躰道∞(無限) 

2006年06月26日
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 怪我人続出の大会だった。救急車が本会場を二往復。

 渡波の子供たちの成長はまさに波の動きだったように思う。波は一つではなく、一つのあとにまた一つが押しよせてくる。どんな見方もできる成長は、展開競技、団体法形競技をみていてよくわかる。団体展開競技はAチームBチームが出場し、何度かの試合でAチームが勝ってきていた。小差ではあったが、そのほんの少しが勝敗をわけるのが勝負。そこで、気を落とすのか、それとも次の東北大会、さかな祭り大会で意地をみせるのか、そこは本人達のこれからに期待する。チーターが哺乳類最速なのに狩りに失敗するのは最高速を維持できる時間が少ないから、仕掛け始めから間合いが遠くては計算が成り立たなくなる。
 人間の最高速は集中力だと思う。ただ、躰道の集中力はそこに変化を必要とすると私は考える。自らの変化だけではなく周囲の変化に流されないことも一つの動きだし、周囲が変化をするよりも先に動き出すことも変化と思う。反省と後悔は違う。反省のあとには思考がやってくるが、後悔ののちには絶望しか訪れない。
 団体法形にはどんな実が生るか。それを考えていただきたい。これまで個人技でやってきた人間が根腐れをおこすか、それとも周囲にも活力を与え、最終的には自分に還元されてくる。指導者ははじめて道場に入ってきた子供をどのようにしたいかを考える。稽古を重ねるうちに絶対に取り除かねばならない場所がその人間の心にあれば去られる覚悟で修正をかける。さまざまな障害とぶつかりながらも道場の核がそだってきているなと思った。それぞれが同じことをする中で息を合わせることが動きにつながり、そのゆとりが抑制にもつながると思う。
 私は幼いころ団体法形で育ってきたので、とくに思うが、ポジションがないのに見えない心の中に何らかの位置づけがある。それは本人と指導者のみが分かることかもしれない。父兄や兄弟もわかることかもしれないが、ほんの少しの違いは確実に生じる。今、今、ではなく一年後、三年後、将来、という具合の見方をできてはじめて本当の団体があるように私は思えてならない。レギュラーをとる感覚よりも、集団遭難したときに、それをどうやってくぐりぬけるか、このことが私の団体法形を考える骨格になっている。試合を全部みれたわけではないが、それぞれの稽古での輝きは忘れられることができるものではないからそれに等しいかそれをものり越えたかで結果と照らし合わせる。
 個人戦はどうだったろうか。目標の団体入賞の達成、そこまでいかなくとも努力ががそのまま個人にもあらわれたのだと思った。勝負に運はつきものだが、躰道は運に始まる。運とは読んで字のごとく自分自身が何かを運ばねばなにも影響しない。だから、周囲から何かを期待することは難しい。

 以上、少年少女の部感想。

 団体法形二位、Bチーム


 団体展開二位、Bチーム
     三位、Aチーム

 女子個人中階法形 二位

 男子個人初階法形 二位

 女子個人中階実戦 優勝       





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最終更新日  2006年06月26日 13時56分36秒
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