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入院して初めて知った事。怪我の場合は、リハビリといっても術前と術後では多少違うんですね。術前には、手術のし易いようにと言う意味と、後の経過がスムースにいくように・・。術後は、単に癒着を防いで動けるようにするため。そんな中でいろいろ会話してたら、こういう話が出てきた。『我々(医者とかリハビリの技師)の仕事はここだけではないですよ、帰ってからでも勉強しなければならないのは当然ですが、自分の担当している患者さんの健康状態とか心理状態を考えて、次にどうするかと言う事を始終心に置くんです・・』。なるほどな・・と感心して聞いていたんですが・・思った事がある。以前のの学校の先生もそれによく似た事を話していたし、実際やってくれてた。生徒の生活内容まで考えて、いろいろ工夫して時間外でも面倒見てくれてたなァ・・って。今の先生はどういうものの考え方をしているんでしょうね。全て事務的に処理して、時間になったらさっさと帰る。確かに自分の生活もあるだろうけど、生徒は店頭に並んでる商品とは違うって事が解ってない。最近の先生が全てそうだとは思はないし考えたくもないけど、何か問題があった後のテレビとかの応答を見ていると、無責任・・としか思えない。見えなかった・・とか、思えなかった、話してくれなかった・・。そして、そこまでは・・ですよ。そんなのはおかしい。見えなかったではなくて、見なかった・・見たくなかった。思えなかったではなくて、思わなかった・・思いたくなかった。話してくれなかった・・ではないんです。生徒に話してもらえなかったという・・信じてもらえなかったという事実を理解していない。そして、そこまでは・・なんていう言葉は信じられない。生徒にしてみれば・・そこまでも、そしてそれ以上してほしい事が山ほどあるんですよ。先に生まれただけの先生なら・・恐ろしい事です。子供・・生徒は、時として自分の心の奥底を覗いて欲しいことがあるんです。自分ではどうしても表現出来ない事・・出来ない時・・・覗いて欲しいんですよ。それは子供の人権を冒す事にはならない。子供を育てるという事に関してはは、親も同じです。心の奥底の、本当の声を聴いてやれないで・・何が親・・何が先生・・って思ってしまう。先生の仕事って・・時間外にこそあると思う。それが出来ないのであれば・・先生失格です。良い先生もいるんですが・・。私の担当の人達は、みんな良い人ばかり。感謝してます。
2007.06.29
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久しぶりに記録を書いてる。。この間一度帰ってきたけど、日記を書くだけの時間は無かった。病院にいると、いろんな話が聞けて面白い・・と思ってたのに、あの環境がそうさせるのかは知らないけど・・なんか・・聞きたくない話の方が多い様な気がする。人って・・すぐに他人の財産を数えたがる。そんなものいくら数えたって、どれだけ有ったって自分にはどうする事も出来ないものだし、何の役にも立たない。そんな暇があるのなら、例え一つでもいいから自分で自由になるもの、人のために役立てる事が出来るもの・・そういうもの見つけた方が、手にした方が・・人生バラ色なんですけどね。あ・・バラ色がどんな色かは、私は知りませんが。初日に、私にこんな話をしに来た人がいる。『仕事は何をなさってるんですか・・』から始まった話は、いつの間にか自慢話になっていた。『私ン所には、親戚に医者だとか学校の先生が多いんですよ。みんなお金持ってるし、頭も良いし・・』こういう人って何所にでも居るんですよね。『私ン所には・・』から入って『良いでしよう、貴方の所に居ますか・・』的な言葉で終わる。私は思うんですよ。確かに、人を誉める事は良い事だし、自慢話も結構だと思う。けど、『結構な話しですね。それで貴方はどうですか・・』と聞き返された時、どう答えるんだろう・・と。誉め過ぎも自慢のし過ぎも、自分の事の様な言い回しをして、話の相手を見下すような言い方になったら・・。大抵の人は感心するどころか、その人は勿論、話題に出てきた人とか物にまで反感を持ってしまうのをよく見かける。言葉と言うものは、本来は人を幸せにする為のものだと思うし、幸福を感じるものでなければならないと思う。手とか頭同様、使い方次第で人を嫌な気分にもさせるし、幸せにも出来る。『ものも言い様で角が立つ』・・とは、私の母の口癖の一つでしたが、何でもその通りだと思ってます。私も大人気なく『で・・貴方も頭も切れそうだし、器用そうだから結構な職業なんでしょうね』って切り替えした。次の日からその人は来なくなったけど、私も人の噂話は嫌いではない普通人。