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Mar 24, 2015
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   (武田勢、南下を開始する)

 犬居城の城内外は武田勢の軍勢で埋め尽くされ、旌旗、幟、指物が風に

翻っている。その光景は壮観そのものである。

 軍勢の間を騎馬武者が砂塵を巻き上げ、連絡に駆けまわっている。

 甲冑の音、兵士等の声、馬の嘶きが交わって潮騒と成って城内に聴こえる。

「壮大な眺めにございますな」  

 天野景貫がその光景を天守から眺め、思わず感嘆の声を洩らした。

「天野、励んでくれよ。余は馬場美濃守と話がある、座を外してくれえ」

 信玄が天野景貫を退け、馬場美濃守と今後の話し合いを交わしている。

「美濃、余は本隊を東南に向ける」  

 信玄が濃い髭跡をみせ断じた。

「周智郡の天方城、飯田城を陥して南下為されますか?」

 馬場美濃守が信玄の胸中を見透かすように訊いた。

「我が本隊は袋井から見附に進撃いたす。そこに水軍も来る筈じゃ」

「十分な補給を行い、家康を葬りまするか?」

 馬場美濃守の言葉に信玄が頬を崩した。

 馬場美濃守の推測通り、信玄は補給物資の搬送を陸路は少なくし、水軍

を活用する戦術であった。これなら小荷駄の数も少なく、それに要する人足、

牛馬の数も少なく出来る。

 家康の居城の浜松の東には、天下に名高い天竜川が海へと繋がっている。

 武田水軍が天竜川を遡れば、見附の手前で本隊と合流できる。

 その見附と天竜川の間に、一言坂と言う合戦に適した場所がある。

「浜松の若造、城から打って出てるかの」

 と、興味深い顔つきで美濃守に訊ねた。

「家康のこれまでの合戦を見ますれば、必ず、打って出ましょうな」

 馬場美濃守が、すかさず断言した。

「余もそう思っておる、若いが合戦を知っておる」

 信玄は思う、家康という若い武将は合戦の何たるを承知しておる。

 奴が我が武田勢に一戦もせずに、浜松城に籠城するようなれば奴の将来は

ない。武将として生きる覚悟があれば、必ず我が軍勢に牙を剥くはずである。

 三河、遠江の諸豪族も、全国各地の豪族も家康の行動を興味深く見ている。

 敗北を覚悟して戦いを挑むことこそが、家康という武将の将来が拓けるのだ。

 二人は、なおも語らっている。

「美濃、わしは勝頼に只来城と二俣城の攻略を命じた。勝頼の器量がいか程か

見たいのじゃ」

「御屋形、二俣城は面倒な城にございますぞ、天龍川と二俣川との合流点、

その崖上に築かれた堅城にございます」

「承知の上じゃ。徳川にとり遠州平野の北の要の重要拠点、城主の中根正照

(まさてる)は、なかなかの武将と聞いておる。じゃが二千の兵に手こずるよう

では、勝頼の将来も先が知れよう」

「恐れいりました」  

 馬場美濃守信春は勝頼を思う、信玄の親心を知らされたのだ。

 信玄は一人となり、一心に書状をしたためている。京の将軍義昭、近江の

浅井長政、特に念入りにしたためた相手は、越前の朝倉義景であった。

 信玄は信長包囲網の強化を図っていたのだ、これが成功すれば、信長は

家康への後詰が不可能と成る。

 徳川勢が浜松城に籠っている間に、南方に点在する徳川家の支城を簡単に

陥せる、それが信玄の上洛の戦略であった。

「御屋形さま」  

 低い忍び声がした。  

「河野か、姿をみせよ」

 何時の間にか、河野晋作が部屋の隅に影の様にうずくまっている。

 信玄は書状を丁寧に封をしながら、  

「何か急用でも起こったか?」

 と、かすれ声をかけ咳き込んだ。

「京の大殿さまと山本さまの、言付けをお知らせに参上致しました」

 信玄は、さり気ない素振りで懐紙で口を拭い、河野晋作に顔をむけた。

「余になにを成せと仰せになられた?」

 河野晋作は、二俣城に信虎が放った川田弥五郎の存在と、小十郎を伴った

ことを告げた。  

「・・・父上は恐ろしいお方じゃな」

 信玄が、ぽっりと呟いた。数十年も前から、この事あると予測しての万全な

手配りに、眼の覚めるおぼえがした。

「まず、勝頼の力量をみる。余りにも損害がでるようなら父上の申された通り、

そなたの伴った忍び者を使う」  

「はっ、畏まりました」  

 返答した河野晋作には、信玄の顔色が蒼白にみえた。

「河野、余がしたためた三通の書状を至急、義昭公と朝倉義景殿、浅井長政殿

の許に届くよう手配いたせ」  

 蒼白な顔色の信玄が眼光を炯々と輝かせている。

 河野晋作は何も問い質すことも出来ずに部屋を出た。

「ふうーっ」  

 信玄が、大きく吐息を吐き、懐中から懐紙をとりだし眺めた。

 微かに血糊が付着している。 

「京に辿り着けるか?」

 信玄が低く呟き、愛用の土瓶を使い、何時ものように薬を調合しだした。

 この薬で、余は織田徳川の連合軍を破る事が出来るのか、黙然と考え続け

た。元亀三年(一五七二年)十月十二日、武田軍団が山のように動きだした。

 城内から陣太鼓の乱れ打ちが轟いた。

 法螺貝が、びょうびょうと山々に響き渡り、武田本隊が整然と東に向かった。

 先鋒は小山田信茂、原昌胤、高坂弾正、馬場信春。二陣は武田信廉、

 武田信豊、土屋昌次、駒井昌直。脇備えとし、小山田昌辰、小宮山昌友、

 真田信綱、原隼人。後備えは、浅利昌種、跡部勝資。

 武田本隊は南東に大きく迂回し、破竹の勢いで天方城、飯田城、各輪城を

一気に攻略し、軍団を西方に向け久野城を包囲した。

 この地点は、現代の東名高速の袋井インター近くである。

 その勢いは朝に一城、夕に一城を抜く勢いであった。久野城主の久野宗能

は守りを固め、討って出る気配がない。

「軍勢を袋井と太田川の中間に進めよ、そこで露営する」

 たかだか五百名ほどの城を奪ったとて、何の益もない。信玄の下知を伝える

べく、本陣から百足衆が先陣に疾走してゆく。

 武田本隊は、信玄の下知した場所に軍団を止め休息した。

 更に十四日、二十七歳と成った勝頼は、八千の軍勢で犬居城を出陣した。

 案内役として天野景貫が、緋縅の鎧に武田菱の前立兜を被った勝頼の傍ら

に寄り添っている。

 従う武将は、穴山信君、歴戦の猛者、甘利昌忠である。百足衆も二騎従って

いた。この勢は犬居城の西の光明山の裾を通り、南下し第一目標の只来城に

向かうのだ。それ故に勝頼は逸っていた。

 一気呵成に只来城を陥とし、遠州平野の北の要の二股城へと迫った。

 時に元亀三年十月中旬の事であった。

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Last updated  Mar 24, 2015 04:43:36 PM
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