下流国際結婚トレビア~ン

上海母娘セレブ紀行


◇セレブの理由◇

大きな声では言えないが、セレブ体質である。 
たとえば旅行では、団体ツアーには絶対入りたくない。
24時間サービスが行き届いている高級ホテルに泊まりながら、
自分のペースで行きたい場所にいく。
それも一日に、多くて二箇所くらい回れればいい。
基本は好きな本を読みながら、
清潔な大きなベッドでゴロゴロしたい。 
異国という場所で、ぐうたらした日々を過ごすのが、
私の好きな旅行である。

君島十和子さんあたりが、

「タヒチでは、普段忙しくて読めなかった本を数冊もっていき、
ビーチサイドで読んだりします。観光は、あまりしないですね」

とか発言していたら、なんとも様になるのだが、
貧乏なのに体質だけセレブなのは、
ただタチの悪い厄介な女である。
しかしながら、セレブ体質なのには、理由がある。
ツアーには「入りたくない」のではなく、 「入れない」のである。

……トイレが近いからだ。

「田丸さん、私が膀胱炎になったときと同じくらいのペースで
トイレにいきますね…。大丈夫ですか…?」
と驚かれるくらい、近い。

一般の膀胱の持ち主には、 一生かけてもわからないであろう私の苦労……。
寝ているときは我慢できているのだから、
膀胱の方は頑張れば我慢できるのかもしれないが、
精神の方がもたない。

ツアーで長時間、
トイレのないバスに揺られなければならない恐怖がわかるだろうか。

バスに乗り込む前、
ギリギリまでトイレにこもり、
パンツをはいた後、
「いや、もう一度」とパンツを脱いでしぼりだし、
またパンツをはいては「いや、もう一度」としぼりだすのを繰り返している。

……誰からも見られない個室の中で、私は確実に狂っている。

こんなことを、ツアーの最中、
観光スポットでバスが止まるたびに繰り返すのだ。
観光より膀胱に意識のいく旅行が、楽しいわけがない。
それに加えて、空気が読めない。
友達と二人で旅行にいったら、確実に嫌われる。
心優しい友達なら、笑って許してくれるだろうが、
そんなに心優しい友達は失くしたくないので、
友達と海外旅行に行くのは、
この先一生、避けていきたいと思っている。

だから、一緒に旅行に行くのは、

「この自己中女の親の顔がみたい…あ、私か」と、
諦めてくれるような相手、
つまり母でなければならない。

その母(天童よしみ似)が、
「マイルがたまったから」と、
ツアーでない旅行に誘ってくれたのだから、
行かないわけがない。

行き先は、母の好きな上海だ。


数年前、中国好きの母に、
雲南省に連れていかれたことがある。

中国で一番貧しい省とささやかれる秘境の地で、
私は病気になった。

乾燥した空気、口に合わない料理、
揺れる小型飛行機、クネクネした山道の長時間ドライブ。

極めつけは、
美しい民族ダンスを披露してくれた美しいお姉さんが、
ドアもない異臭漂うミゾの上で、
お尻を丸出しにして用を足していた、
中国トイレ事情目撃のカルチャーショック。

結果、私はかつてないほどの高熱をだすハメになった。

現地では体温計がなかったのでわからなかったが、
家に着いてちょっと体調がよくなったと思えるくらいに熱を測ったら、
39度あった。

帰国から一ヶ月後に、
「SARS」なるウイルスが世間をにぎわせた。
発生地は、雲南省の隣の省である。
私はSARSにかかった唯一の日本人だったと、密かに自負している。

というわけで、
中国=苦しい思い出なのだが、
上海は、中国の中でも一番発展している高級な場所。
雲南のようにはなるわけはないと、
中国リベンジの気持ちで、上海行きを喜んだ。

旅行の前も旅行中も、
大切なのは母の機嫌をとることだと言い聞かせていた。

雲南省で呼吸も苦しく熱に浮かされている横で、
「せっかく連れてきてあげたのに。虚弱体質なんだから(怒)」と、
母に見捨てられかけた恐怖。
健康を害してしまったとき、
右も左もわからない中国で、
母に見捨てられることだけは避けなければならないと、
私の本能がうったえていた。

