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2024年3月19日、日本で大変な物議を醸しそうな書籍がアメリカで出版された。その書名も刺激的で、『日本のホロコースト:第二次世界大戦中の大日本帝国による大量殺戮の歴史』というものだ。【動画】「日本がしていたのはナチスと違い、ただの大量殺戮」...『日本のホロコースト』著者インタビュー全編を見るこの書籍は、出版前から批判を浴びていた。日本の有名ジャーナリストである櫻井よしこ氏は、この本の出版が発表された後の2023年12月29日に、Xにこう投稿している。「第2次大戦まで日本は3000万人を殺害したというとんでもない大嘘を書いた本が3月に出版予定です。『Japan's Holocaust』で、ナチスのユダヤ人大虐殺は600万人、3000万人はなんと5倍です。あまりのでたらめさ。日本政府と日本人全員が徹底的に反論すべきです」この本を書いたのは、アメリカ人のブライアン・マーク・リッグ氏。アメリカの名門イェール大学で歴史学の学士号を取得、イギリスのケンブリッジ大学の大学院で1997年に修士号を、2002年に博士号を取得している。米海兵隊で士官としての勤務した経験もある元軍人だ。過去にナチスドイツの研究で著作がある研究者で、2020年に発表された前作『Flamethrower(火炎放射器):硫黄島名誉勲章受章者の米海兵隊員ウッディ・ウィリアムズの物議を醸す名誉賞受賞と日本のホロコースト、そして太平洋戦争』では硫黄島の戦いについてまとめている。■「大日本帝国の犠牲者を否定する偏屈者だ」筆者も、早くからこの本に興味をもっていた。日本でこの本が出版されると、大炎上するのか、はたまた、歴史書として日本に新たな議論を引き起こすものなのか──。それを知るために、この本を出版したリッグ氏にインタビューを行なった。インタビューの全編については動画に譲るが、一部紹介したい。筆者がリッグ氏に、日本の保守層が黙ってはいないだろうと聞いた時のやりとりだ。先に紹介した櫻井氏が「でたらめ」と書いた投稿について知ると、リッグ氏はこう答えた。「はっきり言わせてもらうと、この櫻井という人はバカなのか。彼女はハワイ大学に通っていたということなら、英語を話せる人なので、ワシントンD.C.の国立公文書館に行って、証拠を見てくることをお勧めする」櫻井氏を「大日本帝国の犠牲者を否定する偏屈者だ」とも呼んだ。さらにリッグ氏は、櫻井氏と対談をしたいと申し出ている。■「『ザ・レイプ・オブ・南京』は学術書としては出来が悪い」さらに筆者は、日本で、中国系アメリカ人ジャーナリストで活動家のアイリス・チャン氏が日本軍の愚行を過大に記載していると批判された書いた本『ザ・レイプ・オブ・南京: 第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』を念頭に、日本軍の被害を大きく見せたがる中国や韓国などがこの本を読めば喜ぶのではないかと問うた。するとリッグ氏は、『ザ・レイプ・オブ・南京』は学術書としては出来が悪いと言い、中国や韓国との関係についても言及した。インタビューのさらなる詳細は、『スパイチャンネル~山田敏弘』に譲る。この本が物議を醸すことは間違いないだろう。現時点では、まだ日本語版の出版は決まっていない。ただどんな取材結果がそこに書かれているのか、多くの人の興味をそそることは間違いない。
2024年03月30日
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アムール川地域集団の長期の遺伝的安定性 ユーラシア人とアジア東部人両方の主成分分析で、アムール川地域の前期新石器時代の2人および鉄器時代の3人と、西遼河地域の遊牧文化の青銅器時代の1人は、ほぼツングース語族話者であるアムール川地域現代人集団の範囲内に収まる密集したクラスタを形成します。アムール川地域の鉄器時代の1人は、アムール川地域集団クラスタの範囲外となり、主成分分析ではPC1軸でわずかにモンゴル語族話者に移動していますが、この個体のゲノムの低網羅率(0.068倍)と少量の汚染に起因する歪みの可能性があります。古代および現代のアムール川地域集団は、ADMIXTURE分析でも類似した遺伝的構成を示します。 アムール川地域集団の組み合わせでは、アムール川下流地域の古代人も現代人も同様に、密接な遺伝的類似性が示されます。さらに、これらの集団が相互にほぼクレード(単系統群)であることも確証されます。例外的にアムール川地域集団に近い外部集団はシベリアのガナサン人とイテリメン人(Itelmen)で、この2集団は歴史的にアムール川地域集団関連遺伝子プールとの遺伝的交換を経てきました。またqpWave分析では、アムール川地域集団の組み合わせを外群との類似性の観点から区別できません。アムール川地域集団はアムール川地域外の集団との類似性に関して、時間の経過に伴う実質的な変化を示しませんが、厳密な意味での遺伝的連続性に関する既知の検証では、本論文の古代アムール川地域集団が現代アムール川地域集団の直接的祖先である、という仮説は棄却されます。