愈々庵気まぐれ日記

愈々庵気まぐれ日記

2014.09.23
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テーマ: 国内旅行(1821)
カテゴリ: 国内旅行
  • 新穂高ロープウエイ

  • 今回の信州への旅は久しぶりに旅行社のパックツアーを選んだ。
  • 宿は上高地をよぎって平湯温泉から奥飛騨温泉郷を深く入りこみ、その一番奥に
  • 有る新穂高温泉である。午後3時を過ぎていたがホテルの隣から出ているロープウエイ
  • で標高2200メートルの穂高口に上った。ここからは遠くに槍が岳を望み眼前の
  • 穂高諸峰が望めるはずであった。残念ながら途中からホテルの背後に聳える
  • 笠が岳の方面に雲がモクモクと沸いてきた。

  • RP1120024.JPG

  • 反対側の穂高岳連峰にもどんどん雲が広がり始めた。午後遅い時間になると
  • 谷間から噴き出すように発生する雲はあっという間に峰を覆ってしまう。

  • RP1120025.JPG

  • 穂高口に着いた時あたりはもう濃いガスに囲まれて遠景は消えてしまった。
  • ここから見える飛騨側から見る穂高の姿を楽しみにしていたが見事に
  • 裏切られてしまった。

  • RP1120031.JPG

  • 仕方なく道端のスミレの花など見ながら周りの遊歩道を歩いていると、
  • 石碑があり「案内板に「播隆(ばんりゅう)上人」とある。1821年からこの地で
  • 念仏修行し、1822年には笠が岳登山道を開鑿しており、1828年には
  • 槍ヶ岳にも登頂して開山している。ウエストンが上高地を紹介したのが
  • 1896年(明治29)であるから、信仰登山とは言え70年も早く北アルプス
  • の山々を開山し登山道を整備した人がいたわけである。
  • 映画「点の記」で剣岳の初登頂が記録された時そこに行者が遺した錆びた
  • 鈷(杖金具)が遺されていたあの場面を思い出す。山中で朽ちる覚悟で行を
  • した昔の修験道の厳しさを彷彿させる播隆上人であるが、私を含めほとんど
  • の人の脳裏に浮かぶ名前ではない。
  • この地では毎年5月11日に「播隆蔡」が執り行われているそうである。
  • 石碑だけが新しいが新しいのに取り換えられたのであろう。

  • RP1120030.JPG

  • RP1120029.JPG

  • ロープウエイの中継点にはもう一つの新しい石碑がひっそりと建っていた。
  • よく見るとクルッケンハウザー教授の碑とある。氏はオーストリア国立スキー
  • 学校の校長だった人で、日本の近代スキー競技に大きな貢献をした人との
  • ことである。

  • RP1120032.JPG

  • 八甲田山雪中行軍の惨事に懲りた陸軍がオーストリアの武官レルヒ少佐を招いて
  • 近代スキーをとりいれたのが1911年、その後も日本の近代スキーいつもオーストリア・
  • チロル地方のスキー関係者に負うところが大きい。
  • この人の名も知る人は少ないが碑には”War hohe steile Berge liebe muss
  •  HOTAKA gehen"とあり、名訳とは思えないが「高い険しい山々を愛する人は
  • 穂高に行かなければならない」の訳が添えられている。
  • RP1120033.JPG





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Last updated  2014.09.23 16:59:38
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