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今日は吉野川市山川町川田忌部山・・・これは正式な地番です・・・種穂山の頂上にある「種穂忌部神社」で春の大例祭が行われました♪今回で私は3回目の参加になるでしょうか・・・。昔から種穂山が気になっていて・・・この頃は良く種穂山に登ります♪午前10時から行事が始まるという事で、午前9時に出かける準備を始めたのですが・・・先週は何カ月ぶりかにエンジンをかけたのにすぐかかってくれたヤマハ・セロー225が・・・ぐずってしまいました・・・。エンジンがかかりません・・・(;一_一)9時半になった時・・・あきらめてスコルパSY125Fに保安部品をつけ始めました(リヤフェンダーの交換だけですが・・・)!!10時ちょっと過ぎに到着し、大例祭に参加させていただきました♪今回の目的の一つに、頂上から見た鳴門方面の写真撮影がありました!!天気は最高に良かったのですが・・・霞んでいて・・・思ったような写真は撮れませんでした・・・(--〆)!!11時半に行事は終わり、周辺の写真を撮って、次の目的地の穴吹町古宮へ向かいました♪このあと「すえドンのフォト日記」で写真をアップします!!興味のある方は、右側下からリンクしていますので、遊びに来てください♪(●^o^●)♪
2010/04/04
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古来忌部の古社と言われていた「友内神社」です♪3月28日の日曜日に久しぶりに行って来ました!!詳しい事や写真は「すえドンのフォト日記」にアップしましたが、その参考資料としてこれまた久しぶりに大杉博氏の「神代の史跡案内」わ読んでいて、あらたな発見がありました!!「すえドンのフォト日記」は右下のリンクを押すと飛べます(●^o^●)♪この「神代の史跡案内」のサブタイトルは「日本神話の舞台は阿波だった!」です♪友内神社の祭神は「天日鷲命」です(^◇^)♪この「友内神社」は、元は友内山の山頂にありました!!現在の場所は「拝殿」だったらしいです♪今でも友内山の山頂には「友内神社」があり、「奥の院」と呼ばれています♪この「友内山」が「高千穂」だと、大杉氏は言っています♪この友内山の美しい山容を見たら・・・誰もが「高千穂」と思うでしょう!!周辺には、まだ行った事のない古代の遺跡もたくさんあるようで・・・暇を見てオートバイで行ってみようと思っています♪(●^o^●)♪
2010/03/31
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今日の午後、愛車セロー225で霊峰「剣山」を目指して走りました!!天気は大丈夫・・・のはず・・・と思っていたのに・・・なんと・・・つるぎ町に入ったとたん・・・ポツリ・ポツリと雨が・・・(泣)!!詳しい事は「すえドンのフォト日記」をチェックしてもらうとして・・・。雨の為、途中で「剣山」行きをあきらめて「家賀」経由で美馬市穴吹町を目指すことに・・・雨が弱くなってきたので・・・「阿波忌部」に関係の深い「友内神社」へ!!そのあと、行きそびれていた「立石山大権現」へ行って来ました♪オオオオォォォ~~!!何だぁ・・・これは・・・(@_@;)!!ここは・・・とっても・・・凄い場所です!! この「石積み祠」の裏には・・・「板碑」かずらり~・・・。もう、驚きの連続でした!!感動しました・・・(●^o^●)♪
2010/03/28
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「粟島」といいますが・・・海に浮かぶ島ではありません!!徳島県北部を東西に流れる大河「四国三郎」の別名を持つ「吉野川」・・・その川中島なんです!!その総面積は500ha、東西約6km、南北約1.2kmに及び、日本最大級の川中島といわれています♪大正初期には約500戸、約3000人あまりが住んでいました(*^_^*)♪明治44年の吉野川改修工事に伴い、大正14年に住民は全員移転を余儀なくされてしまいます!!この「粟島」は、「阿波忌部」が開拓した「斎島」・・・。「粟島史」によると、「粟島」の名称は「阿波忌部が開拓したことに由来する」とあります。一説には、「忌部氏が粟を植えたところ豊穣であったため」とも言われています!!「阿波国」の名称の由来ともなったと言われる「粟島」の名称が・・・何故か工事のあとに「善入寺島」と改名されていまうのです・・・。何故・・・改名するのでしょうか・・・???しかも・・・この島にあった「天日鷲命」を祀る「浮島八幡宮」が・・・跡形もなく破壊されているのです・・・。何故・・・由緒ある「阿波忌部」の神社が、この世から姿を消してしまったでしょうか・・・!!私個人の推理ですが・・・都合が悪いから消し去ってしまった・・・!!(*^。^*)♪阿波の歴史は不思議がいっぱいです♪(●^o^●)♪
2010/03/20
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私の住む、徳島県吉野川市山川町を、お隣の美郷から見た(西の方向)風景です♪山川町のシンボル「阿波富士」こと「高越山」と、そのすそが北へと伸びた先端の「種穂山」です♪どちらも「阿波忌部」に関係の深い場所です♪手前に「種野盆地」とありますが、そこは旧美郷村の種野になります♪吉野川市は旧の麻植郡・・・「麻」を「植える」と書いて「麻植(おえ)」といいます!!麻植郡の西部の、山川町・美郷村、そして木屋平村(現在は美馬市となっていますが、かつては麻植郡でした)は、古代の「種野山」と呼ばれた地域になります♪植物の種が良く育った・・・という事から「種野山」と呼ばれています♪「阿波忌部」は、この地から全国へと開拓の旅に出たのです!!素晴らしい景色だと・・・思いませんか・・・(*^^)v「高越山」と「種穂山」、この名前をしっかりと覚えておいてくださいネ♪古代史好きな方は・・・特に・・・(^-^)♪(●^o^●)♪
2010/03/13