けど、お互いが不愉快な方向に流れそうな話題は選ばないし、修正しながらする事が多いと思う。自分の欠点って、指摘してくれる人が居ないとなかなか判らないから、私も他ではどう思はれているか・・。自分自身の話が出来ないようなら、他人の事も程ほどにしておいた方がいいと思うし、その場を見極めた話題を選ぶ事が大事だと思う。言葉は人を楽しませ、自分も楽しめるものが一番良い。言葉は武器にもなるし盾にもなる。けど、それ以前に言葉は自分自身だと自覚して使わないと諸刃の剣。武道には、『礼に始まり、礼に終わる』という言葉がある。会話にも、『誉め言葉に始まり、誉め言葉で終わる』って言う様な言葉があってもいいと思ってる。内容は少々脱線したとしても、最後、楽しい気持ちで終われば良いじゃないですか。日記って、自分の反省の意味を込めて書いてるんですよね・・多分。また病院に戻らなければならない・・。良い事もあるんですよ、みんな親切だし。職員の人との会話も楽しいし。・・ただ・・退屈なのは否めないけど。ときどきしか帰られないから、時々しか書けない。今度はいつかな・・『ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う』<ブッダ>
2007.06.23
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明日は病院。手術する事になると・・先生の話しでは、最低一週間は術後の経過を見たいから入院して欲しいとの事。そうなると、しばらく日記がかけない。考えを・・その日の事を・・。書き留めておきたい事が一杯あるし、いろんな人の意見も一杯聞きたいし・・。楽天ブログは、足跡を残しておかないと順次削除されてしまうんですよね。いない間に来てもらっても、消えてしまったら伺う事が出来ない。そういう不安がこの頃過ぎります。そうでなくても、BBSに書き込みできない人への返信は・・と、いつも思ってるくらいですから。今までも、来てもらっても伺うことすら出来なかったブログがかなりあります。それでも、チェックきる状態ならしてありますが・・今度はそれも出来ませんからね。50件しか残ってないからそれ以前のは判らない。記録が残ってなかったら・・何の挨拶も出来ないまま通り過ぎてしまう。淋しいですよ。一度だけでも来てくれた人のところ・・行ってみたいです。もう少し先の話だとは思いますが、その時は書いておきますから、例え『・』だけでも残して欲しいですね。今にも切れてしまいそうな細い糸でも、残ってれば辿って行ける。些細な出来事でも跡さえあれば心に残る。・・と、私は思う。なんか・・こういう変化の時。今、手の中にある物の大事さ重さって解ります。人って、それを手にする事が出来なくなった時やっと解る。インドの諺に『塩の値打ちは切らした時に、父親のありがたみは亡くした後でわかる。』・・ですね。
2007.06.14
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虚心坦懐・・東国原知事が言ってましたね。前に、小泉首相も靖国問題で口にした言葉。意味・・解ってるんでしょうね。似た言葉に、明鏡止水って言うのがあって、全く曇りのない鏡、澄みきった水、邪しまな念がなく静かで無心の心境・・とあるんですが・・。早い話、どんな問題にも対しても先入観をはさまない、偏見とか蟠りの無い、直な気持ちで人や物事に向かうっていう心境の事だけど・・出来ます?私なんか先入観の塊みたいなものだから、この人達の様にはなれないし出来もしないから言はないけどね。仕事でも、平静な態度でっていうのは基本だし、人と接する時には素直な気持ちで・・穏やかなきもちで・・と、私も習いました。なんにでも、気負って対応すると失敗もするし、思い込みでとんでもない結果がでたり、相手にも迷惑をかけてしまう。私は、無心とまではいかなくても、虚心坦懐という言葉を口にするということは、懐を大きく開いて、素直、無心をもって受け入れるという事だと理解しているから、自我とか念なんていうものは無視、度外してモノを見るっていう事が出来なければならないと事だと思ってる。この前もいったけど、4文字熟語でモノを言えば済むっていう事ではないし、簡単な、自分の言葉で話したほうがいいと思う。レポーターの質問もおかしい・・。今の心境を一言で言えば・・なんていう事自体何考えてるのって言いたい。一言で言える事なんてそんなに無いし、適切な言葉を見つけるのも難しいのに。結局、誤解に繋がってしまう。はっきり理解していない言葉の中には、思い違いや誤字が平然と肩で風を切っているモノが多いし、聞く方も知らないとは言えないから、解ったフリをして見過ごしてしまう。知らない事は知らないと言えばいいし、自分の理解している言葉だけでも十分に表現できると思うけど。平明な言葉だからと馬鹿にする事も無いし、難しい言葉を使ったからといって、偉いとも思わない。聴衆にはいろんな段階の人がいるんだから、全ての人に・・とは言わないけど、最大多数の人に理解出来る言葉が欲しいですよ。謙虚な心の目をもって接する事も良いかもね
