青い空から吹いた涼しい風





5.夜空に咲く華


 参道の両脇には、おもちゃ箱をひっくり返した感じに、いろいろな屋台が

並んでいる。二人は、先ほど誘惑に負けて買ったリンゴ飴をかじりながら、

ひとつひとつの屋台を見て回る。しっかりを手を握り、二人は人の群れの中

を歩く。それは、ちょっとした迷路のようで、ふと目の前の空間を抜けると

思いもよらない場所に出るのだ。二人は、さながら探検でもしているかのよ

うな気分にさえなって。ラビリンスに彷徨い込んだ、お姫様と言った感じな

んだろう。

「ねえ、ねえ!どっちが可愛い?」

 と。春菜は、お面売りの屋台の前で立ち止まり、セーラームーンのお面の

横で言う。

「うーん・・・」美琴が顎に手を当てて考えるポーズ

「ちょっとー!普通はハルだよって即答しないかなぁ?」春菜は、ふくれ面

で言う。-もちろん本気で怒っている訳じゃない。

「両方とも可愛いから、迷っちゃった!」

 と。美琴は、フォローを忘れない。

「あははっ。それならば許す」まんまと、美琴の策略にはまり、上機嫌な春

菜。お互いよく知るモノ同士の知的な遊び。

 春菜は、美琴の手を握りまた、人混みで出来た迷路の中を歩き出す。

 美琴は思った。-自分の手をしっかりと握り締めている春菜の手。私がは

ぐれてしまわないように・・・。私がそばに居ることを確認するよう

に・・・。ハルの優しさが手を通して伝わってくる。

「ありがと・・・。ハル」-その声は、人混みの雑踏の中で消えた。

「-えっ何か言った?」

 春菜は立ち止まり、美琴の顔をのぞき込むように見た。

「何も・・・」

 恥ずかしそうに、首を横に振り、美琴は答えた。

「あ!そろそろ、花火大会が始まる時間だよ!」ピンクのバンドの腕時計

を、美琴の前に差し出した。

「もう、二時間も経ったんだね」

 思わぬ時間の経過に美琴は驚いた。

「これが学校の授業だったら、恐ろしいくらいに時間が長く感じるのにね」

春菜は、大袈裟に両腕を広げて見せる。その仕草に思わず美琴がくすりと笑

う。

「ねえ!どうせだったら、川原まで行って見ない?あそこだったら、仕掛け
花火も見えるしね」

 珍しく、美琴からの提案に春菜は「うん」一つ返事で同意した。二人は、

さっそく川原へと駆け出す。



川原まで歩いて10分のところ、二人はわずか5分で到着していた。

「はぁはぁ・・・。ミコ、走るの早すぎだよ・・・」

「良くも下駄で、そんなに器用に走れるもんだ」

 手でウチワを作って、顔に風を送りながら、春菜はぼやいた。

「下駄ってさぁー履きなれたら、意外と良いのよね」得意顔の美琴。

「知るか!」口を尖らせて春菜。

 漫才にも似た会話を繰り広げながら、空いている場所を探す。花火を見物

するには、絶好の場所ともあり、川原は早い時間から、場所取りをしている

人が多い。どこもかしこも人が一杯の状態で、中には家族でバーベキューを

楽しんでいる人も居るほど。それでも二人は、どこか空いている場所は無い

かと歩き回った。

 そんな二人に、初老の夫婦がよければ一緒に見ないかと、声を掛けてくれ

た。二人は、その好意に素直に甘える事にした。

 地面に直接敷いた、ビニールシートに座ると、ひんやりと気持ちが良い。

親切な夫婦と何かと雑談を交わしている中、轟音とともに一発の打ち上げ花

火が天に昇った。それを合図に、夜空には無数の光の華が咲き乱れる。

 美琴は、その光景を夢中で瞳の中に焼き付ける。

 ふと、隣に座る春菜が気になり、横を見ると、春菜の瞳の中にもそれがあ

った。春菜は、美琴の視線に気が付いてか、不意に横を向き、美琴を見つめ

「綺麗だね!」と言った。そのキラキラした表情に美琴は、喜びを感じた。

-本当に良かった・・・。ハルと花火が見れて。

 夏の夜空に、咲いては散る大輪の華たち・・・。時折、吹く風が二人の髪

を優しく揺らしていく。



6.暗い夜道で・・・


「終わったね・・・。ミコ」

「うん。花火終わっちゃったね・・・」

 最後の花火も打ち上がり、花火大会も終焉となった。みな、それぞれ帰り

支度を始め、その光景はアリの巣をつついた感じの状態。二人は、親切な夫

婦にお礼を言い、その場を離れた。

「本当に、楽しかったよね!ミコ」

「だね!」

「来年も絶対に一緒に見ようね!」

「うん!ハル」

「約束!」

 二人の小指が宙でかさなり合う。

