彼女と私(物語のはじまり)





 仕事を辞めて、一ヶ月と10日。季節は七月に入っている。

 私は、ムシムシと暑い部屋で、エアコンのスイッチを押そうかと悩んでい

た。この日当たり良好な部屋は、冬はとっても暖かく快適で、昼間は暖房な

ど無用なほど、西日が入って暖かい。-でも、夏はちょっとしたサウナ状態

になる。ダイエットを始めたい方は是非、この夏私の部屋で過ごしません

か。

 私は、フローリングの床に寝転んで、中山美加に「この小説を読みなさ

い!」と、強制的に渡された恋愛小説を読んでいた。これも、彼女から与え

られた宿題。

 読んでいる小説は、村山由佳と言う人が書いた『天使の卵』。年下の男の

子が、年上の女性と恋に落ちると言う話らしい・・・。(最初の2ページにも満

たない私には、これ以上の解説は無理)

 そもそも・・・。生まれてこの方、小説と言うモノをちゃんと読破した経験の

ない私には恐ろしい位の苦痛な宿題で、子供の頃なら、夏休みの最終日まで

後回しにしたいくらいだ。

 そう言えば、一冊だけ読んだ(?)小説があったけ。赤川次郎の『ふた

り』。これを読むのに、一ヶ月余りの時間を費やしたんだ。最後のページを

読み終えた頃には、ほとんど物語のあらすじが、鳥頭の中でチンプンカンプ

ン状態で、物語の内容で感動したと言うより、自分が小説を読破した行為

に、熱く感動したオチがある。

 しかし、こんな私にも、神様は救いの手を差し伸べてくれた。この小説、

映画化されていたんだよね。レンタルで、DVDを見つけた時に私は、迷わ

ず手に取り、テレビ画面に噛り付いた。-なるほど・・・。こんな内容だったん

だと、遅い感動を味わうことが出来た訳。

 とにかく、私はフローリングを転がりながら、あれこれとポーズを変え

て、宿題に取り組んでいるのだ。



 携帯電話が机の上で、ブルブルと踊って鳴った。

 この着信音は、安藤美琴だ。私は友人一人、一人を違った着信音で設定し

てある。(変なところでマメなのだ)

「もしもし!」

 と。私は携帯電話に出た。

「美琴だけど・・・。今、大丈夫かな?」(相変わらず、透き通ったキレイな声

だ)

「もちろん!暇人だし」

「ハルに話と言うか・・・。報告したいことがあるんだけど」

「今日、良かったら会って話がしたいけど、時間作れるかな?」

 少し気になる発言だ。

「何?ミコ・・・改まって」

「ちょっと電話では・・・」

「時間は売るほどあるから大丈夫だよ」

「良かった・・・」

「じゃあ。ハルの好きな駅前のカフェで待ち合わせで」

「え?ウチに来れば良いのに!」

「うん・・・そうだけど。久し振りに、あのカフェのコールド・コーヒーが飲み

たいしね」

 ちなみに、コールド・コーヒーとは、私の行き付けのカフェの夏季限定の

メニューで、コチコチに凍らせた氷状のコーヒーに、ミルクを入れて溶かし

ながら飲むのだ。これ、本当に美味しいんだよ!