2007.06.13
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セールスが来た。何のセールスかは言えないが、玄関先で何か言っているような気配がしたので出てみる事にした。いつもは、直ぐに帰ってもらうんですが、なんかいつもと違う雰囲気の人だったもので、ついつい長話。私のところで10分以上ねばれたのは数人しかいないけど、今回の人もその一人。で、いろんなパンフレットを出して説明し始めたんですが、私もその商品というか、材質は知っていたんです。加工なんかしていると、一般に出回っているデータ以上のものが解るんですよ。で、わざとに正反対の意見を言ってみた。セールスマンみたいな上辺だけの知識の、その上の知識を持ったうえで、その正反対の立場で質問したんですよ。ところが、確かに知識は中途半端なんだけど、さすが口は上手い。あれやこれや言ってるうちに、最後の一言が出た。『誠意を持って対応させてもらいます』・・って。以前いた会社で、社長が社員の前で『誠意を持って仕事してください』って言った時、若手の中からこんな質問が出た。『社長、誠意って・・なんですか』ですよ。その時から社長はその言葉を使わなくなりましたが。誠心誠意と言う言葉もありますね。政治家(政治屋)官僚、公務員、大企業のトップ・・が好んで使う言葉なんですよ。辞書で調べると、私利私欲のない正直な・・とか、まごころを込めた、とか書いてある。偽りのない、正直でまじめな気持と書いてあるのに、字が読めないのか逆さまに理解している人が殆どを〆ている、自分の精一杯の努力をすることが前提のはずなのに、何事も人任せ・・の人が多いのは何故???私が聞いた誠意とは・・ある左官屋が壁の修復をした時の事、家主は、これは・・という出来栄えに満足はしたものの、まァ、見える所がこれだけ仕上がってれば良いか・・ということで、押入れとか下駄箱をあけたんですよ物を入れるために。ところが、その押入れも下駄箱も、中まで綺麗に仕上げてあったそうです。見えない所まで、開けた時の人の気持ちを考えて、綺麗に・・周り以上に仕上げてあったそうです。まだまだありますが、テレビに出てくる人の中には一度も見たことが無い。セールスの人も、確かにいろんなサービスとかオプションを言ってたけど、それって早い話、初めからそれも含めての値段では・・って思う。付けて貰わなかったら丸損のサービスなんですよ。自分達の都合がいい誠意を押し付けられても受け入れ様が無い。誠意って・・精一杯やるのは当然だし、そのうえで、相手の立場、思いを考えないのでは成り立たないのではって思う。これだけに留まらず、漢字を並べているだけの言葉なら、トップの人たちはただの漢字オタクでしかないのでは・・って思ってしまうのは私だけかな。
2007.06.12
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そろそろと暑い日が近づいてくる。今時はクールビズという物もあるし、暑さを凌ぐにはいるんな方法があって、自分に合ったものが選べるんですよね。けど、その殆どが直接的なものばかりだし、どれをとってもただでは済まないときている。風鈴を軒に吊るして涼を感じる・・なんて事もなかなか出来なくなったし、夕涼みに出られる環境もめっきり減ってしまった。最近は少しばかり浴衣が流行ってるから、それくらいかな・・ファッション性もあるし、実利もあるのは。この頃はあまり使われてない様だけど、『心頭滅却すれば、火も亦涼し』っていう言葉なんかも活躍してたんですよ。『心頭滅却すれば、火自ずから涼し』というのが禅の意味に近いという説もあるけど。簡単に使ったりしますよね。暑い所で仕事なんかしていて文句を言うと、真剣にやってないからだから『心頭滅却すれば・・』って。けど・・これって壮絶な言葉なんですよ、ホントは。この言葉の前に、『安禅はかならずしも山水を須いず』というのが付いてるんです。天正十年三月十一日。甲斐の恵林寺を織田軍が包囲した時、降伏すればこれを咎めないからという使者を三度使わしたが、快川和尚以下数百名の僧達はこれを拒んで、寺と運命を共にしたんですが、その時、この大事のときにあたり、各自一句を吐き、もって末期の偈とされよ・・という事で、襲いかかる火焔の中で各人が次々と一句づつ詠み上げ、最後に快川の声が渦巻く焔の中に響いたという。『安禅はかならずしも山水を須いず。心頭滅却すれば、火自ずから涼し』この時ばかりは敵味方無く快川和尚を賛嘆したという記録が残っているとか。禅の境地に至るのは、必ずしも山水の地ばかりではない・・。現代社会の何所にあっても出来るものだということなんだと思います。静かな場所、心地よい風・・それだけが人を癒し、救うものではないっていう事だと思う。今日はあんまり良い環境にいたとは言えないけど、文句ばっかり言ってたら・・快川和尚の一喝がくるんだろうなァ・・きっと。『心頭滅却すれば・・』って。
