、、
文化的な侵入者や泥棒やテロリストにはなって欲しくない!
扉の向こう側の人と出会う喜びに是非ともふれて欲しい、、。




そして音楽は見えない芸術だから、
壁があるふりをして、越えたふりだけだって、
やろうと思えば出来る。
知らない間にやっていることもある、、





だから、、、

心して臨みたい、、。




そう思う今日この頃です。










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Last updated  June 18, 2006 05:27:31 AM
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