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October 25, 2007
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カテゴリ: 信仰について
信仰というものについて関心がなかった時は、どの宗教を信じていても同じだ。人間に個性があるようにその人にあった信仰をすれば良いいと思っていました。

しかし原理を聞いてからは、原理でなくては、人は救われない、ひいてはご先祖さまも浮かばれないと信じ込んでしまいました。祝福を通してしか原罪を脱ぐことが出来ないと。2世は原罪のない子女が生まれると。それ以外の道は堕落したアダム、エバよりサタンより低い霊界に行くと
おもっていました。知らないうちに驚くほどの速さで心の中に入って居座ってしまいました。
こんな危険な方法があることを、学生の時、知っていたほうがいいでしょう。

原理を聞いたとたん、その価値観で世の中を見てしまうので、おかしいと思う感覚が麻痺していました。そこから離れると、あぁマインドコントロールだったと、認められるのですが、認めることも苦しいのです。捨ててきたものがあまりにも大きいので、そこからどうやって立ち直ったらいいかわからないし、立ち直れるかどうかもわからないのです。まわりにもえらそうに言いました。地上天国がくると、祝福によって世界が一つになると、なんて単純だったんでしょう。

信じていたいのです。
それが偽りでも、過ごしてきた月日は取り返しがつかないから、もったいないし、すべてを否定するには、その中で生きてきた過去がいとおしいので、全部を否定できない。いろいろ霊的な体験もした。それがうそとは思えない。そんな体験がますます足を引っ張るのです。

それでも原理から離れられたのは、私の心のおくから湧き出る真実に生きたいという叫びでした。
原理がまちがっているかもしれない。そう思った瞬間全身に電流が走ったようでした。


うれしいことに、時はネットの時代。
そう思っていたのは私だけじゃなかった。
宗教という名前の下に存在するサタンを見つけました。
魂の驕慢
微笑を忘れた信仰
疑惑の余地がないと信じる真理
これこそ神が一番警戒しろと教えたいことだったと思った。

真実を調べることが恐ろしいと思うのは、決して信仰者の真の姿ではないでしょう。
ー休みながらでも最後までついてきたものには神様の恵みがあるよー
文さんも錯覚している神の姿を、信じてついていってもそこには何も残らない。
自分の信仰の内容を点検もしないのは、はたして信仰があると思っていいのだろうか、いわれるままに協会の支持を持つのは自分自身についてただ怠けているだけなのではないかと思う。





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最終更新日  October 25, 2007 01:05:06 PM
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真実を求める心が勝利したんですね!  
「それでも原理から離れられたのは、私の心のおくから湧き出る真実に生きたいという叫びでした。」

わたくしも同様の道を歩んできました。今もその途上です。聖書においてご自身を啓示される神の言葉をまず聴くことが一番大事です。ただし、それには信仰告白の連綿たる伝承を継承するということが大事です。なぜなら教会共同体に生きて働くまことの神が現臨してくださり、信仰はまさに聖霊の注ぎによってこそ創造される神の事件だからです。わたくしたちが真実を誠実に祈り求めることが可能とされる根拠は聖霊ご自身の意思によるものです。聖霊に起源する思いはかならず、まことの神の言葉を聴く姿勢を整えてゆくでしょう。
原理の神は、教会にいまも現臨する神を否定し、聖書を読ませないようにする異なる霊の果実を生み出します。それゆえ統一協会信者は聖書を読まなくなります。その権威を軽んじます。異なる霊の目的がそこにあります。 (October 26, 2007 07:28:39 PM)

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