2007.06.11
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買い物の途中で本屋に寄った。最近はしばらく行かないと、まるっきり総入れ替え状態の店もあるんですよね。あんまり変わらないのは、法律、資格とかいう専門書だけ。これだけいろんな本があるんだから・・と思っても、自分に合う本が置いてある店なんてゼロに近い時もあったりして。本を探すのも、人を探すのも・・モノによっては絶対妥協してはいけないときってあるんですよ。これなら・・って思って買って帰っても、それでも内容が全く無い本が多いし、これならパソコン検索の方が早いくらいだし。書籍の照会はあっても、表紙と中身が全然違う事が多いのには呆れる事がある。人も本も・・表紙だけで選んだら無駄に終はるし、時にはマインドコントロールされるようなのもあるから要注意。話が上手い方ではない人は、理解してもらえない事がかなりある。けど、立て板に水を流すようなのが上手いのかっていうとそうでもないと思う。聞きにくい話の仕方、理解しにくい内容の説明のし方・・。これって、確かに問題があるけど・・。聞きい易い内容の説明、聞き取り易い話し方が出来る人は少ないし、内容があるとは限らない。例えば子供の描いた絵を見て、これは下手、解り辛い・・と思う事もしばしば。片方に、写真で撮ったような綺麗で解り易い絵があるとしたら・・。子供の絵、または子供が描いたような絵でも、よく見れば心に何かひかかる、何かが残るっていうことが多いんですよ。綺麗でも、あァ綺麗ですね・・で終わってしまうものもあったりして。それはその絵の表面を見るか、描かれたものの中、裏側を見るか・・。それとも、描いた人のその時の心の中を覗くように見るかで違ってくるんじゃないかな。それと同様、あの人は話が下手だ、なにを言ってるのか解らないって言う声を、よく耳にする。けど、それって聞き方を知らないからでは・・って思う事が時々ある。同じ話を聞いているのに、解る人と解らない人がいるのは、レベルの差もあるけど、それだけではないと思う。聞こうとする耳。解ろうとする心、話し手から何かを読み取ろうとする目があれば、どんな話しにも、何か発見できるものがあると思うけど。綺麗な声、上手な話し方だけに惑わされると、何にも掴めないまま一生を終わってしまう。本を読むときも、行間を読むって言いますよね。話を聞くときもそれと同じだと思います。くれぐれも耳だけで聞く・・なんていう事の無いように。
2007.06.10
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雷は鳴るし・・雨は降るし・・風もかなりあった。夜明け前から雷が凄くて・・パソコンの電源を一度落としたくらいだから。防止装置も付いてはいるけど、やっぱり心配。万が一って事考えてしまう。始終バックアップをとってる訳ではないし、余計な心配もしたくないし。何所だったか雹の降ってる様子がテレビに映ってた。もう六月ですよ・・それも中旬に近いのに。またさくらんぼは盗られるし・・自然も人もここにきて、釈迦の言う末法の世に足を踏み入れたのでは・・なんて思う。今日、テレビで熟年離婚っていうものの話しが出ていた。なんによらず、片方が悪いって言う事は無い。言い換えれば、どっちが正しいかっていうのも無い。上手くいかないと、決まって自分が正しいとは言わないで、相手が悪いと言う。はっきり自分が正しい・・という自信は無い上で相手を責める。これって・・自分にこれといった策がないのに相手を責める、何処かの野党と似ているとは思わないのかな。会社でも、国でも、夫婦でも、いろんな組織でも、引っ張り合い、邪魔しあってたら成るものも成らない。例えば裁縫で言う針と糸。一方が針ならもう一方は糸だとすると、針は右に進みたいとする。進まなければならない時、糸は、私は左に進むって言ってたら・・縫えないですよ。いつまで経っても前に進めないどころか、袋一つも、雑巾の一枚も出来上がらない。そうかと言って、じゃ、針は右、糸は左・・では、針は穴だけ開けるだけ。糸は一歩も進めない。一緒に進めば、曲りなりのも何かは出来ると思う。自分の意見だけを主張して、針の穴から糸が抜け落ちてしまってからではお互いが不幸ではないのかな。抜け落ちる前に、どちらかが前に立ったら片方は従ってれば良い。その時その時、進む方向を知ってる者が前に立てばいいと思う。お互いが自分の力を知り、お互いが相手を認めることが出来たなら、個性豊かな作品が出来ると思うけど。外ばっかり見ているから不平不満が出てくる。他と自分とは違うっていう事を自覚しないとね。中が上手くいかないのは誰のせいでもない。自分を知らない自分のせいなんですよ。