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「忌部本」の紹介です♪私が教科書として、毎日かばんの中に入れて持ち歩き、時間があると呼んでいる本です♪私は先に紹介した「日本各地を開拓した阿波忌部の足跡 安房国編」を読んで驚き、この「日本の建国と阿波忌部」で完全に「忌部」にはまってしまいまし!!私の住む旧麻植郡山川町が「忌部」に関係の深い場所だった事がきっかけだったのですが、その内容の広がりに驚き、興奮しました\(^o^)/内容は・・・正直言って・・・難しいです・・・(笑)!!これは本当の事を言っておきます・・・(*^。^*)♪しかし・・・少しでも古代史に興味を持っている方でしたら・・・持っていて決して損はない本だと私は思います♪私の最近の楽しみが、この本に登場する場所を実際に訪れてみる事なんです♪この本の凄いところは・・・すべて自分の足でその地を訪れて、資料を収集し、まとめているところです!!「すえドンのフォト日記」にも、「阿波忌部の聖地を巡るツアー」のラストと共にアップしています♪著者は、林博章さんです!!定価は3000円です♪今、メールで住所・氏名・電話番号を記入の上申し込みますと、送料が無料となります♪aska@mb3.tcn.ne.jpです\(^o^)/(*^_^*)♪
2010/03/13
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私はブログで「忌部」について、たくさん書いております・・・(*^^)v「忌部」って???と興味を持ってくれた人のために(笑)・・・「忌部本」を紹介します♪まずは・・・これは関東地方在住の方にお勧めです!!特に、千葉県人の方には・・・一家に一冊・・・置いて欲しいです・・・(●^o^●)♪「日本各地を開拓した阿波忌部の足跡」安房国編 ~古の「古語拾遺」の記憶~ です♪著者は、林博章さんです(*^^)v古代、「阿波忌部」は黒潮に乗って、四国「阿波」の地から、関東は房総半島の「安房」へと渡りました(*^_^*)♪故郷の「阿波」を懐かしみ・・・「安房」と名付けたのが千葉県の館山周辺の「安房国」でした\(^o^)/大昔のこと・・・海岸線にそって船を進めた「阿波忌部」は、その足跡をあちこちに残しています♪これまでの歴史教科書では、語られる事のなかった隠された史実・・・。歴史に興味のある方は、きっと驚きの内容が待っていると思います♪定価1800円申し込みは徳島県吉野川市鴨島町にある「吉野川市鴨島公民館」へ!!TEL 0883-24-5111 FAX 0883-24-5113これを読むと・・・あなたの古代史への考え方が・・・変わるかも・・・!!(●^o^●)♪
2010/03/12
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徳島県北部を東西に流れる大河「吉野川」・・・。その河口から約30kmのところに、日本最大の川中島の「善入島」があります!!ここはかつて「粟(あわ)島」と呼ばれていました(*^_^*)♪「阿波忌部」が開拓した島・・・「粟島」・・・です\(^o^)/広さはなんと約500haもあります♪大正初期(1916年)まで506戸、3000人の人々が住んでいたのです!!しかし・・・吉野川改修工事が行われ、明治末期から大正初期までの間に、政府の立退命令で住民は堤防外に移動します・・・。改修後、内務省が島西北にあった善入寺の名をとって「善入寺島」と呼ぶようになりました!!「阿波忌部」が「粟」を植え開拓したと言われる「粟島」には、「阿波忌部」の祖「天日鷲命」を主祭神とする「浮島八幡宮」があったのです(現在の川島神社)!!一説によると大社「忌部神社」に比定される古社でした(*^_^*)!!残っている写真を見ると・・・小高い丘の上に「浮島八幡宮」があります♪吉野川は「四国三郎」と呼ばれている「暴れ川」です!!洪水の怖さを知っている徳島県民なので、当初は流路の邪魔になるのですべて破壊して撤去したのだと思っていました・・・。しかし・・・最近、ふと・・・全部破壊しなくても・・・と思うようになって来ました!!何故・・・破壊してしまったのか・・・???そして・・・「粟島」の名前までを消してしまうとは・・・???「阿波国」の名前の由来が、この「粟島」から来ていると言われているのに、何故「善入寺島」などとしてしまったのか???それは・・・「阿波の歴史を隠すため」・・・。そんな想像をしてしまっても・・・おかしくありませんよネェ・・・。政府は「浮島八幡宮」を消してしまいたかった!!「阿波国」の「阿波」・・・「粟」を消してしまいたかった!!!(>_
2010/03/10
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「葛」・・・「クズ」・・・。マメ科のつる性の多年草・・・あの雑草です・・・(^◇^)!!そのどこにでもあるような「葛」から繊維を取り出し、素晴らしい布にしている方がいます♪静岡県島田市の「大井川葛布」の村井龍彦さんです♪3月6日(土)に、徳島県鳴門市大麻町の「賀川豊彦記念館」で開催された「第2回阿波再興フォーラム」で、「日本における葛布の歴史と文化」という講演を聞かせていただきました!!今回のテーマは「忌部族の遷移文化を語る!」です♪「阿波忌部」は海路「黒潮」に乗って全国進出と文化の伝播を行っています♪古代のこと、海岸線に沿って小さな船で航行をしていたわけです(*^。^*)♪その途中で、「阿波忌部」は全国各地に足跡を残しています♪この「大井川葛布」のある島田市の近くに、掛川市があり、そこには「粟ヶ岳」という山があります♪この山頂にある神社が「阿波々神社」なんです♪「阿波忌部」は、この「粟(あわ)神社」のある「粟ヶ岳」を航海上の目標としていたみたいです♪「黒潮ルート」の沿岸に、たくさんの「阿波神」が祀られています♪「すえドンのフォト日記」に「葛布」についての写真をアップしています♪(*^_^*)♪
2010/03/08
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紙漉神社の磐座ですo(^▽^)o徳島県吉野川市山川町の川田山地区の「紙漉集落」に「紙漉神社」はあります!!「川田町史」に「紙漉」は「阿波忌部が神代に初めて紙を漉いた所」とあります♪ふもとの川田地区は「川田和紙(阿波和紙)」で有名な場所です♪「紙漉(かみすき)という地名が残っている事自体・・・凄いですよネェ・・・!!\(^o^)/
2010/03/07
