愈々庵気まぐれ日記

愈々庵気まぐれ日記

2009.02.22
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カテゴリ: 都内散歩

思い出の名選手

前ブログでさんざん毒ずいてしまったこと反省している

なにしろ野球少年だったころ野球は多くの夢や生きがいをくれた

大人になれた栄養源は一部野球にあったかもしれない

博物館には現役選手やつい10年くらい前まで活躍した人ゆかりの

品もあったが王さんのバットと長島さんのユニフォームはやはり特別

一度南海入りを入りを表明した立教の長島が最後の最後にドンデン返しで

巨人に行き、その前にはいつも捻られていた40勝投手別所を引き抜き

40勝が無くなった南海と40勝がプラスされた読売は勝負にならなかった。

そんな次第でアンチジアイアンツになった私にとってもこの二人は特別だ、

まことに尊敬に値する偉人である。

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少年時代の英雄はまさしくスタルヒン投手、ロシア革命避難民として

渡日した両親、旭川中学での活躍、確か大戦中須田と改名させられ

戦前は読売(忙中閑話:私は巨人軍とは言わない。巨人はGiantsの和訳。

それを言うなら鷹軍、獅子軍、龍軍、虎軍、燕軍、鯉軍、湾の星軍、鷲軍、

海人軍、戦士軍、青波軍と言うべき) 戦後は弱小球団を渡り歩き

日本で始めての300勝投手。悲劇的な死。偉大な人! 

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日本の学生野球にとっては忘れがたい人 安部磯雄先生

社会人野球の恩人久慈次郎さん

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天才バッター大下弘さん。川上の赤バットと並び称される大下の青バット

川上が常に読売の4番、全日本の4番、リーグ8連覇監督として陽の

当たる道を、稀代の天才バッター大下は常に綱渡りの人生

私の中では最高のプレイヤー 

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取りとめも無い回顧話はこの位にして 展示品に戻ろう

日本の野球は第一高等学校のアメリカ人教師によって持ち込まれ

ついで慶応義塾が続いて早稲田専門学校がそして二次大戦までは

プロよりも早慶戦が人気を博す。その始まりがこの文である

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早稲田のこの申し入れが受け入れられ慶応の三田綱町運動場において

伝統の一戦が始まったとされている。

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最後に半世紀余りの間、グラブの変遷を見てみよう

私が少年時代まだ活躍していた真田投手のグラブ、五本の指が独立に動いた

破けるともちろん糸で縫った。私が最初に手にしたのもまさしくこれであった

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前記スタルヒン投手晩年のグラブになると親指と人差し指の間が紐で

繋がっている、また指の間に紐が通り五指が自由に動かない

私が中学時代選手として使ったのはこのタイプであった

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下左のは日本で始めてスライダーを投げ、初めて完全試合をした読売の藤本

この頃になると軍手ではなく薄皮の手袋を付けてグラブを付ける様になった

現在のグラブは昔の素手で取ると痛いので手袋をつけて取るというよりは

玉をつかむ装置になっている。

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最初の真田投手のグラブ(当時はグローブと言った)を見て欲しい

ボールは常にスイートスポットに納め5本の指で掴むのである。したがって

人指し指を外すなどはとんでもない。そんなことしたらボールはそこから抜けてゆく

 したがって左手のグラブに収まった玉は右手で押さえ込む。

キャッチボールの基本は両手取り、片手取りは厳しく叱られた

少年はタイミングをはずし右手の指先を球に当てる、激しい付き指である

指の太さは倍以上に腫れ上がり紫色、痛いなんてもんじゃない箸など

とても握れない。 

昔少年だった私の右人差し指はいまでも左手よりはかなり短い。

野球博物館は随分昔の追憶を呼び起こしてしまったようだ






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Last updated  2009.02.26 10:18:16 コメントを書く
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