 春菜とは、二人が通う中学校の近くで別れた。元気に手を振り、春菜は

「またね!」と、美琴に言った。「うん!またね」-春菜が去り、急に寂し

い気持ちが心に落ちた。それは、静かな水面に雫が落ちて波紋が広がるよう

に。

 違う感情が美琴に生まれる。気が重くなって来ている。自宅に近くなるほ

ど、次第にそれは重みを増してくる・・・。

「お母さん絶対に怒っているよね・・・」溜息のように呟く。-急いで、家

に帰ろうと美琴が走り始めた時、その影は突然に現れた。

「女の子が、こんな遅い時間に一人で歩いていると危ないよ」-一人の男が

美琴の前に。

「-もう、自宅に戻るところです・・・」

 突然の出来事に、美琴の鼓動が速くなる。

「それなら、おじさんが家まで送ってあげよう」

「大丈夫です・・・。一人で帰れますから」

 美琴は、男の横を通り過ぎようとした。が、男は突然、美琴の腕を掴ん

だ。あまりの恐怖で足が震え、下駄がもつれ転びそうになる。男は、美琴の

体を支えるように抱き締めた。薄暗い月明かりの中、男の顔はニヤニヤと笑

い、その顔はまるで悪魔のようにも見える。

「-ほら、夜道は危ないと言ったろ」

 男は、美琴の顔に自分の顔を寄せて、くんくんと美琴の髪の匂いを嗅い

だ。

「-やめて下さい・・・」精一杯に声を上げようとするが、自分の思い通り

に声が出ない・・・。

「そんな声じゃ、誰にも聞こえないよ」-抱き締める手に力が増した。

「おじさんとちょっと、静かな場所で話そうか」男は、美琴の体を引きずる

ように、中学校の校舎脇に建てられた体育館の裏へと。




 体育館裏は、外灯も無く暗闇に包まれている。普段でも、滅多に人が来る

事も無く、まして、夏休みの夜遅い時間。その男が言う、静かな場所にこれ

以上に適した場所はない。

 周りは、シンと静まり返り、男の荒い息だけが聞こえる。美琴の体は、体

育館の外壁に押し付けられた格好で。その体は恐怖の為に、どこかが壊れて

しまったかと思うほど、ガタガタと大きく震えていた。

「そんなに震えなくても良いんだよ。-大丈夫。痛いことはしないからね」

 男の手が顎を押さえた。唇が美琴の唇へと迫ってくる。

「嫌ぁー!誰か助けて!」

 美琴は初めて叫んだ。その声に弾かれたように、男は力まかせに美琴を地

面へと押し倒した。ビリッと美琴の肩口で布が裂けた音がした。

「誰かぁー!助けて!」懸命に、男の体を振りほどこうともがく。刹那、美

琴の右頬に激しい痛みが走る。-男が殴りつけた。頭の中がしびれたように

ジーンとする。

「嫌ぁ!嫌ぁ!」

 男の手の平が、美琴の口をふさぐ。美琴は、その甲を力一杯に噛み付い

た。また、右頬に痛みが走る。意識が遠くなって行く・・・。口と鼻の中で

鉄のサビた臭いが広がる。

 浴衣の裾がはだけ、白い太股があらわに。男は、美琴の胸元をこじ開けよ

うと力を入れる。

 その時、懐中電灯の光が二人を照らした。

「誰だ?そこで何をしてる!」

 その声に、男は飛び跳ねるように美琴を残して、一目散に逃げ出した。後

に残された美琴は呻くように「助けて・・・」と、光に向かって手を伸ばし

た。

「大丈夫か?」

 懐中電灯に浮かぶ美琴。その顔は、無残にも右頬は腫上がり、唇は大きく

裂け、血が滲み出ていた。

「安藤?安藤じゃないか!」-聞き覚えのある声。美琴のクラスの担任の先

生。

「先生・・・」美琴は、その姿にすがり付き大声で泣いた。

 まだ、ガタガタと大きく震える肩をしっかりと抱き締め「もう、大丈夫だ
からな!先生が居るからな!」と力強く。

 その優しさに満ちた声に「うん!うん!」と大きくうなずく。



 職員室のソファーで美琴は、氷を入れたタオルで腫れた頬を冷やしてい

た。ケガの手当てを先生がしてくれたお陰で、唇から出ていた血もようやく

止まった。しかし、傷の痛みはズキズキと、痛みを増していく。

 先程まで、警察官が来て、色々と事情を聞いた行った。先生は、たまたま

その日は当直の当番で、夜の見回りで校舎の中を巡回している途中で、美琴

の叫び声を聞いて、その場に駆け付けてくれたそうだ。

 美琴自身も、警察官に色々と質問されたが、恐怖のあまり何も覚えていな

かった・・・。実際、男の顔すらハッキリとは見てはいなかった。ただ、暗

闇に浮かぶ薄笑いの男の表情を思い出すと、今でも震えが襲ってくる。



「安藤。自宅に連絡をしたんだが・・・。ご両親、迎えに来れないそうだ」