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写真は香川県の「讃岐富士」こと「飯野山」です♪瀬戸中央自動車道から坂出IC手前で撮った写真です♪しかし・・・今回のテーマとは関係ありません・・・(爆笑)!!まったく関係ないことはなくて・・・飯野山には「讃岐国造」となる「鷲住王」が眠っています!!「鷲住王」と「阿波忌部」は、深いつながりがあるのです(^v^)♪この事はおいといて・・・3月6日(土)、午後2時~5時まで、徳島県鳴門市大麻町の賀川豊彦記念館で、第2回「阿波再興フォーラム」が開催されます♪主催は阿波歴史民族研究会・鳴門支部、協賛が阿波大麻古代民族研究会、大麻町商工会青年部テーマは「忌部族の織物文化を語る」です♪各地に麻・絹・木綿・倭文等の織物文化を伝えた阿波忌部族の動向から、阿波再興の具体的未来像を探ります♪定員は80名、参加費は入館料の200円です♪連絡先は梶さん、090-9452-6336翌日、午前8時より「阿波忌部の聖地を巡るツアー」が開催されます(予定)!!鳴門市大麻町の大麻比古神社の前の橋に集合!!吉野川市川島町から粟島(善入寺島)を眺め、山川町の忌部神社、岩戸神社へ!!そのあと川田山の紙漉神社、大内集落、楠根地集落を巡ります♪(●^o^●)♪
2010/03/03
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徳島県鳴門市大麻町、大麻比古神社のうしろ、北側にそびえる山が「大麻山」です♪標高538m、遠くからも確認出来る三角形の山容をしています♪「大麻山」は・・・名前の通り「忌部」に関係の深い山なんです♪「麻」と「忌部」・・・。私の住む吉野川市はもとは「麻植郡」といいました!!「麻」を「植える」と書いて「おえ」と読みます(*^_^*)♪そして「麻植郡」には、「麻」と付く地名がたくさん残っています♪「麻」と「忌部」はきっても切れない関係なんです(*^_^*)♪今度の土曜日、この写真の左に写っている「ドイツ館」の南にある「賀川豊彦記念館」で「阿波再興フォーラム」が午後からあります!!「忌部」について・・・これから少しづつ紹介していきたいと思います♪(●^o^●)♪
2010/02/24
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今日の午前中、鉛筆画の線画が仕上がったあと(これで80%の完成率です)、高越山のふもとの親戚まで行ってきました!!吉野川市山川町榎谷というところで、かつての高越鉱山のあった近く、閉校となった川田山小学校の上になります!!そこから見た高越山です♪谷の向こうは楠根地という地区です!!その上に顔を出しているのが高越山の山頂付近なんです(*^。^*)♪ここから林道で「中の郷」という高越登山道の中間地点まで行く事が出来ます♪3月7日(日)、第2回阿波再興フォーラムの「阿波忌部ツアー」で、川田山の「紙漉(かみすき)」の紙漉神社と、大内と楠根地の「山の神」を訪ねます♪山川町は「川田和紙(阿波和紙)」で有名なところです♪そこに「紙漉」という地名が残っています!!「忌部」の祖神である「天日鷲命」は「製紙の神様」として各地の和紙の産地に祀られています♪面白いですネ!!(●^o^●)♪
2010/02/21
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質問が来ました(*^_^*)♪2月8日月曜日の朝、四国放送「おはようとくしま」で遠藤アナが吉野川市川島町のJR学駅に生中継で来ていました♪その時、学駅南側の山を地元の人は「前山」と呼んでいると言っていた・・・。「本当ですか・・・?」との質問です(--〆)遠藤アナが学駅で生中継をしていたのは知っていました!!しかし・・・私の出勤時間は午前7時20分過ぎで・・・車の中で確かに「前山」と言っていたのを聞いたような・・・。でも、私はそれが北側の阿讃山脈のことを言っているのかなぁ・・とうろ覚えで聞いていました・・・。写真は、学駅南側の「二つ森」です!!すぐにこの写真が出てくるところが・・・自分でもすごいと思いました・・・(爆笑)!!学駅南側の山は、忌部神社のある場所の山続きで、このあたりの山にはたくさんの古墳がありましたが、戦後のパイロット事業の開拓でほとんどが調査されることなく破壊されてしまいました・・・(>__
2010/02/09
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2月7日の朝、午前6時半に家を出て岡山に向かいました。途中、吉野川の最狭部となる吉野川市と美馬市の境にかかる岩津橋を渡ります!!朝焼けがきれいだったので、橋のたもとに車を止めて写真を撮りました♪岩津橋の写真の右手には、種穂山があります!!種穂山の山頂からも、この写真とよく似た風景が望めます♪かつて・・・阿波の「忌部」が眺めた風景です(●^o^●)♪「岩津」の「津」は港の意味です!!河港でもある岩津から、吉野川を下って海へと進んだのです!古代「忌部」は、房総半島から出雲など、全国各地へと進出していったのでした(*^^)v徳島県の吉野川は、全国でも数少ない東西に流れる一級河川です!!と・・・いうことは・・・川の上から、朝日が昇り、夕陽が沈みます\(^o^)/これって・・・重要なことですヨ!!日本最大の「中央構造線」に沿って、東西に流れる「吉野川」は、鉱物資源も豊富な場所として知られています♪この場所は・・・とっても凄い場所なんですヨ♪(●^o^●)♪
2010/02/08
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今日、徳島県鳴門市大麻町にある「賀川豊彦記念館」で「第1回阿波再興フォーラム」が開催されました♪お昼御飯を食べてから自宅を出発、午後1時半に会場に到着しました!!フォーラムが始まるのは午後2時からです!!顔見知りの人もたくさんいました♪今回のテーマは「畿内を制した阿波忌部と三好長慶」です。しかし・・・講師の林博章先生の家に不幸があり、急遽来られなくなってしまいます・・・。野田靖之先生が変わってスライドの解説をし、三好長慶についての話を永井英彰先生にしていただきました♪写真は「忌部」のスライドの中の、昔の「岩津」の貴重な写真です♪詳しいことは、このあと「すえドンのフォト日記」にアップする予定です♪今日の話を聞いて、「三好長慶」についての勉強も始めないと・・・と真剣に思ったのでした・・・。今日は勉強になった1日でした!!
