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メイド・イン・ハワイ「ウクレレ」



ハワイを象徴する楽器のウクレレ。その起源は、1879年8月にサトウキビ畑で働くためにハワイに移住したポルトガル人に由来する。当時ポルトガルからハワイへは船で4か月半ほどかかり、長い船旅の退屈しのぎに、ポルトガル人たちは小型の4弦楽器のブラギーナ(Braguinha)を弾いていた。
ウクレレの語源に関しては、いくつかの説があるが、ポルトガル人が巧みにブラギーナを弾いていたので、ハワイアンは、その指の動きを見て、「まるで、蚤(ハワイ語でウク)が、跳ねている(ハワイ語でレレ)ようだ」と表現したことから、ウクレレと名付けられたという説が一番有力だとされている。
その後、マニュエル・ヌネス氏とアゴスト・ディアス氏が、ブラギーナを改良し、ハワイで初めてウクレレを創った。マニュエル・ヌネス氏には、サミュエル・カマカ・シニアさんという弟子がおり、後に彼はウクレレ製造工房を設立した。現在も老舗ウクレレ製造会社として君臨するカマカ・ハワイ社を訪ね、サミュエルさんの息子で二代目のフレッド・カマカ・シニアさんと、サミュエルさんから数えると三代目になるクリス・カマカさんに話を聞いた。

はじまり
ハワイで最初のウクレレを創ったマヌュエル・ヌネス氏の弟子だったサミュエル・カマカ・シニアさんは、1916年からカイムキの自宅の地下室を「カマカ・ウクレレ・アンド・ギター・ワークス(カマカ・ウクレレとギター工房)」とし、ウクレレを創り始めた。
サミュエルさんは、コアの木を使った高品質のウクレレだけを創ることを方針とし、彼の創ったウクレレは、「カマカ・ウクレレ」という名前と共にウクレレ奏者の間でたちまち評判になった。
サミュエルさんは、当初一人で一週間に12本のウクレレを創り、5ドルで売っていた。5ドルは、当時の一か月分の給料に匹敵したので、ウクレレを買えない人は、ヤシの実や葉巻の木箱などでウクレレに似たものを創ったという。
ウクレレが浸透するにつれ、欲しがる人が増え、サミュエルさんの他にも、ウクレレ創始者の「ヌネス」、「クマラエ」などというメーカーがウクレレを創っていた。

パイナップル・ウクレレ
ウクレレブームにのって繁盛したサミュエルさんの工房は、1921年に、南キング通りの、現在の「魚卓レストラン」の場所に引っ越した。
1920年代半ば、ハワイには、ウクレレ工房が15社あり、他のメーカーと競うため、サミュエルさんは、楕円形の独自のウクレレを考案した。
その形がパイナップルに似ていることから、友人の芸術家に頼んで表の部分にパイナップル模様を描いてもらい、パイナップル・ウクレレと名付けた。
パイナップル・ウクレレは、従来のスタンダードな8の形のウクレレより音が柔らかく、余韻があると好評だったため、サミュエルさんは、1928年にパイナップル・ウクレレの特許を取った。
パイナップル・ウクレレは、一躍世界的に有名になり、現在でもカマカ・ハワイの代表的なウクレレとなっている。ちなみに当時創られたパイナップル・ウクレレは、愛好家の間で高値で取引されている。

息子が加わる
サミュエルさんには、サミュエル・ジュニア(愛称サム)とフレデリック(愛称フレッド)という二人の息子がいる。1930年代に入り、二人はまだ小学生だったがウクレレ製造に加わり、1945年には、社名を「カマカ・アンド・サンズ・エンタープライズ(カマカと息子の会社)」と改名した。第二次世界大戦中、サムさんとフレッドさんは、徴兵されて服役したが、終戦後、二人共ワシントン州立大学に入学した。フレッドさんは、卒業後また陸軍に入隊したが、サムさんは、修士号を取得し、昆虫学で博士号を取るためにオレゴン州立大学に入学した。
1952年、サミュエルさんが病気になり、工場を閉めてウクレレ製造から半引退した。翌年、病気が更に悪化したので、オレゴン州で勉学に励んでいたサムさんは、博士号取得の夢を捨て、ハワイに戻った。
サミュエルさんが翌年亡くなったのを機に、サムさんは家業を継ぎ、子供の頃覚えたウクレレ創りに戻った。
5年後の1959年、南キング通りの工場が手狭になり、サムさんは、現在のカカアコの場所に工場を移し、1968年に、社名を現在の「カマカ・ハワイ社」に変えた。
陸軍を引退したフレッドさんが、1972年に、ジェネラル・マネージャーとしてビジネスに加わり、彼の息子のフレッド・ジュニアさん、サムさんの息子のクリスさん、ケイシーさん、ケリーさんも加わった。

