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写真は“がんバレージャンプくん”へパナマ海軍の後を追うかのようにフェリーも動き始めた。
2012年01月31日
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写真は“がんバレージャンプくん”へパナマ海軍が先導する。フェリーは運河のレーンに沿って進む。運河のレーンというのがはっきり分かる。
2012年01月31日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ16:25、終了。前のゲートが開く。
2012年01月31日
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写真は“がんバレージャンプくん”へフェリーは上昇していくのではなく、ドックに入っていくと水が引いていくようになってきた。水面の高さが変わってきたんだ。
2012年01月31日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ16:10,再びドックの水かさが増していく。今回は写真を10秒ごとに撮っていくことによってパラパラ漫画・状態にしたやろうと考えた。
2012年01月31日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ16:00、次の閘門にやってきた。自分はフェリーの最後尾にいて後ろのタンカーの写真を撮る。ドンドン近寄ってくるタンカー。タンカーをこれほど近くで見ることができるというのも初めてだろう。
2012年01月30日
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ふと、周りを見渡すと・・・閉店の店相次ぐ・・・この前まで入った店が・・・景気が悪いのかな・・・
2012年01月29日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ貨物船が対向する。貨物船の船員たちもこちらを見ている。一体どれだけの荷物を載せているのか!?と思ったら続いてやって来た黒い貨物船だ。海面上にはまるで道路の車線が描いてあるようにランプと線が描いてある。
2012年01月29日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ15:00,次の閘門に着く。ここでパナマ運河ツアーの終わりだろうか!?・・・と思ったがそうではなかった。後ろから今大きなタンカーとヨットがやって来た。ヨットで力するというのはきっと大金持ちなのだろう。ドッグに入ると前方のゲートが閉まっていく。右隣のタンカー(と思う)がすれ違うように後方へと行く。運河の上にいる係員がロープを下(フェリー)に投げ込み、下にいる係員がロープを受け取る。観光客の多くはこのロープとそれを持つ係員と一緒に記念撮影をする。みんな、大騒ぎだ。フェリーはエレベーターのようにゆっくりと上昇していく。満水になった。15:50,閘門通過を完了する。すると前方のゲートが開く。フェリーは前へ進む。
2012年01月28日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ話しをしながら、パナマ海軍誘導のもと、ガトゥン湖やバロ・コロラド島を通りながらゆっくりとクルーズが進む。そして何隻もの貨物船やタンカーとすれ違う。そのたびに私と須藤元気さん(仮名)はカメラで写真を撮る。須藤さんは何とフィルムカメラだった。最近では珍しいとは思ったが、尊敬の念を持って横で眺めた。やはり、新しいものばかり追いかけないところ、そして、写真はフィルムの方がきれいだから・・・。
2012年01月27日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ12:00、フェリーは港による。午前中までのツアーがここで終わる。12:10,再びフェリーは出航する。そして、話しを続ける。「外務省に勤めていたといいますが、エッソの社員が外務省に勤めるというのはどういうことですか?」「石油会社は産油国との関係を上手く輸入ができるように、石油会社から若干名が外務省に出向するんです。」「へえ~!」驚き!~~~始めて知った!「そのとき、国会答弁の文書を考えなければならない。“あんうん”の了解で質問は前日の午後5時までに分かるようになっているが、管さんと前原さんはそれより遅い時間に質問がまわってくる。そのためにそれから答弁を考えなければならないため夜中に答弁を考える。しかもこの2人の質問はつまらないが多く、何のために夜遅くまで外務省に残っていなければならないのか!(怒)と思うときが度々ある」と・・・。
2012年01月26日
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昨日・今日において義父のお通夜と告別式がありました。思い出すと涙が出てしまうので、思い出すのをできるだけ避けました。つらく悲しい日でした。
2012年01月25日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ11:00前になった。今回は昼食時間であるが行列になる前に先に食事を取ろうということにした。先に、須藤元気さん(仮名)に行ってもらい自分はその後という順番にした。この【出張】におけるチケットの取り方の話しになった。「エッソ石油はアメリカン航空と会社同士で契約をしているので、自分ででチケットを取るということはしなくてよい。しかし、自分から“早くチケットを取ってくれ!”といっても出張の日程が変更され、キャンセルになる恐れがあるのでなかなかチケットの手配を会社がしてくれない。そのため、キャンセルになってもあまり困らないような日を前もって行っておく」と・・・。さらに、話しをしてくれる。「以前、外務省に勤めたことがある。外務省では航空チケットの手配をするときに、旅行会社(または航空会社)が談合できないようにさせているが、むしろ(旅行会社または航空会社)契約をした方が合理的だ。官公庁もこのあたりを改めて考えていかないと(経費削減)いけないのではないか!」とも・・・。
