第二回:『アイデンティティー』


見れば見るほど、アイデンティティーと紛争の問題を考えさせられる作品だ。

アイデンティーとは何か?アイデンティティーとは自分を形作る「ここに属している」という感覚だ。
自分は自分である・・・。自分とは何か?
自分は男である、女である、ゲイである、或いはバイセクシャルであると言う性の問題から、自分は日本人である、英国人である、地球人であると言った国、地域を中心に形成されるアイデンティティー。
さらには、イデオロギーや信仰で作られるアイデンティティー。自分は仏教とだ、キリスト教徒だ、はたまた共産主義者だ、ネオナチだ・・・。私達、個人個人のアイデンティティーは、この「私はここに属している」と言う意識が複雑に絡み合い、時には矛盾しあい形成され発展している。

アイデンティティーは自分が見出すものか、或いは社会が作ってるものなのか?
最初に社会化の過程がある。教育、しつけ、日常生活を通して自ら吸収する情報の数々。そして、自我が出来た地点でそれらの情報を鵜呑みにするか、批判的に捕らえるか情報の「選択」がある。しかし、全ての社会・人間にこの選択肢が在るわけでは決して無い。しかも人間は大小の差はあれ、過去の情報や経験に囚われがちだ。さらに、人間は自分の行動の正当化の為にアイデンティティーを意識的・無意識的に操作する術までも心得ている。

社会が望むアイデンティティーを自分の中に育む。これは、社会からのブレインウォッシュを受けていることと差ほど変わりはない。

こうして、自分が信ずるもの、思想、国、社会、夢・・・に固執し、自分(達)とは違うアイデンティティーとの対話を絶った時、紛争が起きる。小さなレベルで終わることもあれば、国が推し進めるアイデンティティーを保とうとする意思の集合がイデオロギーとなり国際的なレベルに発展する衝突もある。

イデオロギー衝突やアイデンティティー衝突が、憎しみを生む。その憎しみが膨らみ時には暴力となる。そして暴力は悲劇を生み、悲劇がイデオロギーやアイデンティティーを強化し、新たな憎しみを生んでいく・・・。

この紛争のメカニズムは、どんな社会に出も見受けられる。
国やヒトラーの様な思想家などが新しいアイデンティティーを生み出し、人々を操作することも多々ある。

今のアメリカを見ても、イスラム諸国を見ても、文明間の対話が欠けているのは明らかだ。そして非常に危険な状態でもある。どちらが正義か、悪かと言う水掛け論は通用しない。正義や悪の定義は、地球上に居る個人個人によって違う。
「(先に)暴力(を振るった相手)が悪い」と結論をつけてしまうと、何故暴力が生まれるのか?何故憎しみが生まれるのか?と言う問題を問うことも、分析することも出来なくなってしまう。何にでも「原因」と「結果」がある。
政治の世界では、相手を非難し、攻撃し打ち負かす事が求められるが、そこには原因を見つけ出す力は無い。アメリカひとり勝ちのこの世界で、何億もの人々がアメリカの政策に不満を持ってる事が憎しみを生み出し、9月11日を迎えた可能性はきわめて高い。聖戦を名乗り復讐を誓ったところで、憎しみを膨らませるだけかもしれない。

AMERICAN HISTORY X はアメリカのネオナチと黒人との対立を描いてはいるものの、「これだ!という答え」はあえて出していない。それは恐らくアメリカ社会だけではなく、どの社会にでも通じる普遍的な社会問題を観客自身に考えさせたい製作者の思惑が伺える。
このような意味で、この作品は、World Conflict History X、なのかもしれない・・・。

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