これは、アムール川地域集団遺伝子プール内の層別化と、おそらくは現代アムール川地域集団形成期におけるアムール川地域集団間の遺伝子流動を示唆します。●黄河地域個体群の遺伝的構成の経時的変化 主成分分析では、中原の古代黄河地域個体群は、アムール川地域個体群と異なるクラスタを形成し、ADMIXTUREでは類似した遺伝的構成を共有します。しかし、古代黄河地域個体群間で、小さいものの有意な違いも観察されます。後期新石器時代の龍山(Longshan)文化個体群は、それ以前となる中期新石器時代の仰韶文化個体群よりも、中国南部およびアジア南東部の現代人集団の方と遺伝的により密接です。これは、中期新石器時代の仰韶文化期と後期新石器時代の龍山文化期の間の、黄河中流および下流地域における稲作農耕の顕著な増加の観察との遺伝的並行現象を示します。 この後の青銅器時代と鉄器時代の個体群では、さらなる変化は検出されません。アムール川地域とは異なり、黄河地域の青銅器時代および鉄器時代個体群とクレードを形成する現代人集団は見つかりませんでした。現在中原において優勢な民族集団である漢人は、明確に中国南部およびアジア南東部集団との追加の類似性を示します。中国南西部のチベット・ビルマ語派のナシ人(Naxi)は、古代黄河地域集団から、大きく減少しているものの、依然として有意な違いを示します。これらの結果は、黄河地域集団間の長期にわたる遺伝的関連を示唆しますが、中国南部、たとえば長江流域の集団の移動による稲作農耕の北方への拡大と関連しているかもしれない、外因性の遺伝的寄与の重要な軸を有しています。 中原の周辺地域の新石器時代個体群のゲノムは、黄河地域個体群の遺伝的構成が地理的に広範に分布していた、と示します。中期新石器時代となる内モンゴル自治区の廟子溝(Miaozigou)遺跡と、後期新石器時代となる陝西省の石峁(Shimao)遺跡の個体のゲノムは両方、黄河地域と西遼河地域の個体群の間に位置し、遺伝的に相互および古代の黄河地域集団と類似しています。黄河上流の後期新石器時代個体群は斉家(Qijia)文化と関連しており、類似の遺伝的パターンを示します。黄河地域農耕民とアムール川地域狩猟採集民の混合としてこれらの集団をモデル化すると、80%程度は黄河地域集団に由来します。黄河上流鉄器時代個体群のゲノムは、より高い黄河地域集団系統の割合を示し、ほぼ100%(94.7±5.3%)となります。 考古学的研究は、紀元前1600年頃後のチベット高原の恒久的なヒトの居住において、斉家文化が存在したチベット高原北東周辺の中程度の標高地域の重要な役割を示唆します。最近の言語学的研究は、シナ・チベット語族の北部起源を支持しており(関連記事)、仰韶文化起源の可能性が高い、と示唆します。混合モデリングを利用して、現代のシナ・チベット語族集団と古代黄河地域集団との間の遺伝的つながりが調べられました。チベット人は、シェルパ人(Sherpa)と黄河上流後期新石器時代集団の混合としてモデル化されますが、他の起源集団も機能します。これは、以前に報告された混合兆候の在来起源の可能性を提供します。本論文のデータセットにおける他のシナ・チベット語族集団間では、ナシ人と中国南西部のイ人(Yi)は、本論文の解像度では黄河地域中期石器時代集団と区別できませんが、雲南省のラフ(Lahu)人と湖南省や湖北省のトゥチャ人(Tujia)や漢人は、中国南部およびアジア南東部集団と関連する遺伝子プールからの影響を示します。本論文の結果は、上述の言語学的および考古学的仮説適合的ですが、他のモデルも本論文の遺伝的データの解決にわずかに機能します。●西遼河地域の遺伝子と生計の相関する変化 西遼河地域は黄河地域とアムール川地域の間に位置し、頻繁な経時的遺伝的変化を示します。中期新石器時代の西遼河地域個体群は、主成分分析ではアムール川地域クラスタと黄河地域クラスタとの間に位置します。西遼河地域中期新石器時代となる紅山文化の3人(WLR_MN)は黄河地域クラスタにより近く、その近くの遺跡の1個体(HMMH_MN)はアムール川地域クラスタのより近くに位置します。f4統計では、この両集団は前期新石器時代個体群で表されるアムール川地域集団と中期新石器時代個体群で表される黄河地域集団の中間と確証されます。 WLR_MNとHMMH_MNの両集団をアムール川地域集団と黄河地域集団の混合としてモデル化すると、アムール川地域集団の寄与はHMMH_MNで75.1±8.9%、WLR_MNで39.8±5.7%となります。同時代となる内モンゴル自治区の廟子溝遺跡の中期新石器時代個体群を考慮に入れると、中期石器時代の600kmの範囲内では、中原からの距離に比例して、おもに黄河地域集団関連構成からアムール川地域集団関連構成への急激な移行が観察されます。言語学的には、西遼河流域はトランスユーラシア諸語の起源と関連づけられてきており、アムール川地域集団と黄河地域集団の間の混合は、青銅器時代以降ますます強くなる、トランスユーラシア諸語下位集団と中国語下位集団との間の借用語の相関を見つけるかもしれません。 中期石器時代西遼河地域のこの遺伝的不均質性に加えて、西遼河地域内の経時的比較も、遺伝的変化の興味深いパターンを示します。