2013/01/29
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カテゴリ: 古代史系の妄想
前回は舎人親王の父親天武天皇も、母方の祖父天智天皇も傍系皇統だったのではないか?
と疑惑を持ちました。

それだけであれば、正式な皇統は持統・元明・元正とつづく女帝が正式皇統であり、
舎人親王が天皇になれなかった理由も納得できます。

ひとつ残された疑問は息子の大炊王が淳仁天皇になったことです。

この事実が、天智天武傍系皇統説のアキレス腱なのです。

淳仁天皇はこの藤原氏隆盛期に藤原氏の血を引かない天皇として即位しました。
もっとも藤原仲麻呂が自分の亡き息子の嫁(粟田諸姉)をあてがうなどして、操り人形化されてはいましたが、粟田諸姉も藤原氏ではないわけですから、藤原氏は淳仁天皇の子供の外戚とはなりえなかったわけで、理解に苦しみます。

ところで、淳仁天皇は舎人親王の57歳の時の子供です。


淳仁天皇は舎人親王の実子でしょうか?
私は大変無理がある年齢設定と思います。
天武-舎人-淳仁の親子関係です。

私の仮説はこうです。

1.舎人親王は天武天皇の実子ではなく、藤原氏の血を引いている。
2.淳仁天皇も舎人親王の実子ではなく、正当な皇統の血を引いている。

この仮説が立証できれば、

A.舎人親王の藤原氏よりの行動
B.なぜ舎人親王は天皇になれなかったのか
C.なぜ淳仁天皇は藤原氏の外孫ではないのに天皇になれたのか?

の疑問が一気に解決します。








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Last updated  2013/01/29 02:49:55 PM
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