幸いにも、旅行の数日前が「母の日」だったため、
私は真夜中に四時間かけて母への手紙を書いた。
自分でも書きながら涙してしまうような感動的な内容の最後に、
オチャメな様子で「上海旅行、楽しくなるようにしようね。
病気になったら看病してね(笑)」
と添えた完璧な手紙ができた。
母も最後に、「病気になったら看病します」と書いた
感動的な返事をくれた。
母と娘の愛は厚いかと思われた。

だが旅行前夜、
私が残業をして、夫へのカレーを大量に作り置き、
荷造りをして、成田に近い実家に来たのが23時頃だったため、
母はあの手紙の感動も忘れて怒っていた。
実家に向かう電車の中で、
母から
「明日は6時に起きます。上海はずっと前から決まっていたでしょ。
荷造り先にしておけばもっと早く来れたはず。
イライラムカムカ」というメールをもらったときの私の怯え。

出発の朝も母の機嫌を損ねてはならないと、
動作の鈍い私が必死に家を片付けたり、
機敏に必死に準備をした。

上海旅行は、ビクビクと共に幕を開けた。


◇セレブとグルメ◇

語学が苦手な私だが、
今回、いくつかの単語を覚えて帰ってきた。
歯ブラシは「牙刷」と書く。
牙を刷る。覚えやすく、納得である。
シャンプーは、「香波」。
髪から香りが波のように漂うイメージだ。
ボディソープは「浴露」。これも美しい。
そして私たちの名字「田丸」は「ティエンワン」と読む。
これは、中国語教室に一年間通った母が、
「ニーハオ」と「シェイシェイ」以外に、
唯一覚えてきた中国語である。
旅行の最中、母はこれを多用していた。
レストランの予約をするときに、
「タマル」と名乗ったあと、
「ティエンワン、ティエンワン」と
必死な様子で発音し、
スタッフを混乱に陥れる母。
いい加減、「ティエンワン」が全く通じていないことを学べばいいのに、
母は最後まで「タマル」のあとに
「ティエンワン」を添えることをやめなかった。
「ティエンワン」に負けず、
冷静に「タマル」のローマ字スペルを聞いてきた
優秀なスタッフがいるレストランが、『音』である。

錦江飯店の中庭に面する場所にあるオシャレなレストラン。
橙色の間接照明の中、
重厚なアンティークの調度が映える、
表参道あたりにあってもおかしくない内装。
広い店内は、多くの外国人客で賑わっていた。

雑技団鑑賞の後に入ったので、
時間は九時を過ぎていた。

時差は一時間なので、
日本では十時になる。

お腹が減りすぎて気分が悪かったのだが、
注文した料理どころか、ビールさえも出てこない。
入り口のところでは、
長髪の日本人らしきおどおどした男性が
待ちぼうけをくらっている。
客をあんなに待たせるとは何事だ。
日本の居酒屋チェーンの方が、
数百倍教育が行き届いている。
と、頭痛と空腹も手伝ってイライラしてしまった。

その上、やっと出てきた料理は、
異様にしょっぱかった。
海老の蟹ミソ炒めと、フカヒレと蟹のスープは、
両方とも同じ蟹ミソの味がした。
フカヒレも海老も、濃すぎる蟹ミソのせいで台無しである。
ガイドブックでは、
「化学調味料は使わず、
素材の持ち味を生かした料理はどれも逸品揃い」
と紹介されていたのだが、
少なくとも、
フカヒレと海老の持ち味は生かされていなかったと断言しようか。
上海ヤキソバも多少パサパサしている上にしょっぱい。
逆に高菜炒飯は味がなさすぎる。
高菜炒飯と蟹ミソを交互に食べればちょうどいい味になるのだが、
厨房で交互に食べる計算までしてくれていたのなら脱帽だ。

「しょっぱいね」を母と連呼しながら、
ふと入り口の方を見ると、
あの日本人らしき長髪の男性が、
まだ待ちぼうけをくらっているではないか。

これはひどい。ひど過ぎる。

彼の哀れさを母に伝え、
振り返って見てもらうと、
「お客さんじゃなくて、個人ツアーの運転手なんじゃない?」と。
母の言うとおり、
隣の席で食事していた日本人の男女が席を立つと、
一緒に店を出て行った。
なるほど。
自分の客が帰るまで、入り口のところで待っていたのか。
なんと忠実な運転手なのだろう、と感心してしまった。

