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高尾すみれ

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緑と清流 神秘家の庵さん
2010.05.22
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カテゴリ: 戦国武将と城
ミカン2
ミカンの花


迎えた秀吉配下の浅野長政は、政実を丁重に一人引き離して送り出すと、すかさず攻撃の合図を送った。
一気に大軍が城内へなだれ込んだ。
九戸城の将兵は、態勢など整える暇もなく退却するばかりだった。
秀吉軍は、女子供も容赦しなかった。
勝どきの声と、断末魔の叫びが交差した。
そして包囲された城には火がかけられた。立ち昇る炎、轟音のなかに逃げ惑う人々の絶叫が渦巻いた。
振り返った政実の目に、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がった。
我が城が燃え落ちる、真っ黒な煙りを背に、政実は成す術がなかった。
「おのれ、謀りおったな!」
その日のうち、政実は奥州討伐の総大将豊臣秀次の前に引き出され、無慚に斬り殺された。
政実の首は京へ送られ、晒された。その形相は凄まじく、見た者は誰もが怨念を感じずにはいられなかった。
こうして九戸政実の乱は平定され、九戸城には、南部宗家の座を政実と争って勝った南部信直が入城することとなった。
城内は片付けられたが、まだすす臭さや、屍の臭いが残っていた。
「さすがは豊臣配下の強者、たった1日で皆殺しだ」
などと、笑う配下を信直はギロリと睨みつけ、
「済んだことだ、今後一切、政実のことは口にするな!」
と命じ、あの斬首を思い出していた。
「政実だけではない、小田原では北条氏が自刃させられた、秀吉は無慈悲な人だ、政実の恨みが降りかかるかもしれぬ、ましてこの城で起こったこと、怨念も強いであろう」
信直は、政実と勢力争いしていたが、怨霊のことを思うと不気味で、戦国の世が終わり、徳川幕府になって落ち着くと、災厄を恐れて居城を盛岡へ移した。
九戸城はうち捨てられ、跡は荒れ放題になった。
ある年の秋風が吹き始めた頃、南部藩城下では奇妙な噂が流れていた。
青白い炎の中、鎧兜の侍が歩き回って、苦しげに叫んでいるのを、何人もの人が目撃した。見た者は、三日三晩熱に浮かされ、遂には死んでしまった。
毎年九月になると、城下はその話で持ちきりだった。
政実が首をはねられたのが九月四日で、その日の夜になると、九戸城址に亡霊が出て、地獄絵図が再現されるのだった。
炎に包まれて死んでいった将兵や女子供が迷い出て、その傍には政実の晒し首が、凄まじい形相で立ちすくみ、無念の叫びをあげているという。







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Last updated  2010.05.23 06:10:01
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