コアのウクレレ
今では、大量生産でウクレレを作っている会社もあるが、カマカ・ハワイでは、材木の裁断などを除き、殆どが手作業で行われている。
ウクレレ創りは、まずその素材選びから始まる。外材のウクレレも沢山出回っているが、昔からコアの木で創られたウクレレが最高級だと言われており、カマカ・ハワイでは、サミュエルさんの時代からコアの木でウクレレを創っている。
コアは、学名をAcacia koa(アカシア・コア)といい、標高1500フィート以上の所に自生するハワイにしかない豆科の木。
木目が美しく、ハワイでは古代から、コアの木でカヌー、サーフボード、ポイを入れるボール、家具などが創られているが、乱伐され、数が極端に減っている。近年コアの植林もされているが、成長が遅いため、現在は需要の割に供給が追いつかない状態になっている。
このため、カマカ・ハワイでは、家具などの大きなものを創った残りの木切れを仕入れ、ウクレレを創っている。仕入れたコア材は、すぐ使わず、3年程敷地内で寝かせてからウクレレにしている。
かつてはコアの木だけでウクレレを創っていたが、高価になり過ぎるので、最近では、ネックの部分などにマホガニーが使われている。

手作業
工場の一階では、主にウクレレを組み立てる作業をしている。薄く製材されたコア材は、ウクレレの色んな部分の型に合わせて、更に細かく裁断する。それを流れ作業で、それぞれの持ち場の職人が、鋳型に合わせて曲げたり、組み合わせて繋いだり、ヤスリで磨いたりしている。
木を裁断する時には、騒音と共に木の粉が辺り一面に舞うため、職人は皆、マスクや防音装備をしている。ウクレレは、その後、コアの木目を強調し、保護するためにニスが塗られる。ニスが塗られたウクレレは、乾燥室で一定時間乾かす。

聴覚障害者
カマカ・ハワイでは、1955年から障害者を雇っている。当時、障害者は就職口が無いのが当たり前だったが、サミュエルさんの妻で、作業療法士だったジェラルディンさんの勧めで聴力障害者を二人雇った。
現在82才の二代目のフレッドさんは、「一時期は、従業員の3分の2が、聴覚障害や筋肉障害などの障害を持った人でした。
意外に思うかもしれませんが、聴覚障害者は優れた楽器職人で、完璧なものを創ろうという姿勢があります。耳が聞こえない分、触覚などの他の感覚が発達していますから、微妙なことを体で感じ取れます。
聴覚障害者の職人は、ウクレレの胴体の部分を指ではじき、その振動だけで板の厚みや、良いウクレレかどうかが分かります。
1955年から45年間勤めた聴覚障害者のホセさんは、とても優秀なウクレレ職人でしたが1990年に引退しました。同じ年、ホセさんのいとこで40年勤めた聴覚障害者の職人のケンさんも引退しました。
二人共、沢山のウクレレ創りに携わりましたが、一度も自分たちの創ったウクレレの音色を聞いたことはありません。聴覚障害者は、ウチの工場にとってとても重要な存在で、今も優れた感覚を持った聴覚障害者の職人が一人います」という。

品質管理
ニスが塗られたウクレレは、2階に持ち込まれ、弦が張られ、調音される。その後ウクレレが、楽器や商品として基準に合っているかどうかの品質検査が行われる。品質検査の担当は、サムさんの長男で、三代目のクリス・カマカさんが担当している。
クリスさんは、「祖父は、ウクレレの品質には、とても頑固でした。『変なものを創るとカマカの名が汚れるから、品質が基準に満たないものは世に出してはいけない!』と言っていました。
昨年、当社は90周年を迎えましたが、その信念は今も変わっていません。現在、ウチにはカマカ一族のものを含め、社員は21人います。ウクレレを創る他の作業は、従業員に任せられますが、品質管理だけは、カマカ一族の人間がすることにしています。
最後の検査に通らなくても、作業をやり直せば良くなるものは、やり直し、それでもダメなものは、処分しています」という。