食事が終わり、デザートに。
キュウイと共に浮かべられた杏仁豆腐も、
固くて味がなくて、
つまりおいしくない。

「おいしくないね」を母と連呼しながらデザートを口に運び、
ふと入り口を見ると、
あの長髪の男性が、また入り口に立っていたので、
杏仁を吹き出しそうになった。
しかも今度は客席に侵入してきて、
机の位置を微妙に直したりしている。
もしや座敷童子だろうか。

最後に店を出るとき、
彼は私たちを見送ってくれた。

恐る恐る「オーナーですか?」ときくと、
彼はおどおどした様子で「はい」と答えてくれた。

入り口で待ちぼうけを食わされていると、
私ごときに心配されていた彼が、オーナー……。

入口に突っ立って店の様子を眺めるよりも、
机の位置を微妙に直したりするよりも、
どうか厨房に行って料理の味を確かめて欲しい。

この店の行く末を心配しながら、
「すてきなお店でした」と微笑みを浮かべ、
私と母は店を後にした。




三日目のランチ。
ヌーベルシノワの料理が有名な『黄浦会』のトイレにて撮影↓
□(写真)□
シノワズリ雑貨で有名なアナベル・リーのトイレにて撮影↓

□(写真)□


◇セレブと上海蟹◇

「上海って何があるの?」と、
旅行前、何人かの人にきかれた。

「…えーっと…上海蟹?」
としか答えられない知識レベルの自分が情けなかった。

「上海って何があるの?」と、
旅行の後、何人かの人にきかれた。

やはり「…えー…上海蟹?」
としか答えられない私は、
上海で何を見てきたのだろう…。

しかしながら、「上海蟹?」のあとに、
「上海蟹って、すごく小さいんだよ!」と
興奮混じりに説明できるようになった。

上海といえば上海蟹しか思い浮かばなかった私は、
「この旅行で上海蟹さえ食べられれば満足」と思っていた。
なので、着いた初日の夕飯に、
上海蟹店に行くことだけは必死に主張した。
『王宝和大酒店』は、
250年を経た老舗中の老舗である。
1744年に創業され、
現在は上海蟹の一流店として国内外でその名を知られている。
母が「日本でいう吉兆みたいなものね」と、
いらぬ説明で一抹の不安をよぎらせてくれたが、
老舗なら、
最高の上海蟹をだしてくれると思って間違いないだろう。
ホテルの5階にあるその店は、
西太后の館(勝手なイメージ)を彷彿とさせる内装。
感動にひたりながら通された席に、
「……?」となる私たち。

明らかに、明らかに、
廊下の片隅に即席で設けられた席なのだ。
バスでいう補助席みたいなものなのだ。
豪華な個室と厨房の間を、
怒鳴り散らしながら行き来するスタッフが
ひっきりなしに通るのが見えて、
ちっとも落ち着かない席なのだ。
豪華な個室から携帯片手に出てきた、
ビール腹の成金ぽい中年男性が、
私たちの隣でガハハと電話を続けている。
廊下でモソモソご飯を食べている私たちの存在など、
どうでもいいようだ。
金曜日の夜の当日予約だったということと、
予約時間が20時と遅かったから仕方ないのだといい聞かせ、
みじめさに気づかないフリをする。

席はともかく、料理は美味しかった。

肉汁たっぷりの熱々小龍包、
柔らかな歯ごたえのあるアワビは舌に至福の時を与えてくれ、
マーボー豆腐は
永谷園のCMをしている和田アキ子に教えてあげたいくらいの絶品だ。
これはメインの上海蟹も期待できる…!

満を持して登場した上海蟹に、
「……え?これ…?」と動揺を隠せない私がいた。

直径15センチほどの小さな丸い皿に、
沢蟹みたいなものがちょこんと乗っている。
上海蟹について抱いていたイメージは、
毛ガニくらいのドーンとした蟹が、
皿の上で、花や緑で豪華に彩られ主役を飾っている……
いや、イメージではなく、
ガイドブックでは、確かにそういう写真で紹介されていたはずである。
大きさは写真マジックで目の錯覚だったとしても、
せめて花くらい添えてやって欲しかった。
何の彩りもなく、
たった一匹、ちょこんと白い皿の上にいる上海蟹は、
「いやはや、つかまっちまいましたよ…」と、
いつ呟いてもおかしくないような哀愁を漂わせている…。

上海蟹の食べ頃は秋から冬。
メスは卵をたっぷり抱える10月が、
オスは蟹ミソがいっぱい詰まった11月が狙い目らしい。
……私たちが行った5月は、
オスメスどっちも狙い目じゃないどころか、
季節はずれだから、
上海蟹もこんな残念過ぎる扱いを……?
それとも客が私たちだから……?

……蟹ミソが、おいしかった…少ないけど…。
手とかに詰まった身は…
小さくてあんまり食べれなかったけど…おいしかった…と思う…。 必死に小さな蟹をほじくってる最中の自分は、
精密機械を作る機械工を彷彿とさせた。

そして、メニューに値段が書いていないお店の、
恐怖のお会計。
……たった四品しか頼んでいないのに、
一万円を軽く越えていた。

「日本人だからぼったくられたのかな…?」
「アワビが高かったのよ、きっと…」
「そっか…」
「吉兆だから、仕方ないわよ…」
「そっか…」



呆然と店を後にしながら、それでも私は、
上海で上海蟹を食べたことに、誇りを持とうと思う。


王宝和大酒店を出た後、徒歩で外灘へ。
予想以上に遠かったけれど、文句なくキレイな夜景に、疲れも忘れて大感動↓
□(写真)□


◇セレブとビューティー◇

コン・リーやチャン・ツィイーはアジアを代表する美女だ。
「上海は中国一の経済発展都市なのだから、
コン・リー並の美女がうようよいるに違いない」と思っていたが、
残念ながら滞在中に、
コン・リーを見つけることはできなかった。
彼女たちは遠い世界の映画スターであり、
選ばれた人間なのだと、
化粧っ気のない上海の女の子たちを見て、改めて思った。

現代日本では、
一般女性とアイドル及びお水女性の外見の差は
昔より縮まったかと思う。
「隣のお姉さん」みたいな普通の女の子が、
実はアイドルだったり、
実は風俗に勤めているのが当たり前の日本。
一方、上海の一般女性と、
お水女性たちの容姿の差はまだまだ歴然である。
『音』で夕食を食べ終えた、
上海二日目の夜十一時過ぎ。
ホテルのロビーを、
IT企業社長風の男に寄り添いながら、
颯爽と歩く美女二人組を見た。
二人とも、ミニスカートにハイヒールのスラリとした容姿。
メイクをしない上海の女の子たちを見慣れていたため、
彼女たちのメイクは強烈だった。
睫毛が通常の三倍ほどモサモサとなっている彼女たちの目元を、
通りすがりに凝視してしまった私は、
一歩間違えば江頭2:50になりかねない、
スパッツにスニーカー姿。
「透けてないかしら?」と
不安げに何度も尋ねてくる母は、
リラックスのためブラジャーをはずし、
乳が完璧に透けているTシャツ姿。

高級ホテルに不釣合いな
安宿の娼婦風に変身した我々が向かうは、
ホテルから徒歩三分のマッサージ店、『水秀坊』である。

ホテルから近いという理由だけで、
肩凝り症の母娘が一日目から通った『水秀坊』は、
実に不思議な空間だった。
……ひと言で言えば、「マッサージの館」…?
三階建ての建物の部屋すべてが、
マッサージ用の個室になっている。
といっても、豪華絢爛な館ではなく、
電源がショートしたり、
トイレが汚かったり、
ベッドはなんとなく湿っていたりと、
不安がいっぱいの館なのだ。

マッサージ師たちには番号が割り振られており、
皆「カタイ」「イタイ」など専門的な日本語を発し、
観光客との距離感を縮めてくれる。
マッサージが終わると
「自分は52番だからまた指名してくれ」と言って、
お金を受け取り去っていく。
個室からでると、
おそろいの赤いポロシャツを着た、
年若い男の子たちが桶を洗いながら談笑している。
マッサージの訓練生だろうか…?
このマッサージの館で、
一人の男の子が多くの客をつかみ、
成り上がっていく……。
『女帝』や歌舞伎町ドリームと照らし合わせて考えてみると、
なんとも魅惑的な建物に見えてくるから不思議だ。


別段有名でもない『水秀坊』の看板の前で、
母娘が交互に写真を撮る意味がわからない↓


□(写真)□     □(写真)□

さて、マッサージをしてもらっているときに、
一番必要なのは、リラックスである。
理想は、会話などせずに、
全神経をマッサージしてもらっている箇所に集中させ、
気持ちよさを満喫することだと思うが、
ソファに座りながらの足裏マッサージのときは、
マッサージ師さんと向かい合ってしまう気まずさゆえに、
会話せざるを得ない。
言語がちがう者同士、
互いに片言の英語を駆使しながら対話するマッサージの時間は、
いつしか初心者英会話教室の時間に代わってゆくから不思議だ。