「三時にカフェで待ってるね」

「うん!了解」

 と。私は答えた。

「それじゃあ・・・後でね」

 電話を切った。



「でも・・・何で、ワザワザ近所のカフェで待ち合わせなんか・・・」

 そうかぁ!-恐らく、この散らかった部屋を彼女が訪れることで、必死に

なって掃除をする私を見越しての、彼女の優しさに気が付いた。

 本当。昔から、そう言う心使いは変わってないよね・・・彼女。中山美加なら

間違いなく、突然前ぶれもなく、部屋のチャイムを押して、上がる込み「私

の部屋よりキレイだ!」と、カラカラと笑うだろう。-別にそんな事は、私

は全然気にしないけどね。

 約束の時間までに、二時間以上はある。床に置いた小説を拾い上げ、私は

難解な宿題を解き始めた。




 約束の時間五分前に、カフェに到着した。

 中に入ると、店内のお客の雰囲気で、美琴が居ることが分かった。一人の

お客の目線を辿ると、その先に美琴は居た。

 店の一番奥に在る、四人掛けのテーブルで、美琴はコールド・コーヒーを

ストローで回しながら、午後の陽射しに照らされていた。私に気が付くと、

ハッとするような微笑を私に向けた。

 女性の私でも、心を奪われるほどに、美琴の美しさは群を抜いている。腰

まである長いストレート髪は、亜麻色に輝き、端正な顔立ちに、形の良い少

し先が尖った顎。風が吹けば、揺らめきそうな長いまつ毛に、ハッキリとし

た二重のまぶた。髪の色と同色の瞳は深く澄んでいる。唇は、優美なバラの

花びらを連想させた。肌は、抜けるように白く、キメ細やか。

 もしも、ビーナスが涙を落としたなら、その雫は彼女に変貌するのでは

と、思えるほど。

 身長は、相変わらずスラリと高い。子供の頃は、彼女と並んで会話するの

に、私は何時も見上げるように話していた。しかし、今は、奇跡の成長のお

陰と、ヒールの力を借りて、何とか対等の目線で話が出来るようにまで至っ

た。



「ごめん!待った?」

 私は、美琴の正面の椅子に腰を下ろした。座ると、彼女より少し高い目線

になる自分にちょいヘコんだ。

「私も、少し前に来たところだよ」

「ワザワザ、呼び出してごめんね」

 美琴は、本当に申し訳なさそうな顔を私に向ける。

「ミコ!そんな事をいちいち気にするな!」

 私は、とびっきりな笑顔を作って見せた。

「ありがとう」

 美琴は、その笑顔に答えた。

 ウェイトレスが注文を聞きに来たので、私もコールド・コーヒーを頼ん

だ。

「ところで・・・。報告って何かな?」

「happyな事?それとも・・・Badな事?」

 実の所、美琴の電話を切ってから、私なりに色々と考えて見たけど・・・。思

い当たるフシが無いのだ。美琴の過去の出来事を考えると正直、不安でたま

らないのだ。

「そうね・・・。どちらかと言うと、happyかな」

 長いまつ毛を揺らして笑う。

「そうかぁ!そうかぁ!」

 私の不安は嬉しい誤算となった。

 美琴は、自分のバックをゴソゴソと探り、一枚の紙を取り出した。それを

私の前に差し出す。それは、新幹線の乗車券だった。

「これ・・・。新幹線の乗車券だよね?」-あ!私は、その行き先を見て、全て

が理解できた。

 行き先は『尾道』。

「そうか。ついに行くんだね!」

「うん!」

 力強く美琴は頷いた。

「本当・・・。決断するまでに、二年も掛かっちゃったんだけどね・・・」

「そうだね・・・」

 美琴のこの二年の歳月は、切なく、苦しい時期だった。そばに居ても、そ

の心の痛みは私にまで伝わるくらいに・・・。暗闇の迷路を灯りも持たず、見え

ない出口を求め、歩き回り、イバラにひきつめられてた道で足は裂け、転

び、身体からは真っ赤な血が溢れ出る。そんな痛みの中に、美琴は居た。

「彼・・・。きっと、今も美琴を待ってるよ!」

 私は美琴の手を握り締めた。

「うん・・・。待っていてくれると良いけど・・・」

「大丈夫だよ!絶対に待ってるよ。ミコが来るのを!」

 美琴の不安を払いのける。

「うん!そうだよね」

 その瞳が潤んでいる・・・。-多分、私も同じだ。

「それで・・・何時、尾道に行くの?」

「明日。朝一番の新幹線で」

「随分と急な話だね・・・」

「そうだね・・・。でも・・・また逃げちゃうといけないと思って・・・私」

「ここに来る途中で、旅行代理店に寄って、あれこれと予約を入れて来た

の」

「そうかぁ!ミコにしては上出来だぞ!」

 美琴の頭を優しく撫でた。

「あははっ。ありがとうハル」

「美加さんにはもう話したの?」

「まだ。仕事で連絡が取れないから、メールで送ったけどね」

「そうかぁ!美加さんも喜ぶぞ!」

「多分・・・おみやげ期待してるぞと、メール入るよ」

 と。私が言うと、美琴は吹き出した。

「あははっ。言いそうだよね」

 それから、しばらくの間、私達は心地よい時間を共有した。

 私が、夕食を一緒に食べようと提案したが、美琴は明日の準備がまだ出来

ていないと言う事で、今日はこのまま帰ると言った。



 美琴を送る為に、私は駅まで一緒に歩いた。

 改札口で私は「気を付けて行って来るんだぞ」と、声を掛けた。

「本当に、色々とありがとうね」

 美琴は、私の目を見つめて言った。

「帰ったら連絡するからね!」

「うん・・・」 

「行って来ます!」

 彼女は、私に向かって手を振り、背を向けて改札へと歩き出した。

 その後ろ姿を見て、私は思った。これまでの美琴は、どこか弱々しく、何

時も不安に包まれていた・・・。でも、今の美琴の後ろ姿は、何故か力強く見え

た。足取りもしっかり、真っ直ぐに歩いて行く。

「そうか・・・。美琴の物語はまた始まったんだ」

 二年前に、自ら放棄してしまった美琴の物語。でも・・・。また、美琴は物語

を始める為に歩き出した。

 私の目は、どんどん涙で霞んで行く。

「がんばれ・・・がんばれ・・・ミコ!」心の中で何度も叫んだ。



 部屋に戻ると、もう薄暗くなっている。照明を付けて、机の上に置いた小

説を手に取った。

 一人の親友が物語を始めた。・・・私は?

 でも、正直、焦りは無かった。美琴も長い時間を費やしたように、私も自

分の答えが見つかるまで、ゆっくりと歩いて行こうと思う。

 私は、私の時間の中で、それを見つけれれば良いのだから・・・・。











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