2007.06.09
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昨日は・・ん!?あ・・これは日記、今日というべきものですね。今日は時間が・・なんか遅いというか、止まってるように感じた間があった。睡眠不足のせいもあって、起きているのに周りを感じない。止まっているような時間。○○さん・・という呼び出しで、またさっきのように時間が流れ出した。寝ていた訳ではない。ちゃんとテレビも見ていたし、話もしていたのに・・。なのに時間って止まるんですね。浦島太郎の話は誰でも知ってる話しだけど、あれのミニ版っていうのは誰でも体験しているのではないかと思う。何かに夢中になってて・・気が付くと夜・・なんて。中国にもよく似た話があるんですよ。一人の猟師が、今日は獲物が少ないからというので、いつもとは違う山に入っていった。けど・・さっきから、いくら歩いても獲物はおろか物音一つ聞こえない所を歩いてる事に気が付いた。さて・・どうしたものだろう、雲行きも怪しくなってきたし・・。どこかに、身を置く場所はないものかと探していると、小さな洞窟が見付かった。一刻身体を休めようではないかと入り口に近づくと、奥の方から微かに灯かりがもれている。猟師は怖さ半分興味半分で奥の方に入っていった。すると今度は話し声が聴こえてくる。何かをやっているらしい。恐る恐る近づいてみると、少年が将棋をやっているではないか。二人の少年は猟師を気にもとめず、ただひたすらに将棋を楽しんでいる。しばらくすると、少年の一人が猟師の向かって『これを口に入れておくといい』と、一粒の木の実をくれた。猟師は、今日は何も食べていなかった事を思い出し、それを疑いもせずに口に入れてみると、その味は、なんか懐かしいものを憶い出させるような不思議な味がした。そうこうしている内に、今度は少年が猟師にこう言った。『そろそろ帰ったほうが良いよ、だいぶ時間も経ってる事だし』・・と。猟師は、おかしい事を言う子供だな、まだそれほど時間の経ってない。さっき来たばかりではないか・・と思った。しかし何度も言われるから、外の具合を見て、雨の上がった事を確かめて帰路についた。来た時と何かが違うのに気が付きながらも足は家に向かっている。さて・・村に着くと、誰一人として猟師を知ってる者がいないではないか。猟師は、名前を言って何度も聞いた。すると一人の老人が進み出てこう言った。その名前の猟師はずっと昔、山に入ったまま帰ってこなかった・・・と。時間って、前にも言ったけどそんなものだと思う。時間を早くしたかったら、今を楽しくすればいい。遅くしたかったら・・。
2007.06.08
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カーテンを開けると・・もう外は明るい。山も木も鳥も、全てのものが精一杯陽の恩恵を受けようと、背伸びするもの、両手を一杯に広げるもの、満遍なく中ろうとするもの・・朝からでも努力してます。人間なんて・・カーテン閉めっぱなしで、陽が昇ったのにも気付いていない。何でも・・いつでもそうなんだなァって思う。ちょっと手を伸ばせば・・窓を開けられる。それなのに布団から出もしないで、朝はまだかと文句ばっかり。広い空、明る自然を見たかったら、自分で、自分が見たいときに開ければいい。人って、そういう些細な事が出来ないと言うか、他人が開けてくれるのを待っている。自分が欲しいものは、他人のタイミングでは得られないっていう事・・解ってない。時々カーテンの隙間から、外を覗いて見るといい。寒く厳しい夜が見える時もある。満点の星空を感じる時もある。それでもいつか陽は昇り、明るく温かい世界を手に入れる事が出来るんだから。大抵の時、年寄りは邪魔者扱いされる。けど・・それは体力が無くて物事が進まないから? それとも、今の時代に着いていけないから?すぐに、年寄りはあっちに行ってて・・私も思ってしまうときがある。何故なんだろって考えてたら、こんな言葉に出くわした。ドイツの諺?なんだそうですが、若い時は多くのまがい物を信じ込み、年をとると多くの真実に疑念をはさむ。・・そう、中ってます。確かに、着いて行けないのもあるけど、まがい物を信じ込んでいる若者と、真実に疑念をはさむ年寄り。