2012年01月25日
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写真は“がんバレージャンプくん”へこのあたりは両サイドがかなり狭いゲイラード水路(クレブラ・カット)だ。ゲイラード水路は分水嶺を掘削したという珍しい水路である。運河建設当時はクレブラ・カット(水路)と呼ばれていた。その後、運河建設工事の責任者である土木技師デイビット・D・ゲイラード大佐にちなんで、ゲイラード・カット(水路)と名付けられた。ガツン湖の南端ガンボアからペドロミゲル閘門の北端までの約13.7kmの脊梁山脈を掘削してできた緩やかな曲線水路である。両岸の掘削面には様々な色彩の地層・岩層が確認できる。硬い岩石や土よりも軟らかい頁岩の掘削が1907年から1913年まで通算7年に及ぶ一大難工事であった。大発破、大型蒸気シャベル、蒸気機関車に牽引されて搬出される大量の掘削土量、大規模な地滑り事故など、このゲイラード水路掘削工事だけで一冊の書物になる。 当時の貴重な資料・記録や写真なども多数残されており、現地の博物館で公開展示もされている。また、インターネット上でも様々な報告が掲載されている。書くネタには不足はないが、今回は紙数の関係で残念ながら省略する。 掘削土の大半は周辺の密林に客土されたが、一部はパナマ湾まで鉄道で輸送されて、小さな4つの島を結ぶ防波堤の建設や200万m2以上もの埋立地の造成に供された。それが現在のバルボアである。1913年10月10日、ウイルソン米国大統領が米国首都ワシントンのオフィスからクレブラ水路とガツン湖を塞いで最後に残っていた岩層の発破ボタンを押す信号をパナマの現場に送信して、発破作業が行われ、ガツン湖の水がどっとクレブラ水路に流れ込んだ。 1913年12月10日、フランスの浚渫船がクレブラ水路に入り、水路底部の残土浚渫作業が始まった。 トパーズ号はシャグレ川がガンボアで運河に流れ込むこのゲイラード水路に入る。水路の中では最高峰ゴールド・ヒル、海抜約176mを左岸に見る。黒い岩肌がベンチカットされている。 その反対側の右岸はコントラクターズ・ヒル、当初は海抜約123mであったが、安定性を得るため、1954年に頂部が約12m掘削され、海抜111mとなっている。 ゲイラード水路は当初、幅90m、水深13.5m。1930年代、1940年代、ゴールド・ヒル付近が幅150mに拡幅掘削されて、大型船舶の通航が可能となった。 2001年11月、ゲイラード水路の最狭部分について、3億ドルをかけて、約40mの拡幅工事が行われ、192mとなった。この結果、船舶はそれまでの一方通航が解消してすれ違い通航が可能になり、水路の通航能力が20%増大した。 トパーズ号がこのゲイラード水路を通航したときも、ゴールド・ヒルの手前の左岸では、ボーリングマシンが台船に載せられて、水路底部掘削作業がおこなわれているのが見られた。(http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/abeken-col0101.htmlより引用)
2012年01月24日
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写真は“がんバレージャンプくん”へペドロ・ミゲル閘門を抜けると、パナマ運河で最も幅が狭いゲイラード水路(クレブラ・カット)へと進む。 間もなくすると、センテナリオ橋 Puente de Centenarioが見えてきたきれいな斜張橋だ 。アメリカ橋を通る従来のパン・アメリカンがパナマシティの真ん中を抜けるルートなので、都心部回避のために7~8年前に建てられたパン・アメリカンのバイパス的な橋。センテナリオ=100周年、という名前からして、多分建国100周年の2003年ごろに建てられたたみたいだ。(より引用)こんな橋は映画に出てきそうな橋だ。本州・四国連絡橋(しまなみ海道 )にありそうな橋にも思えた。
2012年01月23日
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試合終了5分後、家人から電話がありました。・・・急でした。
2012年01月22日
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ふ~!よかった!しかし、しんどかった。これからが大変。
2012年01月22日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ壁には目盛が着けてある。その目盛でも水かさが増していく様子が分かる。(86フィートのアップする)だんだんと周りの景色がよく分かるようになってくる。1羽のペリカンが休憩している。パナマの国旗がはためいている。再びドッグの扉が開くとパナマ海軍のボートが先導していく。続いてヨットが行く。隣のレーンには違った大きな船が太平洋側(こちらのフェリーと反対側)に進んでいく。またその隣のレールにはディーゼル機関車が何台も待機している。
2012年01月22日
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【把瑠都、全勝Vに王手 千秋楽は横綱戦「自分の相撲を取りたい」】把瑠都は全勝しないとパッとしないなあ。何せ、稀勢の里戦の印象が悪い。琴将菊!早くも・・・やばい。敬子不足では!?白鵬、気合いが入っていないなあ。それにしても、大関が多すぎ!
