山歩き&日々足跡

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大河の一滴


・親鸞に始まり蓮如が広めた浄土真宗では「南無阿弥陀仏」を拝む。
 南無(ナーム:サンスクリット語)とは、帰命(きみょう:ひざまずき頭をたれ)
 するという意味。
 阿弥防(アミターコス:無限の時間)(アミターバ:無限の空間・限りない光)
 ⇔サンスクリット語
 ここから「南無阿弥陀仏」が生み出された。
・親鸞が見つめたのは、仏像や仏画ではなく、じつは目に見えない無量・無限の科学的
 合理的世界と対立する世界=浄土であった。
・五木寛之→心の中で合掌する時「ナーム・アミータ」とつぶやいている。
 このひどい世の中で、こうしてなんとか生きているだけでも、ありがたいと
 心の中で手を合わせて感謝すればいいのだ。
・現実に生きるとは、地獄と極楽の二つの世界を絶えず、往還(ゆきき)しながら
 暮らすことだ。
・極楽とは、地球というこの世の闇の中に、キラキラと光りながら漂う小さな泡
 のようなものなのかもしれない。
・人は生まれながらに病気を抱えてこの世に登場する。
 仏教のほうでは人間はもともと四百四病とともにあると考えたのだそうだ。
・私たちの生は、大河の流れの一滴にすぎない。
・「善き者は逝く」この世にしぶとく生き残ってきた者は、すべて「善き者」たち
 の死によって生きながらえている罪深い者なのだ。
・無名のまま一生を終え、自分はなにもせず一生を終わったと、卑下することはない
 のではないか。生きたということに人間は値打ちがある。
どのように生きたかということも大切だけど、生きているだけで
人間は大きなことを成し遂げているのだ。
・人間は、ただ生きているというだけで凄いのだ。
・人間はまだ立ち上がれる余力と気力があるときに励まされると、
ふたたび強くたちあがることができる。
・何も言わずに無言で涙をポロポロと流して、呻き声をあげる。なんの役に立つのか
 と思われそうですが、これが大きな役割を果たすような場合がある。
・「人が生きるということは、苦しみの連続なのだ」と覚悟するところから、
出直す必要があるのではないか。

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