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ハワイのレイについて(No.1)



ハワイでは、レイを贈ったり贈られたりする習慣がある。ハワイを発つ時、帰って来た時、誕生日、卒業式、結婚式、母の日、レイ・デー(5月1日)など、ハワイのセレモニーにはレイが欠かせない。レイを贈るのは、何もお祝いや特別な日だけに限らず、ただ単に感謝の気持ちを込めて贈る場合もある。

レイの歴史は古く、かつては、魔除け、神様への捧げものとして使われたり、社会的地位や家系を象徴するものとして使われた。フラを披露する時、お祝いや感謝の気持ちを表わしたり、アクセサリーとしてハワイでは古代から生活に欠かせないものとなっている。

レイは、首にかけたり、頭に巻く装飾品の総称で、一般的に首輪状やひも状のものをいうが、その素材には様々なものがある。初期のレイは、貝殻、イノシシの牙、犬の歯、骨、鳥の羽根、髪の毛など、様々なものから作られたが、現在では、草花、木の実、海草など、植物のレイが主流になっている。 また、新しい素材には、紙、毛糸、リボン、セロファン、キャンディなどがあり、1ドル札で作ったレイや、造花のレイも出回っている。

ホノルル・チャイナタウンにあるレイ店の老舗「シンディーズ・レイ&フラワーショップ」のキャレン・リーさんに話を聞くと共に、ハワイの美しい習慣・レイについて探った。

レイの歴史
ポリネシア地域では、古代から草花などでレイを作り神様に捧げたり、レイを身に付ける習慣があった。ハワイには、マスケサス諸島から長い航海の末、ハワイに辿り付いた最初のポリネシア人が、その習慣をハワイに持ち込んだと言われている。

1900年代初め、アロハタワーの埠頭には、カラフルなレイを抱えたレイ売りが並んでいた。船でハワイを訪れたり、去って行く観光客はレイを買い、船がダイアモンドヘッド沖を通過する時に、またいつかハワイに戻れることを願って、船からレイを海に投げ入れたという。 しかし埠頭でレイを売るのが禁止され、レイ売りたちは、チャイナタウンのマウナケア通りの道に並んで座り、レイを作りながら売っていた。
1950年代までは、ワイキキのローヤル・ハワイアンホテルの付近にもレイ売りがいたが、道でレイを売るのが禁止された後は、マウナケア通りを中心にレイの店が生まれた。

レイ・デー
ハワイでは、毎年5月1日がレイ・デー(レイの日)と定められている。その由来は、1828年に作家・詩人であるドン・ブランディング氏が、ハワイらしい公式日を制定しようと新聞で提唱したことに端を発する。
その年の5月1日、ハワイ最初のレイ・デーは、とても華やかなものだったという記録がある。ホノルルのダウンタウンでは、フラが披露され、レイ作りのデモンストレーションやコンテストが開催され、街行く人は皆レイを身に付けていたという。 第1回のレイ・コンテストの勝者は、アーネスト・パーカーさん。蘭、マリーゴールド、デイジーのレイと帽子飾りのレイがお揃いで、賞金は50ドルだった。 以来毎年5月1日のレイ・デーには、レイが街に溢れ、レイのコンテストがカピオラニ公園などで行われている。

ホノルル・チャイナタウンのマウナケア通りには、今でも沢山レイの店がある。その中でも一番長い歴史を誇るのは、「シンディーズ・レイ&フラワーショップ」。 お店の名前になっているシンディ・ラウさんは、中国広東生まれ。中国系アメリカ人のご主人、レイモンド・ラウさんと写真見合いをし、1951年、19才の時にハワイに渡り、結婚した。
レイモンドさんは、パールハーバーで仕事をしていたが、父親がマウナケア通りで床屋をしており、店の一角では母親が切花やコサージを売っていた。 シンディさんは、義父母の店を手伝い始めたが、義母が脳卒中になり、まもなく亡くなってしまった。シンディさんは、当時まだ英語がほとんど話せなかったが、義母の切花やコサージのビジネスを引き継いだ。 シンディさんは、店で片手間にレイを作り始めるようになったが、次第に床屋よりレイの方が繁盛するようになり、床屋を止め、レイの店になった。

現在74才のシンディさんは、第一線を退き、長女のキャレン・リーさんが店を取り仕切っているが、ほとんど毎日のように店に来て手伝っている。 キャレンさんの2人の弟やご主人、15才と17才の息子、キャレンさんの叔父さんや伯母さんなども、レイ作りや配達などを手伝っており、シンディーズ・レイ&フラワーショップは、シンディさん一家の家業になっている。 キャレンさんは、「母が20代でレイの店を始めた時、私はまだ小学生でした。でも、母は英語が上手く話せなかったので、お客さんのお相手をしたり、レイを作るのを手伝っていました。 当時、私たち家族は、店の2階に住んでいたので、チャイナタウンの端にあった小学校まで歩いて数分で行けました。学校が終わると、急いで家に帰ってきて母を手伝っていました。 母がレイ店を始めた頃は、チャイナタウンにはウチを含め、レイの店は4軒しかありませんでした。当時チャイナタウンの店主はみんな男性で、女性の店主は母だけでした。 他の3軒のレイ店は、店主が変わったり閉めたりしていますから、ウチはチャイナタウンで一番古いレイ店です。母はこの店を50年くらいやっていますが、私もほぼ同じくらい、この店に関わっています。 母は、朝6時から夜の11時くらいまで、週7日、毎日店を開けていました。若い頃は、そんなに長い時間働かないといけない家業は、絶対イヤだと思い、本土の大学で英語を専攻しました。 卒業後、マウイ島ワイレアの不動産会社に10年ほど働きましたが、レイは母の日や卒業シーズンに一番よく売れるので、その時期には、毎年1週間程休暇を取り、お店を手伝っていました。

ウチのお客さんは、殆どが地元の人ですが、2006年の5月からウェブサイトを立ち上げたので、最近はカリフォルニアなど、本土からもレイの注文が入るようになりました。 また、時々変わったレイの注文を受けることもあります。船にかけるレイや、ビショップ博物館で行われた恐竜展覧会の恐竜の複製にかける大きなレイを作ったこともあります。カーター大統領やブッシュ大統領、映画スターのレイも沢山作っています」と言う。

キャレンさんは、ピカケ、ガーデニア、プルメリアなど、香りの良い花が好きだと言うが、一番よく売れるのはプルメリアのレイ、人気のあるのは、チューブローズやピカケだと言う。 若い頃は、家業を継ぐのは絶対イヤだと思っていたというキャレンさんだが、「年を重ねるにつれ、家族や親戚が一緒に働けるのは、幸せだと思えるようになったの。レイを作るのは、癒しの効果があるのよ」と言う。 義母から嫁、母から娘へと三代にわたり受け継がれたこの店は、まだまだ末永く続きそうである。


ハワイのレイについて(No.2):レイの種類やレイに関するエチケット、作り方を紹介しています。是非続いてお読み下さい。

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