2012年01月21日
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【「泣き虫愛ちゃん」20年目の日本一】石川佳純選手のコメントで「速くて着いてくのが精一杯だった」この言葉からいかに練習に励んだかが分かる。真の日本一だ!
2012年01月21日
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ふぅ~!やれやれ!です。
2012年01月21日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ暑くなってきた。飲み物は飲み放題だ。コーラを取ってくる。そして、須藤さんと話を続ける。ヨットがやってきた。どんな旅をしているのか分からないが、優雅な旅だ。続いてペドロ・ミゲル閘門にやって来た。同じようにドッグの前が閉まり、後ろが閉まる。(ゆっくりと水かさが増えるその様子を写真で撮っていく。)
2012年01月21日
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【米国の一般的評価は松坂より下!?ダルビッシュのメジャー1年目予想。】ダルビッシュはメジャーで活躍するか!?するでしょう!松坂より上?下?戯作なことを言わず見守っていきましょう!
2012年01月20日
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写真は“がんバレージャンプくん”へそしてそのゲート横にはレールがある。[[attached(10)]]きっと大きなタンカーなどはレールに沿ってこのディーゼルカーが引っ張って行くのだろう。その横にはロープを持った係員がいる。[[attached(2)]]向こう側の水門には国籍はパナマだが明らかに日本船が一足早く運河を進んでいく。[[attached(3)]]その様子を見るだけでも楽しい。[[attached(1)]]その様子をじっくり見られるこの席の周りはおじさん・おばさんだらけだ。この最もいい席を取られる訳にはいかんぞ!という思いもあるので、歩き回れない。[[attached(4)]]須藤さんが「水かさが増していますね!壁面を見れば分かります」「・・・」確かにそうだ。しかもその水の増し方が早い。[[attached(5)]][[attached(6)]]約15分くらいで閘門の水は一杯になった。[[attached(7)]]すると前のゲートが開く。[[attached(8)]]フェリーが進む。[[attached(9)]]
2012年01月20日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ9:20,ミラフローレス閘門にやって来た。前にパナマ海軍誘導の船が進む。その後を乗っているフェリーが続く。水門の方にドンドン進んでいく。前の閘門が閉まる。続いて後ろの閘門が閉まる。これからどうなるのだろう!?この閘門が水で一杯になるのは何時間かかるのだろうか!?・・・すると、全く違和感なく水が増していく。一緒にいた須藤さんと話しを続ける。前方に見える建物には人が見える。観光客か!?
2012年01月19日
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写真は“がんバレージャンプくん”へガイドは大きく太いおっちゃんだ。英語とスペイン語を話しながら、冗舌に話しをする。声のトーンも聞きやすくよくわかる。フェリーの前には護衛艦のような感じでパナマ海軍の小さな船が誘導する。やっぱり、ここでも治安が悪いのか!?向こう側には工場が見える。このあたりから見る小高い山は徳島の眉山のようにも見える。しかし、パナマはこの運河と船の税金でボロ儲けだ。やはり安く税金を押さえると、実は多く儲かるということも日本は分からなければならない。さてもうすぐ、ミラフローレス閘門だ。今回は、太平洋側から大西洋側に行くまでのパナマ運河約100キロの船旅だ。どうなんるだろうか!楽しみだ。
2012年01月19日
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この時期に心臓が痛いのは珍しいかなあ・・・心電図・X線をとっても異常はない。どうしてだろう・・・
2012年01月18日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ7:40,朝食を交代でとりにくことにした。行ってみると大行列である。7:50,出航。朝食も7:55に取れて交代をする。フェリーはパナマ運河を行く手前に大きな橋の下を通る。パナマ運河の太平洋側入り口に架かる橋【ラス・アメリカス橋】だ。というより単に「大きい橋だなあ!」と思ったくらいだ。行く前に勉強しておけばよかった。
2012年01月18日