合うわけ無いですよ。若い人を間違ってるとは言わないけど、経験不足もあるから本物を見分けることの出来る人は少ない。そこに間違った経験やプライドを持ち出して、さも自分は真相を知っているかのように口をはさむ年寄り。真の経験者であって、意見の違う若者に少しでも解ってもらおうとしたら、経験を通しての話に留めておくのが良いと、私は思う。判断は若い人に任せればいい。如何に自分達の信じてるものがまがい物かを判断するのは、年寄りが出す結果次第。それだけの忍耐が無ければ、口をはさんで逆効果になることは避けた方がいい。受け入れられる年寄り。受け入れてもらえない年寄り。年寄り・・とまではいかなくても歳の差を感じたら・・そうするのが年上の義務、権利、分別じゃないのかな。今時の若い者は・・は、日に何度も耳にする。その前に、今時の年寄りは・・と、考えた方が良いときもあるかも・・です。経験があるんですよ・・いろいろと。そう、若い時・・もあったんだから。
2007.06.07
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百日紅の枝もかなり伸びたこの頃(花が咲いた後は全部刈ってしまうから)。天気は良いし・・出かけた先で話し込んでしまった。早く帰りたかったけども、私同様話し好きな人なので、無碍に断る訳にもいかず。仕事そっちのけで話し込むのが・・私の欠点・・かも。けど・・よく笑いました。時々思うことだけど、笑う角には福が来る・・。確かに、医学的にも大抵の病気を改善するのに役立つという結果が出ている。分泌物も盛んになって、予防、抑制・・と。例えばリウマチの予防なんかにも良いらしい。楽しくて笑っている時の涙と、悲しくて流す涙とでは成分も違うし、怒った時なんかはアドレナリンの洪水。そう、怒ってアドレナリンが増えれば、結局自分の身体を壊してしまう。例え自分が正しくて、どんなに相手が悪くても・・怒ったら自分の損。怒るのなら、一瞬だけにしておかないと。悲しい時は・・身体の抵抗力も落ちてくるし、考え方がマイナス思考になってくる。悲しくても、腹が立っても、一日一度は笑った方が良いんです。ン??笑うとシワが増える??健康には換えられないですよ。細胞も活発になって若返るしね。それに・・笑顔の人には話し掛け易いですからね。特に女性は。けど・・笑いにも種類があるんですよ。何を笑うかによって、その人柄がわかる・・ってね。若くして文学士の称号を得、教職に付いた、マルセル・パニョルの言葉だけど、確かにそうだと思う。人の失敗を見て笑う人。楽しくて笑う人。安堵の笑い、置かれている場所から心理的に逃れたい時の笑い。どの笑いが多いか、どれを本当に実行できるかで、その人を推し量る事が出来るかも知れない。さぁ・・今日もおおいに笑って、副交感神経を優位な状態にもっていってストレスを解消しましよう。「一笑一若」ですよ。
2007.06.06
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昨日の私は少し大人気なかった。ハンターハンター見てたら、ゴンが敵を許す場面があるんですよね。なんかなァ~って思ってしまった。大抵の事だったらそうも出来るけど、死闘の後にだから・・。赦しって、そう簡単に行えるものではないけど、するのであれば例外を作ってはダメなんですよね。相手が誰であろうと、その人に何をされたっていう事すら忘れて、一切を心に留めない決意。それが赦しの心かも。そして・・それこそが真の勝者に与えられる最大の権利だと思う。代償を求めるのは・・それは赦しとは違って償いをさせるっていう事になってしまう。償いは『させる』ものではないから・・。すぐに、あの時、あの人は・・っていう言葉を使ってしまうのは、誰が何をしたかをじゃなくて、赦そうとする自分を赦す事が出来ないでいるからだと思う。結局は自分が世界の中心・・的な考え方だから、自分の心すら開放出来ない、受け入れる事が出来なくなってしまう。受け入れる心、無償を求める心が無いと難しいけど、いつまでも恨みつらみでいるって・・その方が辛いですよ。私も、かって・・人を恨んだ事がある。恨みと言うより、あれは呪いって言うものに似ていたと思う。毎日顔を見る度に『この野郎』って思ってましたよ。けど・・そのうち鏡を見る度に、なんか寂しくなってくる自分を感じるようになったんです。自分の顔が自分で見れないくらい歪んでるんですよ。眉間にしわは出来るし・・今思うと、自分でも恐ろしい『形相』って感じで生きてたんですね。ある日・・おはようっていう声が聴こえる。振り向くと・・例の人がニコニコして立っていた。そに瞬間・・なんか恨んでた自分が、何所かに行ってしまったんですよ。結局、私が赦されてしまったんですが・・それまで重かった肩の荷が下りたような・・。けど・・恥ずかしいものを感じたのも事実ですね。今まで重く感じてた空気が一瞬に軽くなって、すーっと自然に肺胞の一つ一つにまで入ってくるような感じ。自分の歩ける場所がいっぺんに広がったような、すごい世界を感じましたよ。赦すっていうのは、それほどのものなんですよね。暗い事は心に留めない・・っていう事かもね。赦しとは、踏みにじられたスミレの花が、自分を踏みにじった踵に放つ芳香である・・って、マーク・トウェーンが言ってるけど・・私もあの時、あの人を踏みにじってたんだな・・って思います。ごめんなさいね・・あの時は。