私 「(片言英語)何人くらいのスタッフが働いてるんですか?」
技師「全部で33部屋です」←噛み合ってない
私 「わあ。そんなにたくさん」←噛み合った


互いに相手の顔色を伺うような、
探り探りの会話をしていて、
しかも会話が盛り上がったような演出をしようと気を配る心理状態で、
リラックスできるわけがない。

私の足をマッサージしてくれた男の子は、
眉毛が太い若い男の子だったのだが、
中国で放送される『クレヨンしんちゃん』の話になったとき、
「あなた、クレヨンしんちゃんに似てますね」
というジョークを言おうかどうかずっと迷っていた。
目の前の相手は、
果たしてどこまでジョークが通じる人物なのか考えている心理状態で、
リラックスできるわけがない。

結局、『水秀坊』にいった翌日は、
なんだか体が疲れていた。

だからこそ、
最終日に行った
『バンド・ファイブ・スパオアシス』のマッサージの極上さが身に染みた。
値段は水秀坊の三倍だが、
その価値は充分にあった。
日本で受けたらさらに三倍の値段だと思えば、安いものだ。

通されたのは、
雨の外灘と黄浦江対岸の夜景を一望できるVIPルーム(セレブ旅行にて、初めてのセレブ扱いに感動)。

ローズの香りのアロマオイルを体にたらし、
強い力を込めた指先で、
筋肉をほぐしてくれるオリエンタルマッサージの
気持ちいいことといったら。
さすが「高いマッサージ技術が好評」と
ガイドブックで謳われていただけある。
若く可愛らしいエステティシャンの女の子に
「YOU最高だよ!」と感動を伝えたい気分だったが、
リラクゼーションミュージックが静かに流れる空間に、
言葉は似合わない。
体がほぐされていくことに集中できる、
静かなるひと時。
まさに求めていたものが凝縮された空間だった。


と、突然、
隣でフェイシャルの施術を受けていた母が言葉を発した。
「私、眉毛と目は、アートメイクだから、クレンジングしても落ちません」
静かな空間に湧いて出た突然の日本語に、
母を担当していた女の子は混乱したようだ。
目を閉じているので女の子の表情は見えないが、
慌てふためいている様子が伝わってくる。
「眉毛と目は、アートメイクだから、落ちません」
ゆっくり繰り返しても、
通じないものは通じないだろう。

女の子は「ちょ、ちょっとお待ちくだサイ」と、
日本語のわかるスタッフを呼びに走って出て行った。


ひと月ほど前だろうか。
実家に帰ったら、
母の眉毛がやけにクッキリしていてギョッとした。
「悪ガキに無理やり眉毛を描かれた柴犬」
みたいな顔になった母は、
「美容室でアートメイクをしてもらったの」
と誇らし気に語っていた。

入浴後も「可哀相な柴犬」の顔から脱出できない母を見て、
「アートメイクはすまい」と心に誓ったのを覚えている。


「私、眉毛と目は、アートメイクだから、落ちません」(←5度目くらい)
日本語のわかるスタッフが来たけれど、
彼女も「ハイ、ハイ」と返事をしながら、
全く分かっていない様子だった。
普通のメイクだってあまりしない上海の女の子に、
顔に刺青を施す「アートメイク」という最新単語が通じないことが、
なぜ母にはわからないのだろう……。
助け舟をだしたいが、
アートメイクを華麗に説明できる英語力を持っていない。
小声で「タトゥ、タトゥ」と呟いてみたが、
誰にも聞こえていなかったようだ。

ともあれ、体の疲れはすっかりとれて、お肌はツルツル。
『バンド・ファイブ・スパオアシス』のようなサロンが、
観光客だけでなく、
上海の一般女性が頻繁に通えるようになったなら、
きっと「上海美人」なる代名詞が世を騒がせるにちがいない。
思うにキレイな女性が増えることは、
国家繁栄の象徴。
パリジェンヌにニューヨーカー。
世界から一目置かれる都市では、美人が元気なのがその証拠。

