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長岡・火焔土器(1)
4日間有効の”大人の休日切符” を2日間残して帰京してしまったことは一昨日の
ブログに記した。そこで最後の日以前から行きたかった長岡へ火焔土器をを見に
行くことにした。何しろ往復1万7千円もの新幹線代が只になるのである。
ゆっくり家を出て10時過ぎに”MAXトキ”の2階席に乗り込んだ、2階席だと
雪景色が十分楽しめるからである。上毛高原辺りから景色は雪景色となったが
長いトンネルを抜けると川端康成の「雪国」の文章通り急に深い雪の世界である。
長岡駅で降りるとコンコースにさっそく下の火焔土器のレプリカが飾ってある。
岡本太郎の言葉、「縄文土器。これを見たとき 心がひっくりかえる思いだった。
人間生命の根源、その神秘を凝集し つきつけた凄み。私はかってこんな
圧倒的な美観にぶつかったことはなかった。全身が”ぶるぶる” ふるえあがった」
と記されている。
美の認識能力の差で太郎の美意識を共有できないでいた私でも初めて
”火焔土器”の写真を見たとき縄文人の美意識が私の認識をはるかに超えた
ものであることを知った。
インターネットや案内書でもこの火焔土器が長岡で出土し、市立科学博物館に
有ると書かれている。行き方を訊きに案内所に赴くと、今は発見された
”馬高遺跡”に博物館が建てられそちらに移っているという。
案内された通りバスを降りると雪かきされた道路に長岡城と火焔土器が描かれた
マンホールを発見した。この時ほとんど雪に埋もれているものを見つけて嬉しくなった。
博物館への曲がり角には道路標識として大型の火焔土器レプリカが飾られている。
博物館公園入口標識にも同じレプリカ、?いても掻いても降り積もる雪に
立派な標識もほとんど見えない。この時期の週日駐車場にも車は見当たらず
訪れる人もほとんどいないので遠来の客にはこの方が好もしい。
ここ1,2年の間に出来たものらしく平屋の博物館はなかなか立派なものである。
そして展示室に入るといきなり”火焔土器”が鎮座している。そして説明文に
「火焔土器とはこの1個の土器に付けられたニックネームで近藤篤三郎氏が
1936年の大晦日にここ馬高遺跡で発見したもの」だそうだ。何と私が生まれた
年に私より数か月後で世に出たものだとか。 なんだか親しみが湧くではないか。
篤三郎氏は地元の地主で3代に渡ってこの馬高遺跡を発掘し続け資料を整理して
いた人で当時は郵便局長をしていたそうであるから大晦日と言えども貴重な発掘日
であったのだろう。
因みに越後、関東、東北の縄文遺跡でしばしば発見される類似型のものは
”火焔型土器” と呼ばれているそうである。
ここでも超特別扱いで展示されている。新潟県中越地方に壊滅的被害をもたらした
中越地震の時は特別展示のためミュンヘンに行っていたそうで、昨年の東北
大地震の時にはたまたま修復のため柔らかな綿の台に乗っていて損壊を免れた
と云う第1級のパワーグッズらしい。
このような大げさな飾りのついた火焔型土器は縄文時代の中期BC3000年頃の
数百年にわたって造られたとか。こんなものを見ると誰しも祭祀用の道具を連想
するが考古学の研究は実用に使われた確実な痕跡も発見している。
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