2007.06.05
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今の時代、女性も男性もコスメとか何とかでお金のかかる事ばっかり。こんな事言うと、今の時代には合わない・・って言う人もいるかも知れないけど、この言葉・・少し考えてみて欲しいなァって思う。『顔の悪しきは生まれつき、治せば治る心治せよ』って言うんですがね。整形とかで治る・・って言っても、子供は元の顔で生まれてくるんですよ。それでも良いと言う答えを出す人は、多分・・今だけ良ければ・・見た目が良ければ・・と、思ってるんでしょうね、男も女も。私は思うんですよ。見た目だけなら仮面を被ればいいと。結局一代限りの事に右往左往して自分がなんなのか見失ってる。心・・性格は躾にも影響するんですよ。気が付いていないだけで。日本人の悪い癖で、何かあると『家の子は・・』って言う。誉める事を知らないし、真誉められない子なら・・それは誰の子?って言いたい。そのくせ、子供にはああしろこうしろと口うるさい。自分が出来なかった事、しなかった事を子供に押し付けてどうするんでしょうね。子供って、実によく見ているんですよ。そして、親孝行と言うか、忠実に真似をる。『親に似ぬ子は鬼子』というくらいで、ほんとに大抵の子は親孝行です。よく言うでしょう『かえるの子はかえる』って。とんびが鷹を生むって言うじゃないか・・と反論の声が聴こえそうですが・・そうじゃない。突然変異でも、意味無くある訳ではないですよ。環境、習慣、経験・・いろいろなものから創り出された特定の因子によって出来てくるんです。親が何の努力もしないで・・子を責めるのは筋違い。オードリーの言葉に魅力的な唇のためには、優しい言葉を。愛らしい瞳のためには、人々の素晴しい面を見る事。スリムな体のためには、飢えた人々と食べ物を分かち合うこと・・。まだ後があるんですがこれくらいにして。きれいな心・・これが一番の魅力だと思う。それから、躾って身体に美が兼ね備わった事なんですから、厳しさだけを考えないでほしいですね。誰でも美人になれますよ・・こう言ってる間にも、また一人美人が・・・。
2007.06.04
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今は、少しばかり肩も楽に感じる。まだ先が見えないので、結論も出てはいないけど、楽な状況は助かる。今度病院に行けば、何らかの結論を出してくると思うので、それまでは何も考えない。時々・・対外援助のための募金に回ってる人を見かける。寄付・・とかお布施は惜しまないけど、対外援助・・ってなんか引っかかる。バーナード・ショウの言葉に、対外援助・・富める国の貧しい人々から税金を取り立てて、貧しい国の富める人々に提供する事・・と、定義してある。皮肉たっぷりで、ショウらしい言葉だと思うけど、外れてはいないと思う。税金だけでは不足とばかりに集めて回る。そして、特に日本人は無くても見栄を張って寄付とか援助とかをする。それ自体立派な事だし決して反対ではないけど、海外でどれだけ、寄付とかをした日本人の事を知ってる人がいると思ってるんだろ。誰も知らないんですよ。日本人は皆がお金持ち・・だと思われてるんです。貰った人たちは、持っていった議員とか団体がくれたもの・・としか思ってない。コツコツと小遣いを貯めて寄付した子供さん達の事、食べるものも食べないで集めたお金を寄付した老人会の事・・そんなものは誰も知らないんです。目の前に積まれた現金を如何にして使うか・・それだけしか考えてない人達の手に渡ってしまう事も少なくないんです。現に、例え隣の人が困ってても・・誰も助けようとはしないのに・・なんで対外援助?そんなものはただの自己満足だと思う。自分も参加した、これだけはした・・っていう。日本にも食べれない人が一杯いるんです。仕事をしたくても出来ない人もいっぱいいるんです。災害で困ってる人も一杯いるんです。足元を見ないで遠い所ばかり見ていたって・・いつかはその遠い所も見れなくなるって言う事に気が付いていない。遠くに・・広く手を伸ばしたいなら・・足元から固めないと・・根を張らないと・・。いつかは本体そのものが倒れてしまう。足元から崩れてしまう。見栄張らないで・・出来る所から・・足元から・・隣から始めないとね。助け合いは地球規模でないとだめだから・・は当たり前だけど、ショウの言うように対外援助・・富める国の貧しい人々から税金を取り立てて、貧しい国の富める人々に提供する事。にならない様に考えたいです。
