愈々庵気まぐれ日記

愈々庵気まぐれ日記

2019.02.19
XML
カテゴリ: 都内散歩
この冬は予報とは裏腹に厳しい寒さである。先週末久しぶりに12,3度の
日が続いて空模様も良かったので石神井公園まで足を延ばした。
日曜日とて久しぶりにスワンボートもたくさん漕ぎ出されていて
岸辺ではラジコンボートが水面を駆けている。


軍艦を思わせるものからレジャー用クルーザー、ヨット、果てはドラエモンを乗せた
屋形船も浮かんでいて、屋形船は櫓をこいで動いているように見える。
寒い時期は小型船が多くマニアの年齢層も高い。






何種類かの鴨が仲良く町内運動会のような動きをしている。


湖畔のふるさと文化館で下の展覧会が模様されており、
区の施設では老人は無料なので気軽にのぞいてみた。



江戸郊外の農村である練馬にも幕末・明治の異変は大きな影響を及ぼしたそうである。
意外な感がするが練馬は幕府直轄地でかっこよく言えば天領であった。
天領と言えば金山のような特産品があり、幕府の経済を支える価値がある所と思いがちだが、
江戸近郊は旗本の知行地にしたり鷹狩(軍事訓練)などのため必要だったのだろう。

和宮降下の嫁入り行列や将軍の上洛行列などあるたびに代官が農民から金を集めて上納している。
中山道筋とあって大きな行列時には随行の人々を泊める寺などの場所とともに食事なども
供さなければならなかったらしい。そんなわけで寄付依頼、領収書、感謝状などの
古文書が多く展示されている。
さらに上の展覧会パンフレットから当時の浮世絵・錦絵を2,3転載してみると、
外国船の襲来に備えて品川沖に11個築く予定だった台場建設の際には
土嚢を作るための「開俵」と言う空の米俵の供出を命じられている。
下の絵はその宣伝ビラなのだろう。


幕末の世状として長州軍による御所への攻撃、鳥羽伏見の戦い、上野の山の戦い、
東北地方での戦い、西南戦争と戦の連鎖反応がある。
この頃現代の週刊誌の役割を果たしたのが浮世絵・錦絵ビラである。
常に劣勢に立っていた幕府の膝元で現実の戦況など報道できるはずがない。
そこで「信長による比叡山火攻め」と題して上野の山の戦闘の実情を描いたり、
双六や子供の鬼ごっこなどで各戦を報道している。


その際上の絵で黒装束は官軍、袴姿の僧兵は寺を守る幕府軍として描かれている。
また下の子供の鬼ごっこでは衣装の模様から特定できる大名達の立ち位置や姿勢が表現されている。


こんな浮世絵が跋扈していたということは、いくら情報統制が行き渡っていても
庶民はいろんな情報を得ていたということであろう。

それにしても思い出すのは先の日米戦争では情報統制が徹底されていて
日本の窮地を語る人はいなかった。いかし広島に原爆が落とされた時、
四国の片田舎に住む9歳の私にも「小さなマッチ箱くらいの爆弾で広島が吹っ飛んでしまった」
と隣のおばさんから聞かされた。戦争も末期になるともう統制が利かなくなるのであろう。
末端の人々が自分の陣営の不利を語り始めた段階で戦は終わっていると言うことだろう。

散歩報告のつもりがとんだ方向に行ってしまった。「気まぐれ日記」に免じてご容赦!





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.02.19 16:20:49
コメント(0) | コメントを書く
[都内散歩] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: