もう何年も日本を離れていたような不思議な感覚。
大袈裟かも知れないけど、この5ヶ月間は本当に生きるか死ぬかの毎日だった。
今振り返っても、あの日々の中に自分がいたなんて何となく信じられない。
でも、だからこそ感じられたことも沢山あった。
ってか、まだに地に足がついていない感じだけど・・・(><)
とにかく、無事に生きて帰ってこれた事、感謝です。
自然界の厳しさ、そしてそこにある途方もない生命の美しさ。
その膝元、様々な境遇で暮らす人々との出会い。
国籍、国境を越えた繋がり。
5ヶ月前、僕は覚悟を決め誰一人、知り合いがいない場所へと旅にでた。
しかし、その先でのいろいろな出会いの全てが、疲れきっていた僕にもう一度、命を与え
てくれた。
ロスのバス停で最終バスに乗れず、夜中に沢山のホームレスに挟まれていた僕に声をか
けアパートに泊めてくれたメイガンとサマンサ。
サンフランシスコでは、そのサマンサの彼、ジョエル、兄のクリス、そしてデイブとメロディ
ーが、バースデーパーティーに僕を招いてくれ、旅の疲れは吹っ飛んだ。
ヨセミテで出会った湖のほとりでハーブを奏でる老人は一人で旅する僕の事を心配し、沢
山の事を教えてくれた。
マーセドからユージーンまでの11時間を共に過ごしたアメリカンインディアンのジョー、彼
の右腕にはお婆さん、左腕には勇敢な戦士だった彼のお爺さん、そして首には
「MODOC」と彼の部族の名前が彫られていた。彼とは深夜バスの中、潰れた食パンを2
人で分け合って食べた。彼は5年間の刑期を終え家族のもとへ帰る途中だった。
「No more trouble」
彼は穏やかな顔でそう言っていた。
ポートランドで長距離パスのパスを盗まれたその日、職を探し入ったレストラン、そこで
僕を助けてくれたウェイトレスのREI、彼女は日本語を教えてくれるならと、約1ヶ月間友
だちと暮らすアパートの一室を僕に提供してくれた。普通じゃありえない話しだ。
彼女は14歳の時に父親の虐待から逃れ、ストリー トで暮らしていたという。それから10
年経った今、彼女もそして彼女の父親もそれぞれを受け入れながら、必死に生きている。
モー、ハッピー、スティーブにカルメン、マギー、皆、沢山の笑顔とアドバイスをくれた。
仕事を探す僕に仕事をくれると言った売人のジョニー5(ファイブ)勿論断ったけど・・・。
でも、そんな優しさがありがたかった。
飛び込みで頼んだのに仕事をくれたストーンワークスのジョン。
シアトル、タコマで僕を泊めてくれた老夫婦、おばあちゃんの温かさに祖母を思い出した。
小さな砂漠の町メッリットでは、夜テントを張れる場所を探していた僕に声をかけ、自分の
アパートに泊めてくれたシェリーン、一緒に太鼓を叩き唄った。
彼女は麻薬に溺れた彼氏を必死に助けようと努力し疲れきっていた。そんな彼女は僕の
ペットボトルに「smile,peace,happiness,truth」と書き込んでくれた(このペットボトル
は旅の最後まで大切に使った)。だれもが皆、自分も辛いのにとことん優しかった。
そして、フェンセスブリッジで僕を拾ってくれたトラック運転手のデイブ、そして奥さんのリン
ディアは僕にぺンキ塗りの仕事をくれ、本当の親子のように接してくれた。
共に働いたハッパ大好きなマッチョマンケヴィン。彼のお陰で何とか期日までに塗り終え
る事が出来た。
アラスカボーダー近くの小さな村に住む部族、ホワイト・リヴァーネーションのみんな、彼ら
と過ごした数日は最高だった。 貧しい中で助け合う仲間達、ないものから人に与えてくれ
るその優しさ。キャンプファイヤーとギター、もう兄弟だ、そう言って
「ウルフ・ザット・ウォークス」 別れ際、そんな栄誉ある名前まで僕に授けてくれた。
そしてカムループスのシェルターで出会った、インディアンのクリス、スティーブ、ゼイン、
皆、みんないい奴らだった。
そしてケベック出身のジャギ、彼は僕よりもかなり年上だったけど、
昔からの友だちの様に毎日を彼と共に過ごした。朝は必ずシケモク拾い。彼は町の公園
を知り尽くしていた。昼寝に適した公園、読書に適した公園、シケモクがもっとも多く取れ
る公園などなど。彼は毎日に感謝しながら1日をシンプルに楽しんでいた。よく公園でそん
な彼と話した。
彼は17歳の時から17年間を刑務所の中で過ごし、その後20年間打ち続けた
ヘロインを(刑務所の中でも)身体から抜く為、彼は周りの反対を押し切りメタドン治療を
