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前回の日記からまた一ヶ月も経ってしまいました。
きょうは、ある年の6月に起こったJAL機のトラブルを書いてみます。
飛行機で色々な所に旅行していると、『あぁ、もうダメなんじゃないか』とか『揺れて揺れてもう落ちるんじゃないかと思った』というような経験をお持ちの方もいらっしゃると思います。
これを読んで下さっているあなたは、今まで何か危険な目にあったことはありますか?
私は『揺れた』経験なら、台湾上空でジェットコースターも真っ青の目にあったこともありますが、あとは普通の揺れ程度で、飛行機に乗っている割には運がいい方なのかもしれません。
でも、この日ばかりはとても運が良いとはいえないツアーの添乗に出てしまいました。
『エーゲ海クルーズとアルプスシャトー9日間』。普通のツアーになるはずでした。
PAX構成はハネムーナー6組とおばさま3人組、それにAL(一人参加)の女性が1名の総勢16名+添乗員1名。
6月25日モスクワ系由PARIS往き JL441便 12:00 成田出発 → 16:45~17:55モスクワにて休憩 → 19:40 PARIS着 の予定でした。
そして25日普通に到着後、26日午前中からPARIS市内観光が入っていました。
それが、私は飛行機のことについては全くわからないのですが、モスクワに向かっている最中にどうやら第4エンジンが作動しなくなってしまったらしいのです。なんでも、全部で4つついているエンジンのうち一つくらい故障しても飛ぶことができるそうなのですが、この飛行機はモスクワに到着したら最後、もうその日のうちに再び飛び立つということはなくなってしまったのでした。
それも最初のうちは、それほどのこととは思わず情報も入ってこないため、よくあるちょっとした遅れだろうとタカをくくっていたのですが...以後、その日の添乗レポートからです。
17:55 モスクワ出発予定時刻だが、機体は少し滑ったような気がしただけで、すぐに止まってしまった。 キャプテンより機内へのアナウンス 「第4エンジン不調のため出発が20分程度遅れる見通し」
キャプテン
「かなりの時間を要する」
「出発はかなり遅くなる」
キャビン及び機体の様子 機体が少し後ろにバックし修理に入ったような様子。機内では飲み物サービスが始った。
止まったままの機内でディナーのサービスが始った。
キャプテン 「修理の部品がソ連内にない為、今日中の出発は絶望的になった」
スチュワーデスはディナーの片付けを済ますと、「地上の職員と交代いたします」と言い残して全員降機。
しばらくすると、係員として、地上の女子社員が一名、機内に乗り込んできた。
キャプテン 「今、代替機の交渉をしているところ」
暫くたったあと、キャプテン 「代替機の手配ができたが、アエロフロート機の為、機材が小さく、全員乗れない」
このあたりからでした。機内がザワメキたってきたのは...
ファーストクラスには偉い政治家が乗っていて、しかも大事な仕事があったらしく、職員と激しく揉めています。外国人の方もかなり激昂して、職員につかみ掛かっている男性もいました。
後でわかったのですが、うちのツアーに、海外特派員の方が含まれていて、この方は始終黙って機内の様子を、そしてJALの出方を見ていたようでした。(この男性は後々、パリの駅構内をお弁当の乗ったカートを私と一緒に押しながら全力疾走することになる方なのでした)
一方、この飛行機には2グループのツアーが乗っていて、一つは私達。
あと一グループはJALパックでした。
JALパックの方は男性添乗員で、二人で「何としても片方のグループだけが先に行くというのは避けましょう」というような話をし、今後のことは同業者同士結束してお客様をできるだけイライラさせないように、情報を共有しましょうということになりました。
地上職員より「非常に申し上げにくいが、代替機の手配ができないし、モスクワ市内のホテルも人数分の確保ができない為、今晩は機内にてお泊りいただくことになった。飛行機の部品は明日の昼頃届くので、パリに向けての出発は明日の午後2時半頃になる予定」とのアナウンス。そして、JALパック添乗員と私が呼ばれ、「今回のお詫びとして、特別なオプショナルツアーをつける」ということでした。(でも、これは、パリにいる間は事故処理係と連絡が取れず、処理は会社にまかせてスイスへと移動しなければならなかったのでした)
私は動きがとれず、電話ができないので地上職員に託して、○○○パリ支店に連絡をとってもらったのですが、支店が閉まっていて、今後のガイド、バスの配車、レストランの変更などが支店の社員宅からJAL職員を通じて入ってきました。
うちのお客様は別に差し迫った用事がある方もいない為比較的平和で、読書をする人、眠る人...という感じでしたが、「ツアーの終了を一日ずらしたらどうですか?」と言う方もいらして、そんなことになったら、何カ国の手配を変更するのか想像しただけでも気が滅入るし、ありえないことなので、私としてもそれはないと断言しましたが、皆一様に、パリが一泊潰れた分はどうなるのですかと心配なさっていたので、集まってもらい、可能な限り日程は埋め合わせ、回復させる旨をご説明しました。
しかし残念なことに、こうした航空機の事故や悪天候によるツアー日程の遅延については、会社としては保証の範囲外であることもお話しなければなりませんでした。
このような時に、うっかり「申し訳ございません」というような言葉は発しないように注意しなければいけません。後々困るのです。
ハネムーナーの方には特に、人生の出発がこのようなことになり、お気の毒で申し訳なく思いました。
機内にはビール、ジュースがダンボールでバンバン大量に積み込まれて、飲み放題。ギャレーのコーヒーなどは皆、すでに勝手に操作して飲み放題になっていました。
食事はモスクワのターミナル内の『レストラン藤』が午前3時まで開放となりましたが、これもはっきりとした案内があったわけでもなく、JALパックの添乗員と私が口伝で知ったことでした。メニューは、ラーメン、カレー、おにぎり、おそば、うどんといったもので、食べ放題でした。
『あぁ、私もお腹がすいた、ラーメンが!ラーメンが食べたい!本当だったら、今頃パリのホテル、Lutetia Concordeのフカフカのベッドの中なのに...』と思ったところで、パリのムーランルージュのオプショナルツアーの集計を取っていなかったことに気がつき、あわててターミナル内や機内にいらっしゃるお客様一人ひとりに尋ね、走り回りました。集計が終わると地上職員に託したのですが、これは何故か電報を打ったようでした。
皆さん「ペンギンさん、もう藤のものは食べ飽きましたよ」とか、「土産がこけしばっかり...」なんて、グッタリしていらっしゃいます。
さて、一夜明け機内はというと、トイレの水は正常に流れますが、飲み水やトイレ内の手を洗うきれいな水が尽きています。従って、歯も磨けない状態でジリジリとした時が流れていきます。
夕べ怒っていた政治家はどうしたのでしょう。外国人は?
どうやら皆、諦めた様子...
お昼になり、そしてゆっくりと、お昼が過ぎてゆきます。もうお腹が減っているのかどうかもわからなくなりました。
機体の様子は、やっと部品が届き修理が行われている模様。
13:30 機内清掃をするので全員機内から出てほしい、とのこと。
14:30 夕べと同じクルーが乗り込んできて、私達を機内へ迎えました。クルーは全員さっぱりと、良く寝た顔だ!(そうだろう、そうだろう)
そして、15:30 修理を終えたJL411便はパリに向かって飛び立ちました。
パリの遅れはパリにいるうちに取り戻すということで、自由行動は当然削られ、予定を大幅に変更して、ハードな日程になりました。
実はこのツアーはこの後、まだまだ大変だったのですが...
長編にお付き合い下さいまして、ありがとうございます。
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