愈々庵気まぐれ日記

愈々庵気まぐれ日記

2015.08.30
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カテゴリ: 都内散歩
  • 先日練馬区立美術館で開かれている「船越保武彫刻展」に行ってきた。
  • 我が家からは2駅で歩いても行ける所に有り、ほぼ2カ月ごとに催される企画展は
  • ユニークなものが多く、ほとんど毎回出かけている。9月初めまで上の企画展が
  • 開けれているが8月下旬まで余りの暑さに足が向かなかった。
  • 普段来訪者はほとんど区民で週日はゆったり観賞出来るのが特徴であるが、
  • この日(木)は切符を求める人の列が館への入口から溢れていた。こんな光景を
  • 目にするのは初めてである。実は2,3日前にテレビ番組「ぶらぶら美術館」で
  • 山田太郎さんが紹介したのでそのせいであろう。明らかに区民以外の来訪者が多い。
  • 中に入っても上野や都心の有名美術館の企画展並みである。テレビの影響力の
  • 大きさに驚いた。

  • さて船越保武さんは親友佐藤忠良さんとともに戦後日本を代表する彫刻家である。
  • 戦前の若き日に池袋・練馬に有った芸術家村に住んでいたらしい。
  • 戦前のこの辺りは森や畑の中である、貧乏芸術家たちがアトリエ付きの長屋に
  • 集まっていた。「池袋モンパルナス」とも呼ばれたこの芸術家村に住んで仲間達
  • と研讃していた。
  • 戦後漫画家達やアニメーションスタジオが集まったこの地域であるが、戦前から
  • 芸術家の集う場所であったらしい。そんな御縁で今回の企画展が企画された。

  • P1150635.JPG

  • 練馬時代に船越は偶然池袋の石屋で紅色斑入りの「紅霰石」を見つけて惚れ込み
  • 直ぐに購入し、リヤカーでアトリエに運んだ、そして近所の石屋に頼んで石鑿(のみ)を
  • 借りて初めて彫ったというのが下の作品で21歳の石彫像処女作である。

  • P1150636.JPG 隕石

  • 船越の言によれば「石はその中にすでに像を持っており、彫刻家はその包みものを
  • 除いてやるだけ」なのだという。石を見た瞬間芸術家はその中に三次元の像を見る
  • らしい。
  • 一方ブロンズ彫刻は粘土重ねて作り上げた石膏型を鋳型にして鋳造するものである。
  • 芸術家の造る三次元の石像イメージの鋳型の中に粘土を埋め込む作業である。
  • 彫刻家の作業に削る・埋めると言う逆の過程が有ることに気がついた。

  • 次のブロンズ像は壮年期の作品であるが、彼は七五歳の時脳梗塞で右半身の自由
  • を失う。ところがそこで創作活動を諦めることなく左手でデッサンをし、左手で造形作品
  • を作り続ける。

  • P1150632.JPG 萩原朔太郎

  • 一般に彫刻家のデッサンはイメージのメモ的なものが多いと思っていたが船越の
  • デッサンは精緻そのものである。このブログの写真はポスターの写真を転載した
  • もので、晩年の作品の写真が無いが、さすがに滑らかな作品は無いが、一見荒々
  • しく見える塑像は対象物の真の姿をよく表現しているようにも見える。
  • 病床ですでに左手でデッサンを始めたと言う気力に圧倒される作品群である。

  • P1150630.JPG ANNA

    P1150633.JPG聖マリア・マグダレナ

  • 戦後間もなく長男を7カ月で失った時、知人の元へ駆けつけてその庭に咲く
  • すべてのスイセンの花を譲り受け、棺に入れて顔以外をすべて埋めつくしたという、
  • それを描いた絵もあった。長男の死を期に一家で洗礼を受けキリスト教徒となった
  • そしてその後キリスト教を題材にした作品を彫り続ける。よく知られているのは長崎の
  • 聖二十六殉教者像である。また代表作に聖ダミアン像があるが、この聖人はハンセン
  • 病患者と生活を共にして自分もハンセン病に感染し、自分も仲間になれたと喜んだ
  • という。次の何かを柔らかく包む手はハンセン病でごつごつした聖人の手である。

  • P1150628.JPG

  • 長崎の殉教者像を刻んだ時天草の原城を訪れ、天草の乱後の原城をテーマに
  • した作品を多く残している。滅び去った農民兵に思いをはせその姿を彫っている。

    P1150631.JPG

  • このブログをものした後、投稿前にWEBに当たると上に記した混雑の理由が分かった。
  • 前の週に美智子皇后がわざわざ足を運んでいた。殆ど報道されなかったので気がつか
  • なかったがこの時案内をされたのが船越保武の長女の千枝子さんだったらしい。
  • 児童文学の分野での活躍を通してお二人は旧知の間柄であったとのこと。
  • ちなみにこの千枝子さんは保武が初めて生まれた子の名付を高村光太郎に依頼した時
  • 光太郎は「私にはチエコの名前しか浮かんでこない、しかし智恵子の様な悲運を背負わせ
  • たくはない」と言って『千枝子』の名を提示したとのことである。











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Last updated  2015.08.30 16:48:11 コメントを書く
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