拒否した。そして自らの力で薬を絶った。ストレートでだ。その想像を絶する過酷な闘病の
末、彼の左眼は潰れてしまった。まだ40代の彼の顔は皺だらけで彼の人生を物語ってい
た。彼は「何でもストレートがいいんだ」そう言っていた。
とにかく彼の笑顔は優しく、穏やかで一緒にいると安心した。
拾った大事なシケモクをバラシ、煙草を巻いてくれた。
煙草を巻きながら「my life is smork!」そう言って笑っていた。
「Thank you my friend」それが彼の口癖だった。
苦労したんだろうなぁ・・・・、僕は何となくそう感じた。
過去にどんな犯罪を犯していたとしても、僕にとって今、彼は「友だち」だった。
いくつもの出会いや別れを繰り返す旅の途中、前に進まなきゃいけない僕には別れを惜
しみ泣いている余裕はなかった。荷物を背負い、親指を上げ、また前を向いてハイウェイ
を歩く。とにかく前に進む。進んでいると安心した。
不安な時も、歯を食いしばって歩いた。
それは、次にやってくる新し出会いに笑顔で答える為だった。
でも、ジャギとの別れの時だけは違った。
僕らは別れ際、それぞれの人生がより良くなるようにお互いに祈ることを誓った。
その時、僕は涙をこらえる事が出来なかった。
そして、その日、僕は生まれて初めてピンク色の太陽を見た。

その後も沢山の人と出会い、互いに語り合いそしてまた別れた。
今、思えば言葉はそれほど重要じゃなかった。1対1で向き合って話している時に
僕は言葉の壁を感じた事は1度もなかった。本当に思い一つだけで通じ合えた。
人と人だ。
沢山の出会いの中、今ここに書いたのは、ほんの僅か。
今回、何十年分かの出会いをこの5ヶ月で全て果たしてしまったかの様だった。
そしてその全ての出会いは奇跡であり僕にとって大切なものだった。
そしてその殆どは、ただの「通りすがりの出会い」ではなく、見えない力に引き寄せられた
かの様な必要な出会いだった。
「時間」では無く「直感」だけを信じた事が良かったのかもしれない。
僕にとって出会えた皆がメッセージだった。
何度、重い荷物をハイウェイに投げ捨てようと思ったことか・・・。
でも、今回、諦めるわけにはいかなかった。諦めるのは死ぬ時だと決めていた。
多分、自分の中での限界はとっくに超えていたんだと思う。でも、そこを越える度に奇跡が
起こった。
限界のその先には何かが必ず待っていてくれた。
そして、結果Alaska との国境に辿りつくことが出来た。
実際は日本への帰りのチケットを持っていなかったため、完全な入国は出来なかった。
所持金も200ドル弱。でも、イミグレーションの人は僕の事情を知りパスポートにスタンプ
を押してくれた。そして「ここは、もうアラスカだよ。ボーダーから100mは越えてる。」
そう言った。僕はもう充分だった。
何もない広大な景色を前に、僕の頭にはそこまで僕を繋げてくれた人達の顔が次々と蘇
った。
僕はアラスカに辿り着いたという喜びよりも、そんな彼らに出会えたことに改めて感動し
心の底から感謝した。
そして自分との約束をはたし、自分自身に証明することが出来た。
やっぱり愛は溢れている、そして僕の中にも・・・・。
今、この瞬間もきっとその全ての関係は響きあっている。
悲しい現実、どうしようもなく根の深い問題。
多々あれど、やっぱり、世の中には愛が溢れている。
心の求めるままに素直に動いた時、まるで魔法の様に物事が驚く程スムーズに動いた。
それは「奇跡」だった。
そして、その全部は大きくて、偉大で、優しさに包まれていた。
僕は今回の体験をまとめ、出来る所から発信していこうと決めた。
誰かの為じゃなく、彼らから学んだ事。
生きることを僕自身がもう一度楽しみ、そして忘れない為に。
ジャギがこう言っていた。
「ヘイ、マイフレンド、いつか日本のクソガキ共にオレの話しをしてやってくれないか?こん
んなオレでも誰かの役に立ちたいんだ。」って・・・。

2010/4/22~9/21
L・A(us)~Alaska border~vancouver(canada)~pekin~tokyo~shizuoka
Hitch hike (merritt~alaska border~vancouver 6500km)
zankin 100円
上等!!
『This is my choice☆』 Dec 28, 2012
『飛ぶ☆』 Dec 16, 2012
『一人キャンプ☆』 Oct 17, 2011