まず、夏家店下層文化関連の後期新石器時代個体群のゲノムは、主成分分析では古代黄河地域クラスタと重なり、西遼河地域中期石器時代個体群と比較して、シベリア集団との類似性は低くなっています。QpAdmモデリングでは、主要な黄河地域集団の寄与は、第二のソースとして、アムール川地域前期新石器時代集団を用いると88%、西遼河地域中期石器時代集団を用いると74%と推定され、中期新石器時代と後期新石器時代の間で、黄河地域関連集団からのかなりの北方への流入が示唆されます。 興味深いことに、夏家店上層文化と関連する青銅器時代西遼河地域個体群は、再度遺伝的変化を示しますが、それは中期新石器時代から後期新石器時代の変化とは反対で、そのうち1個体(WLR_BA_o)は古代アムール川地域集団と区別できなくなります。WLR_BA_oはアムール川地域前期新石器時代集団と比較して、後の鉄器時代アムール川地域個体群および現代の複数のツングース語族集団と遺伝的類似性が高くなっています。WLR_BA_oは、アムール川地域集団関連遺伝子プールから西遼河地域集団への比較的近い過去の移動を表しているかもしれません。じっさい、西遼河地域青銅器時代の残りの2人は、西遼河地域後期新石器時代集団とWLR_BA_o(21±7%)の混合としてモデル化されます。以前の考古学的研究では、夏家店下層文化から夏家店上層文化への移行は、雑穀農耕により適さない乾燥した環境への気候変化と関連づけられ、西遼河地域内での南方への移動につながった、と示唆されていました。本論文の結果は、この過程の他の側面を強調します。それは、気候変化が牧畜経済をより有利として、すでに牧畜を営んでいた人々の流入につながったかもしれない、という可能性です。●まとめ 本論文は、中国北部の全てではないにしても主要な遺跡のヒト遺骸の古代ゲノムの大規模な調査結果を提示します。とくに、黄河流域の仰韶文化や西遼河地域の紅山文化といった中国北部最初期の複雑な社会に生きた人々の最初のゲノムデータという点で、注目されます。これらの地域でゲノムデータの時系列を示すことにより、各地域の経時的な遺伝的変化が検出され、外部の遺伝的起源や社会経済的および環境的変化と関連づけることができました。 限定的な食料生産を行なっていたアムール川地域集団の遺伝的構成の長期の安定性と対照的に、黄河地域と西遼河地域という複雑な雑穀農耕社会の二つの中心地では、過去6000年の頻繁な遺伝的変化が観察されます。西遼河地域の遺伝的構成は時間の経過に伴い、生計戦略の変化と密接に関連して変化します。より具体的には、中期新石器時代から後期新石器時代の間の雑穀農耕への依存の増加が、後期新石器時代西遼河地域集団におけるより高い黄河地域集団との遺伝的類似性と関連している一方で、青銅器時代の夏家店上層文化における牧畜への部分的移行は、黄河地域集団との類似性の低下と関連しています。また中期新石器時代には、西遼河地域で黄河地域集団関連遺伝的構成からアムール川地域集団関連遺伝的構成への地理的に急激な移行が観察されます。そうした空間的な遺伝的不均質性は、青銅器時代と鉄器時代の西遼河地域で持続したかもしれませんが、本論文のデータはそのように仮説を検証するのに充分ではありません。 黄河地域における中期新石器時代から後期新石器時代への遺伝的変化もまた、中原における稲作農耕の強化と関連しており、人々の拡散による生計戦略変化の別の事例を提供するかもしれません。本論文のデータセットには、中原に稲作農耕をもたらしたかもしれない集団、とくに山東省と長江下流地域の新石器時代の人々の古代ゲノムが欠けています。中国全域の将来の研究、とくに最初の農耕民のゲノムが、本論文で報告されたゲノムの代表性の検証、精細な遺伝的・考古学的・地理的規模で検出された遺伝的変化の理解、考古学的文化と言語と遺伝子の間の進化的相関の検証に重要となるでしょう。Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migrationChao Ning, Tianjiao Li, […]Yinqiu Cui Nature Communications volume 11, Article number: 2700 (2020) AbstractNorthern China harbored the world’s earliest complex societies based on millet farming, in two major centers in the Yellow (YR) and West Liao (WLR) River basins. Until now, their genetic histories have remained largely unknown. Here we present 55 ancient genomes dating to 7500-1700 BP from the YR, WLR, and Amur River (AR) regions. Contrary to the genetic stability in the AR, the YR and WLR genetic profiles