愈々庵気まぐれ日記

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2009.10.11
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い和園

郊外のい和園を訪れた。ここは西太后夏の離宮である。

彼女は夏の間ここで政務をとったが、そのために時の皇帝

光緒帝をここに幽閉する必要があった。

西太后は清朝威(代用字)豊帝の側室で同治帝の生母、

威豊帝の没後同治帝を5歳で即位させ摂政となる。さらに同治帝が

18歳で死ぬと甥の光緒帝をたてて、自分は摂政となり実権を握った。

後年同治帝が立憲君主制を敷こうとするとクーデターでこれを阻止し

帝を幽閉した。後年8カ国連合軍と戦ったが敗れて西安に逃れる。

北京復帰後は良政を敷いたが対外的には屈辱外交に転じ半植民地した。

そして革命運動が高揚したが彼女自身は革命による王朝の崩壊を見ずに

亡くなった。世界史における才女・悪女の典型とされる西太后の本心を

覗きたいのは私だけではあるまい。

その西太后の離宮である”い和園”は一度8カ国連合軍によって

破壊されたが彼女はこれを復元して利用している。大きく言って

ここは大きな人造湖の昆明湖とその際掘りあげた土を盛った万寿山、

各種楼閣からなる広大な庭園公園である。

現代人は仏教色濃い象(普賢菩薩の乗り物)を植木と花で作り

入口に配置しているが、龍は王権の象徴、そして獅子や鳳凰は龍の子である

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彼らが王の政務の場である仁寿殿の前に立ち護衛している。

裏の庭園にはパンジー、鶏頭、ベゴニア、コリウスといった園芸花の尾長鳥飾り。

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広大な昆明湖の端には大理石で作られた二層の船(もちろん

浮かんでるわけではない)、西太后はここで月を愛で晩餐するのを

こよなく好んだという。

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柳に囲まれて見事な造形を見せる太鼓橋

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中国の庭園によくみられる瓦と石の歩道敷石もここでは規則的な文様でない。

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万寿山裏の園地を歩いていると見慣れない林が目に留まった。

プラタナスかカバノキのような木肌をしているのに松の葉っぱ、

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ガイド氏は日本語で「樺松」ですと教えてくれた。きっと直訳なのだろう。

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Last updated  2009.10.11 09:21:37
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