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岬の要塞
今回の旅は東京ゲートブリッジと東京湾アクアラインを通るのが目的であったが、
泊りは富浦湾と館山湾の間に突き出た大房岬に有るロイヤルホテル。この岬は
長さが2kmで 岬全体が標高80mの山である。岬の海岸は断崖となっており
全体が公園で、施設としてはホテルとキャンプ場・青少年センターが有るだけで
民家はない。海や陸から見ても密林に覆われた島はただの山にしか見えない。
東京湾の入口に位置し、断崖で海からは上陸できず密林以外何も見通せない。
こう書いてくるとここが戦略的に要塞に適していることは明らか。東京湾と地中海
では規模は異なるが岬の要塞と言えば私の年代ではあのグレゴリー・ペック主演
の”ナバロンの要塞”が思い出される。地中海に角のように突き出た突端だけが
イギリス領のジブラルタル海峡の山の要塞だ。
そんな訳で大房岬は黒船を迎え撃とうとした江戸末期から太平洋戦争の東京湾
要塞の一つとして砲台が置かれ重要な戦略地であった。当然民間人の立ち入り
禁止、戦後は公園として利用されている。今はキャンプ場として山のあちこちに
芝生園地が造られている。
密林の上を舞う鷲は要塞を偵察する無人機の様で何か不穏を予感させる。
古い映画「荒鷲の要塞」からの連想であろう。
ストーンサークル好きの私はつい下のキャンプファイヤーのベンチが2度も訪れた
ことのあるSalisburryのストーンヘンジに見えてしまった。
野外教室で訪れていた小学生が植生の勉強をしている園地の隅に
煉瓦で囲われた台が有りその脇の説明版に1921年アメリカ・イギリス・
フランス・日本・イタリアの第一次世界大戦戦勝国がワシントンで軍縮会議を
開催し、日本の軍艦も大型砲を何門か解除しなければならなかった。その大砲
解除されたは三浦半島の剣崎とこの大房岬要塞に設置された。しかし黒船時代
ならいざ知らず太平洋戦争では航空母艦からの艦載機での本土空襲でこの
砲台は何の役にも立たなかった。
園内には要塞の施設が随所に残っており、皆入口はコンクリートで塞がれて
いるが上の写真の弾薬庫跡、下の写真の地下発電所跡などが残っている。
いずれも密林におおわれており、秘密の要塞だったことが分かる。
発電所はかなり大規模だったことが窺われるが、ここには探哨燈保管庫などと
言うのも有る所から見ると夜間航空機を発見するサーチライトも設置されていた
のだろう。使用時に地上へ移動する竪穴やエレベータなども有ったようである。
この岬は江戸時代から要塞であり、岡山藩がその担当とされ幾多の黒船の
侵入を幕府に報告していたそうであるが、沖合を攻撃できるほどの性能の
大砲は持っていなかったようでここからの砲撃の史実は知らない。
十三門の大砲が据えられていたと言うが今はせいぜい小高く盛り上がった
場所を見る位で密林の中、とても砲台跡とは認めがたい。
広場に出てふと館山湾を眺めると江戸時代にタイムスリップしたかのように
黒船ならぬ白い帆船が帆を降ろして停泊している。
Webで調べてみると航海訓練機構が保有する2艘の帆船の一つ、海王丸だと
分かった。もう一層は日本丸で、この2層は船首の像など細部では異なるものの
殆んど瓜二つで用途も殆んど同じ航海訓練船だそうだ。館山湾には海洋大学の
施設や海上自衛隊基地なども有り、海王丸も年に何度かここに停泊するそうで
訓練機構のホームページにはスケジュールが記されている。
前日はホテル前庭からも良く眺められたが翌日の朝湾にその姿を認めることは
無かった。ホームページにはこの日(7/9)まで停泊することになっているが船の
朝は早く私のカレンダーとは異なるのだろう。
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