2010/01/31
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島根県の県庁所在地の松江市♪宍道湖畔にある歴史ある町並みは、とっても素敵です(*^_^*)♪その宍道湖に注ぐその名も「忌部川」を少しさかのぼった乃白町に式内社「野白神社」があります!!その境内には「金屋子神社」と「穀木(かじき)神社」があります!!問題は・・・「穀木神社」なんです♪祭神は「阿波忌部」の祖神「天日鷲命」なんです\(^o^)/こんなところで「出雲」と「阿波」が繋がりました!!この神社の裏山を越えると・・・そこには「玉造温泉」があります!!ここには「出雲忌部」が、「勾玉」などを作っていた「玉作遺跡」があります!!「勾玉」を作る時の工具に・・・なんと「阿波」の吉野川南岸から運んだという「結晶片岩」が使用されていました!!凄いですネェ・・・(●^o^●)♪「阿波忌部」が「出雲」に来ていたのです!!「すえドンのフォト日記」に「穀木神社」をアップしています♪写真は「穀木神社」を横から見たところです!!その奥に「野白神社」があります!!(*^_^*)♪(*^_^*)♪
2010/01/17
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島根県松江市、宍道湖に注ぐ「忌部川」を南へと遡ると、松江市東忌部町に「忌部神社」があります(^-^)♪この「忌部神社」、「阿波」の「忌部神社」よりも・・・立派です・・・(爆笑)!!古代において「阿波忌部」が海を渡って、日本各地に開拓に出かけていたことは、最近の研究であきらかになってきています(^-^)♪なんと「出雲」には、「忌部」が地名として残り、「忌部神社」が鎮座していました(^-^)♪その周辺は、「忌部」にかかわる史跡の宝庫でもありました(*^_^*)♪「すえドンのフォト日記」に「出雲・忌部神社」をアップしています♪「阿波」と「出雲」の関係は・・・かなり深いと感じたのでした・・・(^-^)♪(●^o^●)♪
2010/01/16
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島根県松江市宍道町上来町和奈佐にある神社です♪このブログを見に来てくれている方の中に、「すえドン」って食いしん坊の歴史好きと思われている方がいるのでは・・・ないでしょうか!?しかし・・・私は・・・あまり歴史には詳しくないのです・・・(;一_一)ただの歴史好き・・・(>_
2010/01/12
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お知らせです♪1月31日(日)に、徳島県鳴門市大麻町の「賀川豊彦記念館」で、第1回「阿波再興フォーラム」が開催されます!!タイトルは「畿内を制した忌部族と三好長慶」です♪阿波勢力となる阿波忌部族は、鳴門市の大麻山に拠点の1つを構えヤマト王権の成立の立役者となりました。その力の源泉となったのが、肥沃な吉野川流域の経済力、神麻と麻技術、優良種と農業土木技術、農業、織物、鉄器、海洋民の存在でした。室町時代に入ると、かつての忌部族と同じく畿内を制し、戦国時代の覇者となった三好長慶(1522~64年)が現れます。三好氏は、肥沃な吉野川の経済基盤をバックに、大麻山を遥拝できる吉野川下流の勝端城に日本最大級の拠点を置き、京に上り将軍を追放して幕府の実権を握り、近畿の摂津・河内・和泉・山城・大和・丹波・淡路・播磨東部から、四国東部の阿波・讃岐に至る日本の中心部を支配したのです。そして、その基盤は織田信長へと引き継がれ近世日本の礎が築かれたのです。かつて、日本の建国に導いた忌部族と、近世の礎を築いた三好長慶の動きをヒントに、「阿波再興」の具体的未来像を探るため、歴史ブランドの開発事例を紹介します。(*^_^*)♪時間は午後2時から5時までで、定員は80名となっています♪参加費は入館料の300円です(^◇^)♪主催は「阿波歴史民族研究会」鳴門支部協賛は、阿波大麻古代作物研究所、三好長慶会、大麻町商工会青年部問い合わせは、 090-9452-6336 です♪写真は、鳴門市大麻町の「大麻比古神社」です♪「阿波忌部」に関係の深い神社なんです!!名前の「大麻」が凄いですよネェ・・・(^-^)♪「忌部」は「麻」との関係がとっても深いのです!!この「大麻比古神社」の西側、ドイツ館の隣に会場の「賀川豊彦記念館」はあります♪私も参加します(^-^)♪興味のある方の参加をお待ちしております♪(●^o^●)♪
2010/01/10
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今朝の徳島新聞に、今日の午後1時半から吉野川市山川町のアメニティセンターで「阿波忌部の歴史散歩」のDVDのお披露目があるというので行って来ました!!今日は朝から部屋の掃除をしていて、息抜きを兼ねて行くことにしました♪会場は・・・我が家から3分くらいの所なんです(^-^)♪NPO法人元気やまかわネットワークが作ったDVDで、これからの介護を考えた場合、いかに元気でいることが大切となり、そのためにDVDを見ながら自宅で一緒に歩き、地元の歴史を勉強しながらボケ防止にもなるというものでした!!サブタイトルは「認知症予防」リハビリ映像散歩です♪映像を見ながら一緒に足踏みをします。これが1回3分間で、1分の休憩をしながら5回、計15分歩くことになり、思っていたよりいい運動になります♪JR徳島線の山瀬駅をスタートし、「阿波忌部」のゆかりの場所を巡る内容になっていました♪午後3時過ぎに終わり、そのあと買い物に・・・。それからひたすら部屋の掃除を・・・。いかに散らかっていたのかが・・・想像出来ますでしょ・・・(笑)!!(*^。^*)♪
2009/12/13
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今日は「阿波歴史民族研究会」主催の「倭国文化の原点を探るツアー」に参加してきました♪徳島県鳴門市の大麻比古神社を出発して、美馬市脇町・美馬町、美馬郡つるぎ町を巡ります!!私は途中から合流させていただきました(^-^)♪写真は・・・つるぎ町貞光・吉良の忌部大神宮の元社「清頭岡祭祀遺跡」です\(^o^)/いゃ~凄かった!!町史などでその存在は知ってはいたのですが・・・訪れたのは今回が初めてです(^-^)♪これは・・・案内していただかないと・・たどりつきません・・・。この遺跡は東西方向を向いています!!太陽は東から昇り、西に沈みます・・・。凄い遺跡を見てしまいました・・・(^-^)♪このあと「すえドンのフォト日記」にアップする予定です♪(*^^)v
2009/12/06
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徳島県美馬市脇町拝原にある「倭大国敷神社」です♪吉野川をはさんで南岸の「種穂山」の頂上付近の「のぞき岩」から見た景色です♪「倭大国敷神社」と「春日神社」の間を走る建設中の道路・・・。この道路が「拝原東遺跡」を発見しました!!ちょうど「倭大国敷神社」の前あたりから、弥生時代終末期の遺跡が発掘されたのです♪住居跡の他に・・・なんと「鍛冶跡」が発見されています!!かつてここでは「鉄器」が作られていたのです(@_@;)!!「倭大国敷神社」は延喜式内社です♪延喜式内社で「倭」が付く神社は・・・この「阿波国」のみに存在します♪奈良にも「大和坐大国魂神社」がありますが・・・「倭」ではなく「大和」なんです!!そう・・・かつての「倭」は・・・実は「阿波」だった・・・(●^o^●)♪そして・・・「古事記」の舞台も、やっぱり「阿波」だったのです♪「すえドンのフォト日記」にも写真をアップしています♪(^◇^)♪