2007.06.03
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ブログが止まってるので何にも出来ない。日記を書いても届けられない。朝から花火は上がってるし・・天気は良いし。昨日(2日)は間接の注射の症状があって、違和感と言うかなんと言うか・・。不思議な感じ。大抵の場所の骨折は経験済みだけども、肩は初めての経験だから・・やはり不安が先に立つ。それでも、心配しても始まらないって言うのが今の心境かな。両忘っていう言葉がある。普通は、何かを忘れるためにもう一方の何かを思う。今だったら、治らなかったら・・を忘れるために、治ったらって言うことを考えてれば忘れる事も出来る。けど・・それは一時的。現実に帰ればまたそれの繰り返しって言う事になってしまう。物事を二面的に考えると、いつまで経っても心は落ち着かず・・悩んでしまう・・らしい。そうだろうと思う。家庭が大事か仕事が大事か・・とか、自分が好きだとか好きでないとか・・。私も最近そういので悩んだし、手にもっている物をいつまでも放されないでいるから重荷にもなった。けど・・ここに来る人たちのおかげで、そんな物どうでもいい・・どっちに行くというのではなくて、どちらかを考えるのではなくて・・どちらも今忘れてを生きる、自分を生きるのが一番良いのかなって思えるようになった。言葉ではなくて、感じるっていうのかな。白でも黒でもなくても・・もしかして素晴らしい灰色があったりして。これは言葉の綾だけども・・。確かに、二面的な考え方は解り易いけど、反面本当の答へっていうか、見なければならないモノまで見えなくなってしまう。こんな事を言ってても、また直ぐに悩みだす自分が見える様だけども、少しづつでも良い方向に進めればなァって思う。両忘って・・健忘症の私には便利な言葉だけど・・この言葉自体忘れたりして・・。今日は雨が降るのか降らないのか・・と言う事よりも、今日も良い日・・で生きたいです。
2007.06.02
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今日、病院に行った。かなり痛い思いをしなければならないかも・・。ま・・麻酔があるからそんなに深刻でもないんでしょうが・・・。そこの病院のソファーで腰をおろして待っている時、こんな話が聴こえてきた。『あいつは偽善者だよ・・人の真似ばっかりして自分からはした事がない』って。そうなんですよね・・要領よく、いい所取りをして・・人の前ではいい事をする。確かに、影で隠れてとんでもない悪い事をしている人もかなりいると思う。なにかあると、まさかあの人が・・・ですからね。けど、そういう批評をしている人はどうなんだろ。確かに、悪い事はしていない(?)かも知れない。しても取るに足りない事だと思うし。それはそれで良いとしても、その代わり良い事もしていない。後からまさか・・と思われるような良い事。その人たちに言いたい。それじゃ貴方は出来ますか?真似でも良い・・人前で困ってる人に手を差し出したり転んだ人に駆け寄って起こしたり。出来ますか、良くない事をしている人がいたら注意したり、説得したり。出来ますか、良いものとか事を見て誉めてあげること?出来ますか、綺麗なものを綺麗と言う事を。人前では、思っていてもなかなか出来ないんですよ。言えないんです。言ってあげられないんです。恥ずかしい、人の事、人はどう見るんだろう、当たり前、自分でなくても・・そんな風に思われたくないから・・。日本人っていつもこれ。私は言い過ぎるから、よく言われます。『今の若い人は何するか解らないからお止めなさい』って。私の母が生きてた頃、良い事は真似でも良い。親孝行は真似でも良いって教えてくれた。何でも、稽古事なんかは真似から入って行くんですよ。やり方が解らなかったら・・真似で良いんです。人にどう思われるかって言う事よりも、自分はそれで良いのかって考えないと。困ってたら手伝う(助けるなんて大きい事でなくてもいいんです)って当たり前でしょう。人を偽善者呼ばわりする前に、自分はどうなの・・って考えないとね。
2007.06.01
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