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家から勤務先まで歩いた。約4.8キロを約40分で・・・勤務先から繁華街まで歩いた。約5.5キロを約40分で・・・
2012年01月17日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ6:55に港にやってきた。そして7:00に船に乗り込む。しかも一番だ。すぐに、2人で船の2階の一番前に陣取る。その人は、エッソの社員(須藤元気さん:仮名)で、アメリカに出張でやって来たが、ゴールデンウイークの仕事のため、その仕事が終わったのですぐに休みが欲しいということが認めてもらい、パナマにやってきてその後、キューバに行くという。東日本大震災の話しにになった。「地震のときは大変だった。本当に机の引き出しが出たり入ったりした」そうだ。「徳島から羽田で飛行機にやってきたときにたぶんTVでタンクが爆発していたがその爆破跡と思われるところが真っ黒だった」というと、「そのタンクはコスモ石油でエッソ石油ではない。そのとき、消防署の点検があってそのタンクには水を一杯入れてておく必要があった。。そのためタンクの重量が重く、爆発しやすくなっていた。エッソの会社(品川:対岸)から見て自分たちのタンクではないかと心配していた。エッソの精油所の東は千葉で、あとは堺、岡山なのでコスモ石油と比べてそんなに大きな損害はなかった。現在、石油を東北の青森まで運んでいるらしい」。また「最近、全国的にガソリンスタンドがつぶれているがそれはどうして?」と訊いてみると「前は1Lにつき10円の儲けが今は2~3円程度の儲けでガソリンスタンドも身銭を切っている。昭和60年にガソリン価格を自由化したために(エッソ)会社はガソリンスタンドが1/3に減るとよっそくしていた。そのことを考えると思った通りである」
2012年01月17日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ5:00,起床。というよりも、寝ることができない。そのため、メッツ-ドジャーズの試合をTVを視る。五十嵐、黒田も出ていた。6:00、モーニングコールある。それよりも、ベネゼエラのお金(ボリビアーノ)の両替はできるのだろうか!?きっとマイアミ・ニューヨークに行くのだらから必ず両替はできるはずだ。特にマイアミは、南米の玄関だから大丈夫だろう。6:15,ピックアップの車がやってきた。6:25,もう1人の日本人がピックアップで乗ってきた。車の中で色々と話しをしていると、昨日、パナマシティーを歩いたらしい。そしてパナマ運河の申込方法も実は自分と同じだ。日本でインターネット(日通ペリカントラベルのオプショナルツアー)で申し込んだ。しかも、この日でないとパナマ運河1日ツアーが参加できないのでこの日に申し込んだのも自分と同じだった。何か話しやすい人だというのが第一印象だ。
2012年01月16日
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【「最後まで素人」 問責の一川、山岡両氏に各省庁嘆き】小泉首相から毎年首相がかわる。まるで、生徒会長がかわるが如く・・・内閣が年2回かわる。まるで、学級役員がかわるが如く・・・
2012年01月15日
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パソコン修理完了
2012年01月14日
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18:50,パソコンを取りに行く!店は閉まっていた。閉店時間は18:00だった。
2012年01月13日
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ただいまパソコン故障中!
2012年01月12日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ最初、『Hotel Marvera』という名前だったのでスゴイ1流ホテルかと思ったらどこに出もあるホテルだった。(笑)大丈夫だろうか!?心配だ。ロビーに入ってフロントで名前を言うとちゃんと予約が取れていた。安心した。21:02部屋に入る。ちょっと休憩だ。ホテルから出て食事をとりに行く。目の前にはカジノが入るホテルがある。この辺は雰囲気が悪い。気をつけなければならない。どこで食べよう!?ちょうど、前にレストランがあるのでそこで食べることにしよう。メニューを見てもよく分からないので、「このステーキ!」とメニュー表から選んだ。ビールUS$8.35とステーキUS$15を注文する。すると・・・とんでもなく大きいステーキがやってきた。まさに“わらじ”だ!食べきることができるのだろうか!?とりあえずナイフで切る。すると・・・スジで切れない。どうすればいいのだろうか!?・・・そこでそんなときの切り方が分かった。それは、肉の上に肉を置いて切ることだ。するとすぐに切ることができた。しかし、噛んでも噛んでも・・・噛みきれない。あごが疲れる・・・2/3ぐらい食べてもうGiveUp!それにしてもさっさと帰ろう。帰りに店による。ココヤシの水ジュースとポテトチップス(US$2.25)を買う。パナマは物価がとても安い。しかし、治安はかなり悪い。気をつけろ!22:00頃ホテルに帰ってきた。洗濯、入浴が終わったのは22:40だった。