クリスさん
クリスさんは、工場では、品質管理を担当しているが、「ホオケナ」というハワイアン音楽グループのベーシストでもある。
クリスさんは、「ホオケナは、コンサートをしたり、CDも出しているプロの4人組のグループですが、ミュージシャンとしてハワイで生計を立てるのは、とても難しいです。
他のメンバーは、クムフラ(フラの先生)、郵便局職員、海軍造船所職員としての本職があります。私もウクレレ創りをしながらの活動ですが、ハワイでは副業を持っている人も沢山います。ミュージシャンとして副業が出来るのは幸せだと思っています」という。

ウクレレの種類
カマカ・ハワイでは、年間約4000本のウクレレを創っている。かつては工場に隣接した店で買えたが、今は注文のみを受付けている。一時期は、完成までに1年程待たないといけなかったが、今は4か月程で受け取れるという。
ウクレレの種類は、大きく分けて、従来のスタンダードな8型のものと、パイナップル型の2種類。弦の数は、4弦のものが主流だが、6弦、8弦、10弦のウクレレもある。音による種別は、ソプラノ、コンサート、テナー、バリトンなどがある。
6弦のウクレレは、サムさんが1959年に考案したもので、ハワイがアメリカの50番目の州になったことを記念して創られ、ウクレレを好んだリリウオカラニ女王に因み、「リリウ」と名付けられた。

特注や修理
ウクレレは550ドルから各種あるが、プロ、アマ問わず、特注のウクレレを頼む人は、好みの大きさや弦の数、音を指定し、材質や見た目にもこだわるという。
カマカ・ハワイでは、トンガ国王、高松宮妃殿下など、これまでに皇族や著名人のためのウクレレを数々創っている。依頼人のワガママを聞いて特注のウクレレを丁寧に創るのは、サムさんの次男(クリスさんの弟)で三代目のケーシー・カマカさんである。
ウクレレは、時が経つにつれ音が良くなると言われ、年代物は骨董品としての価値もあり、家宝として大事にされていたりする。
90年以上、高品質のウクレレを創っているカマカ・ハワイでは、そんな年代物のウクレレの修理もしている。修理の担当は、サムさんの三男(クリスさんの弟)で三代目のケリー・カマカさん。

ハワイ製でないと抗議
ウクレレがブームになった1915年9月の話である。ニューヨークタイムスに「ハワイアンは怒っている」という見出しの記事が載った。内容は、ブームに乗り、ウクレレを創り始めた本土の会社が、ウクレレに "Made in Hawaii"とウソの表示をしているのは違法だと、ハワイのウクレレ会社が抗議をしたというのである。
以後、ハワイのウクレレ会社は、ウクレレに "Tabu(禁忌)"という印を入れるようになった。今では "Tabu" の印入りのウクレレは、大変貴重なウクレレとして珍重されている。
聴覚障害者の職人を除いて、社員全員がウクレレを弾くという〈カマカ・ハワイ〉のウクレレには、職人魂とアロハ精神が一杯詰っていて、温かい音色。やはりウクレレは、ハワイ製でなくっちゃ~。

カマカ・ウクレレ Kamaka Ukulele
(808) 531-3165 
http://www.kamakahawaii.com/
ウクレレ工場ツアー:月・火・水・木の午前10時半。ツアーは英語のみで約30分。予約必要


榊原百合惠
ハワイ大学・大学院卒業。ハワイ在住通算18年。EastWestJournalの記者として、一面、"MadeinHawaii"、"行ってみよう!オアフ島あちこち"、"ホノルル点描"などの記事を担当。写真も撮り、様々な取材をこなすが、旅行、自然、環境、農業の記事を得意とし、独自の視点で斬る記事には定評がある。"MadeinHawaii"の記事では、ハワイの産物に焦点を当て、その歴史、生産者や耕作者の背景まで深く探り、ハワイの優れた産物をより多くの人に伝えることに力を入れている。

EastWestJournal
1976年10月に創刊したタブロイド版日本語新聞。毎月2回(1日と15日)発行で、
ハワイ州在住の日本人や長期滞在の日本人を中心に、信頼のおける日本語新聞として既に31年親しまれている。
紙面は殆どが独自の取材により構成され、創刊以来の愛読者も多い。2003年5月より無料新聞となり、アラモアナセンター内白木屋、ドンキホーテ、マルカイ、在ホノルル日本国総領事館など、ホノルルの約60か所で無料配布している。

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