一生、保険と一緒

一生、保険と一緒

2003.12.20
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カテゴリ: 私の人生
さとちゃん_室井イメージピクチャ


小学校2年ともなると記憶がかなり多い。両親の離婚という大事、人生の節目が来てしまった。

母親の実家に暫く住ませて貰い今後の方針を練った。(母がである)

学校が替わって初めての登校日にこう言われた。訛りが無くて綺麗な言葉ね。この時日本の広さを初めて知った。

給食は変則的だった。ご飯持参、おかず支給。多くの家庭が何らかの形で農業に関わっていたので、ねぎやキャベツを学校給食の為に提供していた。私はねぎを持たされる事が多かった。私はそれが嫌で堪らなかった。バスに乗ると臭ったからだ。

帰ってからの遊び友達は転校生にもかかわらず多く出来た。実家がかなり有名な由緒ある家系だったからだろう。
名字が同じ家庭が多かったため、ファーストネームで呼ぶ事が多かった。老いも若きもである。じい様は何処何処の甚平さん~とか、誰々さんちの勉君とか・・・
昔ながらの広い家が多く藁葺き屋根は高級家庭だった。
遊びに行っても広い広間で広々と遊んだ。狭い部屋で篭って遊ぶ事は無かった。



叔父が先生をしていたせいか客が多く、酒が入った後なのに車で帰る客もいた。しかし車が少なかったせいか事故も無く平和だった。

何時しか2年生が終わり母親の就職と共に2回目の転校を迎えた。






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Last updated  2004.03.01 20:24:14
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