2012年01月10日
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仕方なく、2階に行ってタクシーに乗るしかない。すると体のやたらと大きいおっさんが“Taxi?”と訊いてきたので思わず“Yes!”といってしまった。そのおっさんは「私は政府公認のタクシー運転手だから心配するな!」という。確かに、着陸ゲートにいるとタクシー運転手がたくさんいる。しかも怪しげな運転手ばかりだ。そのため、タクシーを斡旋しているブースがあった。そのブースの係員にそのおっさん運転手が「自分は政府公認の運転手だろ!」と了解をとっていた。まあ、このおっさんでいいかな!?「いくらだ?」と訊くと「US$20だ!」というので乗ることにした。タクシーはダウンタウンに向かっている。運転手が「高速道路で行った方が早い。2回の高速道路を使うことになるので1回につきUS$1.25だからUS$2.5必要だ。」といってもそんな中途半端なお金を持っていないのでUS$3渡す。しかし、運転手は50セント戻さない。こいつはインチキ臭いな!気をつけよう。ダウンタウンに近づいてくると超高速ビル群が並ぶ。スゴイ高い。パナマシティーは大都会だ。そして、日本から予約していたHotel Marveraに到着した。その周辺は、何か怪しい雰囲気を醸し出す街だ。運転手が「US$28だ!」というので「何を言っている!US$20といっただろう!」と言ってケンカになりそうになった。しかし、このでかい体には勝てない。US$30を出す。「US$2はチップだな!」というので「NO!US$2は戻せ!」「何てドケチ野郎なんだ!」といってUS$2をおつりを横取りにさせなかった。この国は気をつけなければならない。
2012年01月10日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ1月1日、大麻比古神社に初詣に行った。すると・・・行列ができるたこ焼きの屋台があるではないか!?「美味しいんですか!?」と並んでいるおばちゃんに聞いた。すると「美味しいよ!」というので並んだ。約40分。近所のたこ焼きの屋台は待ち時間0分。ちょうど前のオッちゃんたこ焼きを6箱!も注文!1箱、500円という高い値段!しかも9個しか入っていない。食べた見た・・・たこ焼きは、どこでもいいか!(笑)
2012年01月09日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ【ステーキハウス トクガワ】私の記憶が定かであれば17年ぶりのことだった。以前と同じ店内の様子だ。突き出し(?)が来た。サーモンだ。まずは、野菜やイカを焼く。次にニンニクを焼く。そして、阿波牛のステーキを焼く。そのステーキを食べやすいように切る。食べてみる。これは美味しい。もやしも焼いているぞ赤ワインを注文した。大きい。酔っぱらっちゃった。失敗・・・デザートはシャーベットだ。賞味ください。
2012年01月09日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ20:07,着陸。イミグレーションはスムーズに終わった。さて、両替だ!銀行は???探すが“ない”。2階にあるインフォメーションで訊くことにした。すると、「1階の隅にある」という。急いで、行くと確かにあった。「やった!これで両替ができる!」しかし、ボリビアーノを渡すと両替を断られた。「一体どうなっているんだ!」
2012年01月09日
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写真は“がんバレージャンプくん”へやっと、飛行機に乗るためのバスに乗る。機内に乗り組んだのは、17:15。座席の周りにガキンチョ(幼少の子どもたち)がいる。これは大変だ。やかましくなる。寝られないかもしれない。しかも座席は窓側を頼んだのに、通路側になっている。そこへそのファミリーの父さんが「座席を代わってくれ!」というのだ。家族で前後ろになるより一列に座った方がいいのでそう頼まれた。こちらもその方が少しでも静かにいられると思い快く承諾した。さらに、その隣3席分が空席だ。横には誰もいない。自分が自由に使える。これは嬉しい!開放感たっぷりだ!CAがパナマの入国カード、税関カードを配りにやってきた。ベネゼエラよりよっぽどわかりやすい。(ちょっとCAに分からないところを訊いたが・・・)17:44、飛行機は動き出す。18:10離陸する。18:30,ジュースを持ってきてくれた。機内食はチキンサンドイッチだ。しかし、大きい!