substantially changed over time. The YR populations show a monotonic increase over time in their genetic affinity with present-day southern Chinese and Southeast Asians. In the WLR, intensification of farming in the Late Neolithic is correlated with increased YR affinity while the inclusion of a pastoral economy in the Bronze Age was correlated with increased AR affinity. Our results suggest a link between changes in subsistence strategy and human migration, and fuel the debate about archaeolinguistic signatures of past human migration.
2021年09月28日
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2018年4月に発表されたデータ(Y-Full Haplogroup YTree v6.02[2])によると、これまで「D*」と考えられてきたアンダマン諸島のジャラワ族、オンゲ族は、SNP(一塩基多型)に「Z3660」を持つことから、現在の国際規約(ISOGG v13.102 30 April 2018[15])上は日本人と同じD1bに属し、「Z3660」から、「Y34637」に分岐したのがジャラワ族、オンゲ族であり、「Z3660」から「M64.1」に分岐したのが日本人であることが明らかとなった[16]。[17][18][19][20]。以上がオンゲ族のWikiの記事の一部だが、より正確には、アンダマン諸島の人々は、D1b*ではなく、D1b2(Y34637)に属する。日本人のD1b1(M64.1)とは、D1bーZ3660から分岐した関係にあるが、D1b*と異なり、D1b1の直接の祖先ではない。Full Haplogroup YTree v6.02によると、オンゲ族のD1b2は4300年前に遡り、1万6000年前まで遡る日本人のD1b1よりも1万年ほど若い。縄文人の一部が4000年前ごろにシベリアからインドに南下してアンダマン諸島に定住した可能性もあるだろう。アンダマン諸島の歴史は意外に浅いのかも。さらに、最近の日本人学者らの論文(Sato et al. 2014) によると、 日本人のハプログループDの大半は D2a1 (17.4%)とD2* (14.7%)で、D1は0.1% に過ぎない。日本語の起源は縄文語または古代アイヌ語で、その起源は古代シベリア語にある。日本語の語順もアイヌ語に起源があり、両言語とも、SOV(subject–object–verb)言語で似ている。 Y chromosome haplogrouping revealed that Japanese males belong to 16 haplogroups (Table 1). O2b1 was the most dominant haplogroup among Japanese males (22.0%), and D2a1 (17.4%) and D2* (14.7%) also displayed high frequencies. Frequency distributions of the haplogroups among the nine populations are presented in Table 1, but we did not detect any marked variability among the populations. Pairwise FST values were calculated for comparison between each of the nine Japanese populations, but no significant differences were detected, except for in the comparison between the Nagasaki students and the Kawasaki students (Table 2). Although haplogroup D is subclassified into D1, D2, and D3, only D1 and D2 are observed in Japanese males (at frequencies of 0.1% and 32.1%, respectively) (Table 1).
2018年06月11日
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