2009/11/24
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昨日、午後から徳島県吉野川市山川町西川田にある種穂山に登ってきました♪この写真は「種穂忌部神社」のある種穂山の山頂付近から北西へ100m程下ったところから北側ほ見た風景です(^-^)♪ここには「のぞき岩」と呼ばれている巨岩が、山腹にテラス状にあります♪神代忌部が神意を占う場所だったのです♪詳しいことは「すえドンのフォト日記」に説明を載せます(*^_^*)♪地元の氏子の方達が、なんと周りの木を伐採してくれていました!!もの凄く見晴らしがいいです\(^o^)/向かいは美馬市脇町の拝原地区で、その奥は香川県との境をなす阿讃山脈です♪「拝原(はいばら)」とは、この「種穂山」「高越山」「剣山」を拝む場所という意味の地名です!!ここからは、「水の神・ミツハノメ神社」、「土の神・ハニヤマヒメ神社」が全国で唯一式内社として存在し、見ることが出来ます♪その「水の神・土の神」を生んだ「イザナミ神社」もすぐ近くに、式内社しとて全国で唯一この阿波にだけ存在しています♪ここはまさに「古事記」神話の舞台であり、「阿波忌部」にとって重要な意味を持つ場所なのです!!いゃ~素晴らしい眺めを見させていただきました!!感動です(^-^)♪
2009/11/22
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島根県雲南市大東町から見た「高麻山(たかさやま)」195mです♪「出雲国風土記」の「大原郡」条に、「高麻山~古老の伝へていへらく、神須佐能蓑命の御子、青幡佐久佐日子命、是の山の上に麻蒔き殖ほしたまひき。故、高麻山という。即ち、此の山の峯に坐せるは、其の御魂なり」とあります♪この写真の「高麻山」の左が雲南市加茂町です♪ここも凄い場所です!!卑弥呼の「三角縁神獣鏡」が出ています♪近くの加茂岩倉遺跡からは、34個という大量の銅鐸も出土しています♪「阿波」も「銅鐸」の出土が多い場所です♪「阿波」との共通点が多いこの場所・・・また訪れてみたいですネ!!(*^^)v
2009/11/19
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11月14日(土)、広島県庄原市比和町で15日(日)に開催される「水源の森ツーリングトライアル大会」に参加するために、午前7時に徳島を出発しました♪この機会に、前日は時間の許す限り、島根県松江市・雲南市の史跡を訪ねました!!出雲国分寺跡からスタートして、日没のちょっと前に、雲南市加茂町にある「神原神社」にやって来ました!!ここに「神原神社古墳」があるのです!!事前に調べていなかったため、何もわからないまま訪れました(笑)!!神社の境内の東の小高い丘のような場所に屋根が付いていました♪一見・・・ゲートボール場に見えます!!近づいてみると・・・なんとここが「神原神社古墳」でした(^-^)♪写真はここに展示していたものです♪まさに、古墳の上に神社が建っています(@_@;)!!古墳の竪穴式石室からは・・・卑弥呼の鏡といわれる「三角縁神獣鏡」が1面出土しているのです!!この石室は、徳島県三好郡東みよし町加茂にある「加茂神社」の真上にる「丹田古墳」の石室ににているのです!!島根県雲南市加茂町と、徳島県三好郡東みよし町加茂・・・。不思議ですネェ・・・。古墳は「方墳」です!!「すえドンのフォト日記」に写真をアップしています♪また改めて詳しく紹介する予定です!!(●^o^●)♪
2009/11/18
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2年ぶりに、島根県松江市東忌部町にある「忌部神社」に行って来ました♪前回、初めて訪れた時は、玉造温泉から入って「玉作」に関する場所を巡ってから、山を越えて東側の「忌部神社」を訪れました!!その時の印象は、松江市郊外の山間ぶに近い場所との認識でした(^-^)♪今回は「矢竹ランプ」で降りて、「出雲国分寺跡」「出雲国府跡」を見てら西へと進み、「忌部川」の下流からさかのぼり「忌部神社」へ行きました!!そうすると・・・山の中と思っていた「忌部」の里は、実は古代の中心地のすぐ西側だったことがわかりました(*^_^*)!!北側は、松江の中心部です!!宍道湖に注ぐ「忌部川」に沿って南側は・・・「忌部」に関係する場所がたくさんありました(^-^)♪「出雲」での「忌部」の活躍は・・・かなりだったと思えました♪「すえドンのフォト日記」に、「忌部」に関係する神社をアップしています♪(*^。^*)♪
2009/11/17
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今年で第14回大会となった「水源の森ツーリングトライアル大会」に参加するために、明日の朝から広島に向けて出発します♪私はこれまで皆勤賞で、この「水源の森」に通い続けています♪この大会の前には「お山の大将」というトライアル大会があって、これから数えると・・・もう20年近くも広島県比和町に通っていることになります♪この大会に行く時・・・私は道中も大切にしています♪せっかく広島県まで行くのですから・・・。今回も、2年前と同じコースで広島入りします♪それは・・・徳島から瀬戸大橋を渡り、岡山道・中国道・米子道・山陰道を通って、島根県から広島県へ入るのです(*^^)v島根県からの広島県入りは、これまでにいろんなルートでありまして・・・結構好きなルートとなっています(^-^)♪今回は、松江市周辺の「忌部」に関係する場所を巡るプランです♪皆さんは信じてもらえないかも知れませんが・・・出雲は、阿波の「忌部」が開拓した場所なのです(@_@;)!!私はその証拠となる場所を、トライアルに行く途中に検証しております・・・(爆笑)!!どこまで信じてもらえるかは・・・不明ですが・・・(爆笑)!!また、ここで発表しますので・・・お楽しみに・・・♪(●^o^●)♪
2009/11/13
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「すえドンのフォト日記」に「淤謄夜末神社」の写真をアップしました♪先週、仕事で吉野川市山川町祇園のお客様のところへ行った時、隣の「淤謄夜末神社」の戸が開き、神輿があったので写真を撮らせていただきました♪この神社の祭神は、速須佐之男命・櫛稲田姫命です(^-^)♪「忌部神社」の7摂社の一つとなっています♪この付近からの高越山の眺めもまたいいのです!!今回、神社の中に入れていただき、写真を撮らせてもらいます!!ラッキーでした♪(*^_^*)♪
2009/10/29
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四国・徳島のテレビ局といえば・・・「四国放送」です♪その朝の人気番組「おはようとくしま」で、10月22日に行われた川田八幡神社の秋の例大祭の模様が放送されました(^-^)!!約15分にわたって放送され・・・私もアチコチに登場しておりました・・・(^◇^)♪川田八幡神社は、古くから「忌部(いんべ)氏」の守護神として信仰されていました♪「阿波忌部」ゆかりの神社なのです(^-^)!!その歴史は古く、創立年代は不明ですが嵯峨天皇が当社を御祈願所としていのした。文治5年(1189)には、源頼朝の命で再興されたと伝えられています♪今日は仕事で行った先々でこの事が話題となりました(^-^)♪「すえドンのフォト日記」に川田八幡神社の写真をアップしています♪(●^o^●)!!