「-そうですか・・・」

「心配するな!先生がちゃんと家まで送っていくからな」-先生は、優しい

笑顔で、美琴の肩に手を置いた。

「-先生。ありがとう・・・」

 美琴の目から、大粒の涙が流れた。



 自宅へと向かう帰り道。先生は、美琴の手を優しく握って。美琴は、その

手の温かさに安堵した。

 美琴の片手には、鼻緒が切れた下駄が・・・。もう、その下駄は楽しげな

音を出してはくれない。手にぶら下がり、宙でふらふらと揺れるだけの存在

となっていた。



 自宅に戻ると、母の幸子が玄関口に出た。-美琴は気が付いた。母の右目

の横にうっすらとアザが出来ているのを・・・。

「電話でお話をしたように、娘さんを叱らないでください」

「娘さんは被害者ですし、かなりの精神的なショックを受けています」

「-はい」幸子はうなずいた。

「何かわかったら警察の方から連絡が来ると思います」

「ご家庭で、十分に娘さんをフォローしてあげて下さい」

「先生。本当にご迷惑をお掛けしてすみませんでした」-幸子は深々と頭を

下げた。

「いえ。とにかく、娘さんの無事が何よりです!」

「-ところで、お父様はまだ帰られてないのですか?」

「-はい・・・」-嘘だ!リビングからは、野球中継の音が聞こえるし、お

母さんは、お父さんにきっと、私の事で叩かれたんだ!

「安藤。もう大丈夫だからな!今日は、ゆっくり睡眠を取って、明日は念の為に病院に連れて行ってもらうんだぞ」

 美琴の両肩に手を置き、先生はニッコリと微笑んだ。

「-はい」

 美琴が答えると、頭を優しく撫ぜて先生は、学校へと戻って行った。



「どうして、あなたは親にこんなに心配を掛けるの!」

 幸子は、平手で美琴の頬を叩こうとしたが、その無残にも腫れた傷を見て

やめた。そして、美琴の腕を掴み、リビングへと押し入れた。

 リビングで、野球中継をビールを飲みながら観る、父親の姿がそこには在

った。

「ちゃんと、お父さんに謝りなさい!」

 幸子は、力強く美琴の背中を押し、安藤の前に立たせた。

「-お父さん。お母さん。心配を掛けて本当にごめんなさい・・・」父の安

藤は、無言のままテレビを観ている。後姿なので、その表情はわからない。

「-でもね・・・」

「でもね?何!」幸子は、ヒステリックに言葉を返した。

「-私。襲われたんだよ・・・。犯されそうだったんだよ!殺されるかと・・・」

「本当に・・・。本当に怖くて・・・」

「それはあなたが悪いんでしょ!」

「言うことを聞かないで、外出するから!」-その言葉に美琴の何かが弾け

た。

「そうかもしれない!だけど、それとは問題が違うじゃない!」美琴の顔が

怒りで熱くなる。

「あなた!何を屁理屈を言ってるの!」

「屁理屈なんかじゃない!娘が本当に親を必要としている時に・・・。すごく、傷ついている時にどうして!どうして迎えに来てくれなかったの!」

「娘よりも、野球中継の方が大事なの!そんなにお父さんが怖いの!」

「答えてよ!お父さん。お母さん」

「あなた・・・。何を言い出すの・・・」-困惑した表情の幸子をよそに、

安藤はテレビのボリュームを大きくした。

「もう・・・。もう良いよ!」

 美琴はそう言い放ち、二階にある自分の部屋へと駆け上がった。その後ろ

姿に、母が何かを叫んでいたが無視した。

 コップに残っていたビールを一気に飲み干し、安藤は立ち上がり「風呂に

入るから着替えを頼む」と言い残し、リビングを出て行った。

 幸子は、それにうなずき、安藤の着替えを取りに、自分達の寝室へと消え

て行った。つけっ放しのテレビからは、楽しげに家族がドライブをするクル

マのCMが流れていた。



 暗い部屋で美琴は、ベットに座り、一人同じ言葉を繰り返し呟いてい

る・・・。

「もう絶対に、あの人達の前では泣かない」

「私は絶対に、いつかこの家を出て行くんだ」

 膝に置いた手の上に、一粒の雫が落ちた・・・。

 美琴は、ベットの中に潜り込み、必死で唇をかみ締めて涙を堪えた。握り

締めた手の中で、爪がその手の平に食い込む。

 次の日の明け方まで、その呻きにも似た、美琴の声がベットの中に響き渡

っていた・・・。



                          続




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