いつか上海でも、
アートメイクが当たり前な時代が来たとき、
エステティシャンの女の子たちが、
あの日、同じセリフを何度も繰り返していた
中年女性の真意に気づき、
ハッとしてくれる日がくるといいと思う。


エステ後、VIPルームにてお茶をいただく。
デザートはオレンジとプチトマト。プチトマトは中国ではデザートなのでしょうか↓

□(写真)□


◇セレブが愛せなかった場所◇

中学生の時、『人肉饅頭』という中国映画をみた。
友達がうちに泊まりにきたとき、映画をみようということになり、
レンタルビデオ店でチョイスされたのが『人肉饅頭』だった。
どことなく卑猥な響きと、
一人では怖くてみれないホラーなところが、
多くの候補の中から選ばれた理由だったと思う。
ちなみにその夜はもう一本、
母が隠れて録画していたビデオもこっそり鑑賞した。
九ノ一忍者が半裸姿で、乳輪ビームを発射したり、
股から花を咲かせたり・・・などの過激な忍法で悪を倒す、
インパクト大の内容に、お泊まり会の夜は充実した。

だが、『人肉饅頭』のインパクトは、
九ノ一の乳輪ビームを遥かに凌いだ。

人の良さそうな饅頭屋の主人には秘密がある。
彼は、気に入らない人間を殺しては、
バラバラにしてこねて丸めて、
饅頭の中に入れて売っていたのだ。
「おいしい」と評判の饅頭屋は、今日も大繁盛。
ある日、主人の不審な行動に気付いた店の女性店員が
店長に詰め寄ったところ、
逆切れして殺されてしまう。
主人が店の割り箸をまとめてつかんだものを、
女性店員の股間に突き刺すシーンで、
うぶな中学生女子たちは恐怖した。
結局、悪事がバレて饅頭屋の主人はつかまり、
刑務所の中で、
鋭い缶の先に手首をこすりつけて自殺する
というところで終わる。
ラストに、
「これは実際にあった話を元に作られたものです」
というテロップが流れた。

怖すぎてその後三日間は眠れなかった。

上海にいたとき、
私の心を小さな恐怖が常に圧迫していたのだが、
恐らく、『人肉饅頭』のせいだと思う。
私が抱く中国のイメージの根底には、
間違いなく『人肉饅頭』がある。
中国語を発する中年男性がすべて、
饅頭屋の主人に見えてしまう恐怖。
他にも、
汚い場所で何かの病気に感染してしまうかもしれない恐怖(雲南省でのトラウマより)、
ぼったくられるかもしれない、騙されるかもしれない恐怖(アジア諸国での旅行経験より)。

それらの恐怖を一身に集めた場所が、
「豫園商城」であった。
上海が街としての発展を始めたのは明代のこと。
発展の中心地となったのが「豫園商城」である。
「豫園」とは、
四川省の役人だった男性が、
両親のために贈った庭園だ。
1559年から18年の歳月をかけて造営され、
1956年に大改修。
「江南の名園」として開放されるようになった。
約2万平方メートルの広さの中、
池や回廊を多用し、美しい風景を作り出している。

上海の代表的な観光地である豫園は、
観光客でごった返していた。
豫園に入る前の「豫園商城」で気力を使い果たしていた私は、
東京駅も顔負けの人ゴミの中、
入場料を払ってまで豫園を見る気になれず、
観光のメインである美しい庭園を拝むことはできなかった。

さて、「豫園商城」はその名の通り、
豫園を囲むように作られている。
明・清代風の街並みが再現されており、
老舗の名店が連なる賑やかな場所だ。

結論から言うと、豫園商城、どうしても愛せなかった。

まず、値段交渉が性に合わない。
毛沢東のライター、お茶、カンザシ、クッションカバー、骨董品など、
ありあらゆる土産品がひしめいているのだが、
観光客はそれぞれの店で、
高い値段をふっかけられる。
なのでいちいち「○個買ったら○元にしてくれる?」
と交渉しなければならない。
値段交渉が楽しいという人もいるが、私は苦手である。

なぜなら値段交渉は、恋愛に似ている。

「80元?無理。40元じゃないと買わない」←押して
「絶対40元。50元は高い」←ダメなら
「じゃあ、いいや。別に欲しくないし」←引いてみる
引いてみると、頑なに値下げをこばんでいた店員が慌てて
「わかった。40元でいいわ。トモダチトモダチ」と下手に出てくれる。
引いてみる作戦で、
最初「80元」とふっかけられていた毛沢東の置き時計を
40元で手に入れて満足していたのだが、
あとでガイドブックを見てみたら、
同じ時計が30元と書かれていた。
店員の方が何枚も上手だった。
傷ついた。