2009/10/28
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おはようございます♪全身にこころよい疲労感が・・・(爆笑)!!写真は川田八幡神社の秋祭りの神事「七十五膳」です♪この秋祭りは「川田祭り」といわれ、旧山川町でもっとも賑やかなお祭りです♪この川田八幡神社の最祭神は七十五神であり、その神々に食物を供える神事です!!こんな古くからの神事が、今なお続けられていることが素晴らしいと思います(^-^)♪「すえドンのフォト日記」に、「秋祭り」の様子をアップします(^-^)♪今日は・・・身体がギシギシといっているかも・・・(^-^)♪
2009/10/23
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三重県伊賀市の「阿波神社」です♪「すえドンのフォト日記」に「阿波神社」をアップしました♪本当に歴史は不思議です・・・。伊賀の国に、「下阿波」「上阿波」という地名があり・・・なんと延喜式内社の「阿波神社」があるのですから・・・。明日は地元、徳島県吉野川市山川町の「川田八幡神社」の秋祭りです(^-^)♪阿波も伊賀も・・・忌部のかかわりが・・・。歴史ある大例祭を楽しんできたいと思います!!(*^_^*)♪
2009/10/21
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昨日「あわぎんホール徳島郷土文化会館」で開催された、阿波古事記研究会主催の講演会「青石は語る」の会場入り口に展示されていた「青石」の「石棒」のレプリカです♪「阿波の青石」として有名な「結晶片岩」製の「石棒」が、縄文時代の終わりから、弥生時代の初めにかけて、畿内でたくさん出土しています♪そして、その生産加工基地は「阿波」でした!!「石棒」が、海を渡って畿内で出土している・・・理由は・・・???古墳時代には、畿内の古墳の石室に、「阿波」の「青石」が使用されています!!きっと「祭祀」に関係していると思われるのですが、これらが「阿波発」というところが注目されます♪「道は阿波より始まる」「阿波」は不思議な場所なんですヨ!!(*^_^*)♪
2009/10/19
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10月17日(土)、午後3時から徳島駅前の阿波観光ホテルで開催された、阿波国古代研究所主催の「古代阿波の山幸・海幸料理復活の夕べ」に参加してきました♪阿波(徳島)は、古代、天皇の即位儀式のうち、最も重要とされる大嘗(おおにえ)の祭に、「麁布(あらたえ)」や「木綿(ゆう)」のほか、調理された山の幸、海の幸が由加物使(ゆかものつかい)によって京都の御所まで運ばれ、神聖な供え物とされていました♪そんな古代の料理を復元、いただいてまいりました♪写真は「蚫(あわび)」と「大豆」を鍋に入れて焚き、塩・蜂蜜によって味付けがされています♪それが「里芋」にかけられていました♪いゃ~・・・美味しい(*^_^*)♪素朴な味ですが、素材の美味しさが最大限に引き出されてました(^-^)♪「すえドンのフォト日記に写真をアップしています♪(*^_^*)♪
2009/10/18
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三重県伊賀市、伊賀盆地のはずれに延喜式神明帳に記載されている「阿波神社」があります♪今回、全日本トライアル選手権中部大会を観戦に行くにあたって、ただ観戦だけではもったいない・・・(爆笑)!!行きは、土曜日の仕事を終えてからの強行軍で愛知県岡崎市まで走りましたが、帰りは三重県四日市市に一泊してから、ミニ鉄道旅行とこの伊賀の「阿波神社」を訪ねたのでした!!国道163号を服部川に沿って走ります!!かつての「伊勢街道(大和街道)」なんです♪立派な神社でした(^-^)♪場所は伊賀氏下阿波宮谷になります!!もう少し進むと上阿波になります(*^_^*)♪田んぼの中の一本道の先の山裾に「阿波神社」はありました♪祭神は、稚日女神、猿田昆古命、火産霊命です♪大例祭は、なんと4月25日・・・私の誕生日と同じです(^-^)♪詳しいことはまたあとで・・・。「阿波」「粟」と名のつく神社は、日本各地に存在します♪かつて「阿波忌部」が、全国に進出したあかしなのです(*^_^*)!!すごい歴史のあとが残っていますネ♪(@_@;)♪
2009/10/13
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「阿波の青石」と呼ばれ、庭石などに使われる徳島県特産の石があります♪「結晶片岩」と呼ばれる「変成岩」で、地下で温度や圧力の影響を受けて変成した岩です!!「青石」と呼ばれるものは、この「結晶片岩」の中の「緑泥片岩」と呼ばれる種類です。日本最大の構造線「中央構造線」の南側の「三波川帯」という地層にみられ、特に徳島県に多くみられます!!写真は島根県松江市の玉造温泉にある「出雲玉作資料館」で見た「結晶片岩」です♪この「結晶片岩」を使って、「勾玉」を加工していたのです(@_@;)♪この石は、徳島県の眉山から高越山にかけて産出された「結晶片岩」なのです♪古代、出雲で作られていた「勾玉」と、阿波の「青石」が関係あったなんて・・・!!これは阿波の「忌部」が出雲へと渡り、この地域を開拓した証拠になります(^-^)♪近くには「忌部神社」や「忌部」の地名がしっかりと残っています♪「青石」に関係する投稿文を書いていて、資料の写真を頼まれて昨夜整理していました。朝から硬い話で申し訳ありません(爆笑)!!(*^。^*)♪
2009/09/17
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昨夜は、徳島大学の「埋蔵文化財調査室」で「青石の考古学」という話を聞いてきました♪徳島大学准教授、中村豊氏の講義です(^-^)!!その講義の中心となるのが・・・この「石棒」です♪縄文晩期末/弥生前期初頭にかけて、「結晶片岩」製の大型の「石棒」が、阿波を中心とした近畿圏でたくさん出土しています♪この「石棒」は「祭祀用」に使用されたものです♪原料の石は、徳島県で産出する「結晶片岩」が使われています!!この岩が採れる場所が限られた地域になる為、その出土した地域を調べると・・・面白いことになります♪さらに、この「石棒」の「工房」があったであろうと思われる、徳島市の眉山の北側の「三谷遺跡」では、「完成品」や「未完成品」が出土しているのです!!この「結晶片岩」は、畿内の古墳の石室にも使われていて、「阿波」で採れる石を、何故海を越えた畿内で使われているのか・・・。「石棒」が、出土するのか・・・。阿波の古代史を語る時、キーポイントのひとつとなるのが「阿波の青石」こと「結晶片岩」なのでした(^-^)♪「すえドンのフォト日記」に写真をアップしています♪(*^_^*)♪
2009/08/28