2012年01月08日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ時計を直すことにした。16:31である。ちょっとして案内板を見るとボーディングパスが点滅している。近くのおっさんに「パナマに行くか?」と訊くと「行かない!」というので急いで17GATE(下の階)へ行く。しかし、GATEに表示はない。近くにいる何人かの人に尋ねる。どうやら、このGATEらしいが表示がない。この下の階には3つのGATEが重なっている。はっきり分かるように表示くらいして欲しい。(怒)
2012年01月07日
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写真は“がんバレージャンプくん”へおばちゃんエーゼントと分かれたのは15:50。X線のとき靴を脱ぐように言われた。水の持ち込みについては特に言われなかった。ここで両替をしようとした。しかし、前の女性の両替が長い~!やっと、窓口の先頭に立つと「ここはドルをボリビアーノに両替はできるがその反対はできない」といわれた。「それなら、違う窓口に行けばいいんだ!」と思ったがそれが大きな勘違いだった。他を探しても銀行がない。日本円に直すと約3万円分をどうしようか・・・何か買うことにしようか・・・といっても欲しいものはない・・・。「まあ、パナマに行ったら両替できるだろう」ということでここで何も買うことはしなかった。
2012年01月06日
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【2011年「有馬記念」オルフェーヴル [レース結果動画] 】よく分からないけど適当に頼んでいたら・・・「有馬記念2011」に当たった!
2012年01月05日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ14:20,離陸する。再びオリノコ川が見えてきた。セスナ機ではオリノコ川が反対に見えていたのでよく見えなかったが今回はよく見える。14:30,ジュースを飲む。行きの便では飲むことができなかったが帰りの便は飲むことができた。(嬉)やっとゆっくりすることができた。もうすぐ、カラカスに到着する。カラカスは海岸沿いにありそのまま山に街が広がっている。不思議な街並みだ。また、大きなビルもあまり見あたらない。どういう街なのだろうか?不思議だ。15:18,カラカスの空港に到着した。到着ロビーにはやって来たときと同じおばちゃんエーゼントが待っていてくれた。「国際便のターミナルは別の方にあるから着いてきてください」というので、言うとおりついていく。到着ロビーから出て歩く、歩く・・・。長い!一体、いつになったら着くのだろうか???外はかなり暑い。約10分、歩き続けるとやっと国際便のターミナルにやってきた。「もし1人だたったら、これは分からない。助かった!」と心底思った。おばちゃんエーゼントがチェックインをやってくれる。(TAX30Bs+190Bs)
2012年01月05日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ11:40、プエントオルダディス空港に着陸した。セスナ機ともお別れだ。ここでシウ夫婦と別れることになった。ここでエーゼントからカラカス行きのチケットを渡される。13:00発“R7-743”便だ。ここでは、プエントオルダディス時間10分ほど早くしなければならないようだ(!?)機材が13:40にやって来た。14:00発でもないのに!(怒)13:50,やっとゲートに並ぶ。14:00,やっと機内へ向かう。14:07、やっと機内の座席に座る。カラカスからやって来た飛行機と同じものだ。今度は窓側だ!この機材は経由便だ。そのためやってきたのが遅くなったのはよくあることだ。14:14,機材は動き出した。予想より15分早い(笑)
2012年01月04日
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写真は“がんバレージャンプくん”へいつの間にか睡魔が襲ってきた。少々寝てしまうが、怖く感じ再び起きる。どういうことか分からないが、パイロットの横に座っていると前の様子が分からない。これでは操縦しにくいのにどうしてだろう?そうしているうちに、来たときと同じプエントオルダディスの街並み、製鉄所が見えてきた。もうすぐ空港だ。着陸準備開始!そこで先ほどの疑問が分かった。着陸態勢になると前のめりになるので操縦席から前が見えにくいのはこのためだったのだろう。
2012年01月03日
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写真は“がんバレージャンプくん”へやがてセスナ機は水平飛行になる。熱帯雨林“リャノ”の上空を飛ぶ。来たときよりも景色が見やすい。やがて、リャノは湖のようになっている。もっと雨季の時期が進むともっと水位が増して地形が変わるのであろう。これでは地図が描けない。それにしても、楽しくて仕方がない。もっともっと見たい。
2012年01月02日
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写真は“がんバレージャンプくん”へ10:30,着陸すると思うと、マネージャーが「前に乗れ!」と言って、そのままシウ夫婦が乗ってきた。10:35に離陸する。このまま、プエントオルダディスまで行くのだ。ロッジ前の滝がすぐに見えてきた。これは感動だ。「サルト・アーチャ、サルト・カイヤ、サルト・ワダイヤ、サルト・コロリーナ」が見ることができる。「サルト・サポ」も見えることができる。
2012年01月01日
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謹賀新年2012
2012年01月01日
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