ネクタイ15元と書かれている店で、
値段交渉を試みると
「うちは下げない」と高飛車に言われて、
「じゃあいいや」と引いてみる作戦を実行したら、
店員は追いかけてきてくれなかった。
その後、豫園商城をさ迷うも、
ネクタイを15元以下で売っている店を見つけられず、
素直になれなかった恋に後悔した。
(1元は約16円)

傷つけられることもあれば、傷つけてしまう恋愛もあった。

ミッキーマウスとアトム、ミッキーマウスとプーさん、ミッキーマウスとサザエさん…
などを合体させた偽物のキャラクターストラップを売っているお店にて。
「これ可愛いヨ」と話しかけてきたのは、
中学生くらいの小生意気な少女だった。
「値段?先に何個買うか選んで。値段は後で言う。安くするヨ。トモダチトモダチ」
トモダチがたくさんできるのも豫園商城の特徴だが、
「これ珍しいよ。日本のドラえもんは耳ない」と、
耳の生えた長身の偽ドラえもんを上目遣いで売るという、
あこぎな商売を身につけた少女に出会って切なくなるのも、
豫園商城ならではだ。
一度は買おうと思い選んでみたのだが、
ふと「必要ないのでは?」と気づいてしまい、
買うのをやめた。
「もっと安くするよ。トモダチトモダチ」と
少女が後ろで叫んでいたが、振り返りはしなかった。
傷つけてしまった。

わずか一時間ほどの間に、
つらい恋愛をいくつも体験してしまったせいか、
世界中で展開しているハーゲンダッツのお店でも、
騙されるんじゃないかとビクビクしてしまうハメになった。

値札に書いてある金額を信用して、
素直にお金を払えるお店が好きだ。

値段交渉のシステムがはびこる場所は、
活気はあってもセレブには向かない。

そして、豫園商城からタクシーに乗って次の場所へ向かおうとしたとき、
私の中で「中国なんて大嫌いだ」という気持ちが爆発した。
上海のタクシーは安い。
ワンメーター180円くらいでいってくれる。
初乗り700円が普通の日本人なら、もっとお金をだすと思っているのか、
タクシー運転手は口をそろえて「ノーメーター」と言う。
メーターを使わず、
運転手の言う料金を払えということらしい。
払う素振りを見せないと、乗せてもくれない。
窓越しの交渉で、
「ノーメーター」でなく行ってくれるとOKをだしてくれた運転手さんのタクシーには、
横からスッと違う客が割り込んで乗っていってしまう。
やっと乗れたと思ったタクシーに行き先を告げると、
5倍の値段をふっかけられて降りることに。

そうこうしながら、10台以上のタクシーを見送ったかと思う。

みんな死んでしまえばいいと思った。


国民性のイメージというのがある。
イタリア人はお色気ニヤケ顔、
イギリス人は真面目紳士顔、
中国人は気が強い怒り顔のイメージ。
なるほど。
中国では気を強くもち、怒り顔で臨まなければ、
暮らしていけないのだと悟った。


サービスもマナーもない中国よ。
北京オリンピックで大失態しやがれ。

中国全土に対する怒りをたぎらせながら、
歩いて目的地に向かっていると、
前からタクシーが。
「どうせ止まってくれても
その横から他の客がスッと割り込んできていってしまうのだろう」と
諦め半分で手をあげてみる。
案の定、割り込みしようとした客がいたのだが、
なんとその運転手は、割り込み客に向かって
「こっちの人たちが先だ」と怒ってくれたのだ。
しかもきちんと普通のメーターで走ってくれた。
すっかり荒廃した心に、
その運転手の優しさは潤いを与えてくれた。
思わず涙ぐむかと思った。

ここは、当たり前のことをしてくれる人が、
天使に見える不思議な国。

豫園商城の喧噪は好きにはなれないけれど、
活気と競争の中で生き抜く中国人を嫌いになるのは、
まだ早いかもしれない。

翌日は、イケメン中国人が、
ミゾにハマッて抜けなくなった私のハイヒールを、
工具を持ってきて取り出してくれた。
爽やかな笑顔に、危うく嫁いでしまうかと思った。


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