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昼食後、運動を兼ねて自転車で吉野川市山川町の「大神宮山」まで行って来ました!!自宅からは自転車で10分とかからない場所です!!行きは坂道ばかりです・・・(汗)!!小学生の頃から面白い形の山容に、「登ってみたいなぁ!!」と思っていたら・・・中学生になってサッカー部の部活で毎日のように「大神宮山」の山頂まで走っていました・・・(爆笑)!!当時は一気に駆け上がった急な石段も・・・今は・・・ヒイヒイゼイゼイ・・・(^^~山頂には神社があります♪「すえドンのフォト日記に山頂の様子をアップしています(^^~約1時間のサイクリングとミニ登山でしたが・・・足はパンパンです・・・(^^~!!これからまたまたイラストを描きます・・・(^^~あせっています・・・(汗)!!(*⌒▽⌒*)♪
2009/04/26
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昨日の夕方、仕事で吉野川市牛島へ・・・。向麻山の北側にある、小さな祠と一本の木!!周りでは田植えが始まり、夕日が当たってきれいだったので、携帯電話のカメラでパチリ!!近くには恒例の鯉のぼりも飾られました\( ^ o ^ )/徳島にはこんな小さな祠が大切に守られています♪田圃の真ん中にポツリと離れ小島のようにあちこちに残っています(^^~吉野川市はもと麻植(おえ)郡で、忌部に関係の深い場所です!!最近気になっている事に「麻殖」の中心は???というのがあります!!忌部神社のある山川町は麻植郡の西だし、麻植郡の東の鴨島町、その鴨島町の西は「西麻殖」という地名が残っています!!じゃあ「東麻殖」はこの「牛島」あたり??もう少し東の「上浦」???鴨島町の中心部が麻殖の中心なのか・・・!!不思議がいっぱいです・・・(*⌒▽⌒*)♪
2009/04/24
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吉野川市川島と美郷を結ぶ通称「チェリーライン」から見た「粟島」です!!吉野川の河川改修工事で、この川中島の住人はすべて立ち退きとなり、現在は農地となっています!!かつては「粟島」と呼ばれ「阿波」「忌部」に関係の深い名前でしたが、「善入寺島」と改名されてしまいました!!「粟島」が「善入寺島」、「麻植郡」が「吉野川市」と変わり・・・寂しい限りです!!バックに見える三角形の山は「城王山」598mです♪山頂には「日開谷城跡」があり、付近には「木戸口「白下(城下)」「中屋敷」「鍛冶屋敷」「お倉」「大倉」「竹倉」などの地名が残っています!!山頂の本丸跡には「新田神社」があります♪山の手前は「奈良山」と呼ばれていて、日開谷に沿って香川へと抜ける峠に「大坂峠」「日下峠」・・・とっても地名も面白い場所です!!今朝も午前5時からイラストを描きます!!あと少しで仕上がりです(^^~(*⌒▽⌒*)♪
2009/04/15
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徳島県麻植郡・・・「麻」を植えると書いて「麻殖(おえ)」と読みます♪今は平成の大合併で、憶えてもらいやすいから・・・と安易な考えを押し進めた誰かさん(笑)のおかげで、歴史の意味も何も無くなってしまい「吉野川市」となってしまいました!!「地名」というものを、もう少し大切に扱って欲しいものです・・・(^^~桜の咲いた「忌部神社」の写真を撮りに行ったら、なんと「案内板」が新しく設置されていました!! これは素晴らしい事です\( ^ o ^ )/「忌部神社」の少し下の森の中にある「青樹の杜」もきれいに周りの雑木が刈られていました!!日本全国に進出した「阿波忌部」の遺跡、大切にしたいものです!!今に日本の歴史教科書の内容が変わる事にもなりかねませんもの・・・(^^~私の願望です(*⌒▽⌒*)♪「すえドンのフォト日記」に「忌部神社」をアップしています♪(*⌒▽⌒*)♪
2009/04/10
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島根県松江市西忌部町にある「忌部神社」の石段です♪出雲に「忌部神社」があると知り、一昨年の秋に行ってきました!!松江市の中心部と、玉造温泉との間、宍道湖の南岸の少し山に入った忌部川沿いにありました♪玉造温泉の「玉造」とは、「玉作」・・・そう古代の祭具の「玉」、「勾玉」の事です♪温泉街のすぐ近くに「出雲玉作資料館」がありました(^^~この「勾玉」を造る時、内側湾曲部を研磨するための道具として、なんと「阿波国」吉野川南岸の結晶片岩(青石)が使われていたのです\( ^ o ^ )/この結晶片岩は、どこにでもある石ではなくて、「中央構造線」の南側の「三波川帯」にだけ存在します!!「阿波忌部」はこの「結晶片岩」をたくみに使って祭具や古墳に利用してきました!!「阿波忌部」は全国に進出しているのですが、なんと出雲にも進出していたのです!!この「玉作」の製作を行った「出雲(玉作)忌部」と「阿波忌部」とは密接に関係していたようです♪この「忌部神社」や「忌部川」、「西忌部町」に「東忌部町」という地名もしっかりと残っていました!!「すえドンのフォト日記」に写真をアップしています(^^~(*⌒▽⌒*)♪
2009/04/09
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一昨年の秋に行った島根県松江市の「東・西忌部地区」にあった「松江忌部郵便局」です♪突然ですが「忌部」の話・・・(^_^)~「忌部」研究の第一人者の林博章氏の著書「日本の建国と阿波忌部~麻殖郡の足跡と共に~」に「阿波忌部と出雲忌部(玉作)との関係、並びに出雲国への進出」という項があります。「玉作」(祭具となる玉・勾玉)の製作を行っていたて出雲(玉作)忌部と阿波忌部は密接に関係し、阿波忌部と出雲忌部は同族か、もしくは、出雲(玉作)忌部も従えていたと考えられるとあります。その理由のひとつに、出雲玉作遺跡の全域において徳島県の吉野川の南岸で産出される結晶片岩(青石)や紅簾片岩が大量に出土することにあるとありました!!私の住む地域に特有の岩石が、海を渡って出雲にあるという事に驚き、毎年秋に広島県比和町へトライアル大会に行くついでに松江周辺をオートバイを積んだ車で廻って来ました(^^~「忌部」という地名が残り、「忌部神社」もありました♪「阿波忌部」の全国進出が知られていますが、こうした「地名」が残っている事に驚き、その行動力に感動したのです\( ^ o ^ )/私は「古事記」の舞台が「阿波国」だったと信じています。「阿波」の物語が各地に伝承として残る・・・(^^~♪可能性は大だと思います(^^~去年の秋に広島県比和町へ行った時、「比婆山」に登山したかったのですが実現しませんでした!!高速料金が1000円となって、松江までは日帰りで十分行動出来ます♪出雲を訪ねて「出雲そば」を食べて・・・いや、「出雲忌部」について、いろいろと見て来たいと思ったのでした♪(*⌒▽⌒*)♪
2009/04/09
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今日は「すえドンのフォト日記」で、安房が生んだ「最後の国学者」、小杉榲邨(こすぎすぎむら)を取り上げています♪最近、私がいつも手元に置いて読んでいる「道は安房より始まる」に、この小杉榲邨が出て来ます!!とっても凄い人なのです!!去年の4月に、徳島県立博物館の企画展で「郷土の発見 小杉榲邨と郷土史研究の曙」がありました!!そこで見た貴重な資料の一つです(^^~「安房国忌部之家系」です!!写本を転写したもので、小杉榲邨による注記があります!!昔、千葉県の房総半島の先っぽに「安房国」があるのを不思議に思っていたのですが、「阿波国」の「忌部」が黒潮に乗って房総半島にたどり着き、この地を開拓していたとは・・・!!壮大なロマンを感じてしまいます\( ^ o ^ )/(*⌒▽⌒*)♪
