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メイド・イン・ハワイ「ウクレレ」No.2


  ウクレレ 
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◆◇◆◇ポルトガル生まれのハワイ育ちの楽器◆◇◆◇
 各国からの移民で構成されるマルチ・カルチャーの島、ハワイ。ハワイが世界に
誇るウクレレも、ポルトガルからの移民とともにハワイに到着し、ハワイ流のア
レンジを加えられて今の姿に落ち着いた楽器です。

 時は1879年8月23日のこと……。当時、砂糖きび畑の労働力として、各国から
移民が続々と上陸中だったハワイ。ワインの産地として知られるポルトガルのマデ
イラ島からも、数百人を乗せた移民船「ラベンスクラーグ号」がホノルル港に到着
しました。ラベンスクラーグ号には、ミュージシャンだったジョー・フェルナンデ
スが、マデイラの民俗楽器ブラギニアを抱えて乗船していました。4ヵ月の長旅を
無事終えたのが、よほど嬉しかったのでしょうか。フェルナンデスは船から降りる
やいなや、ブラギニアを弾きながらポルトガルの民謡を歌い始めたとか。大きな唄
と踊りの輪が、たちまち彼の回りに広がったという事です。そしてこの四弦の小型
ギター、ブラギニアこそが、ウクレレの元祖となった楽器。ウクレレはこうして、
ハワイに記念すべき第1歩を記したのでした。

 船にはまた、マニュエル・ヌネス、オーガスト・ディアス、ホゼ・サントという
3人の楽器職人が乗っていました。3人はさっそくホノルルでブラギニアの製造を始
め、やがて専門店もオープン。3人はウクレレの名手でもあったので、フェルナン
デスと共に行く先々でブラギニアを演奏し、人気を集めたそうです。当時のハワイ
王国の君主カラカウアや、その妹リケリケ、リリウオカラニもこの珍しい楽器を愛
し、自らも演奏したとか。こうして王族達の支援も受け、ブラギニアはますますハ
ワイに広まっていく結果となりました。

 それに伴い楽器職人は、あれこれと研究を重ね、ブラギニアをハワイに合わせて
改良する作業を進めていきます。まずはコアやコウの木など、ハワイ原産の木材を
楽器作りに使用することが第1のチャレンジでした。さらにブラギニアをひと回り
大きくし、より簡単に演奏できるよう、調律も変更しました。弦楽器に不慣れな
ハワイの人々でも扱いやすいよう、いろいろな工夫が加えられ、現在のウクレレが
完成。つまりマデイラ生まれのブラギニアがハワイ流に発展し、ハワイ独特の楽器と
として完成したのが、ウクレレというわけなのです。



◆◇◆◇ウクレレ=飛び跳ねる蚤?◆◇◆◇

 ちなみに、ウクレレは当初ハワイで「ピラ・リイリイ(ハワイ語で小さい弦楽器
という意味)と呼ばれていたそうです。それが後にウクレレと命名されたのは、ど
ういう経緯だったのでしょうか? それについては諸説乱れるところですが、通説
は、ウクレレを弾くプレイヤーの素早い手の動きが、飛び跳ねる蚤(ハワイ語で
「ウク」は蚤、「レレ」は飛び跳ねる)のように見えるから、というもの。

 2つ目は、ウクレレの名手だったイギリス人、エドワード・バービスにちなんだ
説。カラカウア王の宮廷に仕えた彼ですが、小柄でひどく活発だったので、いつし
か飛び跳ねる蚤、ウクレレと呼ばれるようになり、それがウクレレの語源となった
というものです。今だ真相は不明ですが、皆さんは、どちらの説をサポートします
か?

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