くつろぎかふぇ
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ラグビーシーズンも始まり、ラグビーを見る機会も、今後は増えますが、印象に残っている、ラグビー選手について書きたいと思います。他にも印象に残っている選手はいるのですけど、それはまたの機会に。 その名は仙波優。松山商高からラグビーを始めましたが、名門の野球部に所属、豪速球を投げるピッチャーでしたが、ノーコンだったことと、先輩からのいじめに遭い、1年の夏で退部。その後、ラグビー部顧問から誘われ、ラグビー部に入部。たちまち頭角をあらわし、3年次には花園出場、高校日本代表候補にも上がるほどに。 大学は関東学院大に進学。ここでも1年生からレギュラーの座を射止め、秩父宮を駆け回りました。 彼のポジションは、BKはフルバック、ウィング、センターといろいろやりましたが、どのポジションをやっても彼の持ち味は50M走5秒9のスピードと、とにかくタックルされても倒れず、相手タックラーを引きづり、跳ね飛ばす強靭さ。走るスピードも確かにすごかったですが、何よりもその直線的な強さに目を惹かれましたね。まさに「走る人間凶器」。敵にしたら嫌だったでしょうが、味方にしたら、これほど頼もしい選手はいなかったでしょう。 卒業後はトヨタに進み、ここでも1年目からレギュラーをゲット。ラグビー誌では、「何かを起こしてくれそうな男」「観客が見ていて期待したくなる選手は、イチローと仙波だ」というような紹介をされていましたが、僕もこれには納得。実際、彼が出ていた試合を見るときには、彼に目が行きがちで。 こんな豪快なプレースタイルでしたが、以外にも涙もろく、仲間思いだったと言うエピソードも。トヨタ入りしてから日本代表にも選ばれましたが、出番はなく、キャップは0。「それなら自分の仲間と共にラグビーがしたい」と、その後は日本代表も辞退しつづけていました。 ただ、正直、この点だけは残念でした。日本代表で活躍して、できれば海外のチームでプレーしてほしかったし、また彼ならやれそうでしたから。 しかし、彼のプレーを見ることは、海外でも、日本でも、もう見ることはできません。4年前の10月、関西リーグ神鋼戦前日、スポーツニュースに出ていた、このニュース。「ラグビートヨタ自動車の仙波選手が、交通事故で死亡しました。」 どうやら深夜にマイカーを運転中、ガードレールに衝突したようでした。今はもう、誰もタックルできない所へ・・・。25歳、あまりにも早すぎます・・・。そして、悲しいです・・・。書いての通り、今年からラグビートップリーグが開幕、そして今年は第5回ラグビーW杯の年ですが、彼がいたらと、今でも思わずにはいられません・・・。
2003年09月18日
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