2009/03/02
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今日は私の住む吉野川市山川町川田にある、川田八幡神社で「百手神事(お的)」が行われました!!この神社は「忌部氏」に関係の深い神社なんです!!「百手神事」は、午前10時から午後3時までの予定で行われました(^^~1月に川田山の王子神社の「百手神事」を見ていたので、今回は1時間ちょっとの撮影で帰ります(^_^)~今回も10人で矢を放ったのですが、そのうちの6人が女性でした!!写真の被写体になるので多くのカメラマンがやって来ます(^^~一応神事はしっかりとおさめて、何回かまわったところで帰りました(^_^)~「すえドンのフォト日記」に写真をアップしています(^_^)~(*⌒▽⌒*)♪
2009/02/11
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今朝、徳島新聞を読んでいたら阿波市の八幡神社の「お的」が紹介されていました!!そこで「ハッ!!」と思い出しました!!今日は吉野川市山川町川田山の「王子神社」で「百手神事」が行われるのだった・・・!!慌てて準備をして出掛けました(^^~家から車で5分です♪「忌部宿禰(いんべのすくね)」が再建した吉野川市山川町の「川田八幡陣社」の祭礼のひとつに、奥川田地区の「百手行事」があります♪「王子神社」は川田山にあって、かつて徳島県最大の銅鉱山があった場所になります!!「阿波忌部」とは「古語拾遺」の「天中の三神と氏祖系譜」条に「太玉命の率たる神の名は、天日鷲命(阿波国の忌部等が祖なり。」とあり、太玉命が率いた忌部諸族の1つとして記され、その祖神を「天日鷲命」としています。(林博章著「日本の建国と阿波忌部」より)天日鷲命(あめのひわしのみこと)の別称は「天日鷲翔矢命(あめのひわししかけるやのみこと)」で、「弓矢を作り始めた神」として弓矢の神事と関連すると林氏は書いています。私の住む吉野川市山川町に「百手神事」があるのには、こんな事も関係していたのですネ!!このあと「すえドンのフォト日記」に「百手神事」の様子をアップしますので・・・(^^~(*⌒▽⌒*)♪
2009/01/12
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仕事でつるぎ町役場へ行きました(^^~町内の「祇園神社」で「祇園祭」が行われるというので行ってきます♪そういえば・・・今日は1月7日・・・「七草がゆ」ですネ♪徳島県の田舎の方では、このような行事が今も大切に引き継がれています(^^~午後3時から「餅投げ」が行われました!!写真を撮りに行ったのですが・・・始まるまで境内をウロウロしていて・・・見つけました!!これって・・・「忌部の立石」・・・???結晶片岩の尖った「立石」が境内の端、向こう側には友内山が・・・。貞光では吉良の吉良堂の境内で「立石」を見つけた事がありました♪(*⌒▽⌒*)♪
2009/01/07
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天橋立で名高い京都府宮津市の丹後一宮、元伊勢神社とも称される「籠(この)神社」の奥宮、「真名井神社」の横には、「倭宿禰(やまとのすくね)」の像が建っています♪「籠神社」は「元伊勢」と呼ばれていて、11代垂仁天皇の時代に創建された「伊勢神宮」の祭神である天照大神(内宮)、豊受大神(外宮)が伊勢に移遷されるまではここに居たとされています♪林博章さんの「日本の建国と阿波忌部」からの流用です。「日本書紀」神武紀に「珍彦(うずひこ)を以て倭国造(やまとのくにつくりのみやっこ)とす。」とあります。「珍彦」は神武天皇東遷の海路を導いた案内役を勤めた故に「海導者」と呼ばれ、後に「倭国造」となりヤマト王権の確立へと導いた大功労者です。「古事記」(中巻)「神武天皇」条「東遷」における「珍彦」の登場は、神武天皇が東征の折、速吸門(はやすいのと)を通りかかると、亀の背で釣りをする者と出会い、大和への海路を導いたとあります。この「珍彦」は、記紀のイザナギ・イザナミ神の国生み創世神話の舞台となった「渦潮」で名高い鳴門海峡で活躍した阿波を中心とする東四国海洋民の大将の名であったとするのが自然だとあります。阿波と丹後のかかわり・・・古代史は奥が深いです・・・!!しかし・・・「すえドンのフォト日記」にも書いてありますが・・・「真名井神社」は・・・間違っていたのでした・・・(泣)!!あぁ・・・もう一度、丹後へ行かないと・・・(^^~(*⌒▽⌒*)♪
2009/01/06
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今回の旅のもう一つの目的が、この「元伊勢籠(この)神社」を訪れる事でした!!行ってみたら・・・会社の社員旅行で神社の横のケーブルカーで展望台に登って、上で昼食を食べているんですよネェ・・・(爆笑)!!たぶん・・・籠神社にも寄っている・・・かも・・・(爆笑)!!興味がない時って・・・そんなものなんですよネ・・・(^^~11代垂仁天皇の時代に伊勢神宮が創建されていますが、祭神の天照大神(内宮)と豊受大神(外宮)は移遷されています♪その元地が「天橋立」で名高い京都府宮津市の丹後一宮、元伊勢神社と称される「籠神社」に比定されています♪詳しい事は・・・また今度・・・眠くなって来ました(爆笑)!!明日から仕事初めです・・・(^^~そろそろ寝る事にします♪(*⌒▽⌒*)♪
2009/01/04
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13日土曜日の午前7時20分頃、我が家からJR徳島線阿波山川駅へ歩いて行く途中で撮った写真です♪昨日の朝は霧が出ていて、こんな幻想的な写真になりました(^^~正面のふたつコブのようにある山の左側の山が「大神宮山」で、頂上部には「天照皇大神宮」や「御岳神社」があります!!中学生の頃、サッカー部でして(笑)・・・よくこの「大神宮山」まで走っていました!!この山は「忌部氏」が忌部山・権現山・高越山・種穂山とともに崇拝した聖なる山の一つです♪頂上付近にはかつて「大神宮山古墳群」があったそうですが、全部破壊されていて残念ながら現存していません!!また、石板状の巨石2枚が三角形になっている「交合石神社」と呼ばれる磐座遺跡がありますが、頂上付近は雑木や雑草に覆われて立ち入れず、私はまだ確認が出来ていません!!昨夜は会社の忘年会で、帰ってきたのが午後11時25分でした!!JRの列車に間に合わず・・・最終は1時間後(爆笑)、タクシーで帰って予定外の出費となりました(涙)!!(*⌒▽⌒*)♪
2008/12/14
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