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禅宗は中国宋の時代に達磨大師により開かれた仏教で日本には
鎌倉時代宋から渡来した僧によって普及した。竹を割ったような論理で
分かった様な分からないような禅問答を通しての修業は公家政治から
武家政治に移った時代の武家の素養を高める為に取り入れられた。
戦国時代になって武家たちは戦いに忙しく禅どころではなく、衰退して
いたが江戸時代中期白隠禅師が斬新な発想で再興をしている。
初期の禅宗は5派であったが我が国で普及したのは主として曹洞宗と
臨済宗の2派である。白隠は特に臨済宗に大きな足跡を残し、かって
静岡地方の言い伝えに「駿河の国に過ぎたるもの二つあり、富士の
お山と原(白隠の生まれ故郷)の白隠」と言われていたそうである。
白隠の禅画には殆んど讃文が添えられている、古い時代の画には
余白に画家の知人が賛辞を書きこんでおりこれを”讃”というが、白隠は
殆んどすべて自分で記入している。絵と合わせて禅問答の設問と解答
と言う捉え方をして見ると面白い。
「隻手(せきしゅ)」 隻手とは片手のことで両手をたたけば音がする、
どちらの手から出たのかそれを聞いてこい」と言う設問(臨済宗では
公案と言う)を絵で表現したもの。現代に生きる私が雲水(修行僧)で
有れば「古においては右が正当・正義とされたが現代においては左手
も右手の補完ではない。師の公案は右手なりや、左手なりや 問い
申そう」 と答える。「馬鹿もの 仔細にこだわるでない 本質を見よ
おぬし 剣豪ドラマの見過ぎじゃ」
白隠は文字を組み合わせることで絵を描く手法を多用する。下の「鐘馗」の
絵は画題、文字列共に老脳からは抜けだしてしまったが顔と剣以外の
白隠は禅僧であるから勿論禅宗の開祖達磨を多く描いている。
この展覧会では六角形の大きな部屋がすっぽり達磨画で飾られ
中央の椅子に座ってどちらを向いても色んな形相の達磨さんと対峙
することになる。
達磨さんは誰も知るように座禅に励み足が退化してしまった人なので
半身像または肖像画が多いが何れも巨大で大胆な線で描かれている。
特に達磨を描いた場合一気に仕上げたものが多く下絵の線など
無視しっぱなしの絵が多い。
達磨さんの絵を含めたかったが前ブログ冒頭の「朱達磨」以外には
パンフレットに無く、Web上でも殆んど見かけない。
TVからの転載と思われる上の画像があったが出所がよく分からない。
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