昨日からの続きです。
「カウンセラーが鏡となってクライエントさんの心を映し出す」
という表現への疑問・・。
( 自分でも「疑問屋さん」とネーミングしたくなっちゃいます
カウンセラーの元に相談に来るクライエントさんのほとんどが
苦しい心
「幸せでしあわせでどうしようもないんです!
この幸せを誰かに分かち合いたくて相談に来ました~~!!」
は、あまりないですよね?!
特に最初の面談ではありえないと思います。
クライエントさんは
「何だか、にっちもさっちも行きにくい」
といった感じをお持ちでしょう。
「自分の置かれた状況や心を持て余している」
という表現もありかもしれませんね。
先が見えない・自分が見えない
これは、人の心をとても苦しく揺るがせる
著書「あなただからできること、あなたにしかできないこと」
にも書かせていただきましたが
私自身の苦しかった体験からも
そんなふうに感じています。
その「苦しい揺らぎ」をそのまま正直な「鏡」のように人に映しだされたら・・・
少なくても私は嫌だなぁ・・。
そうした「迷路に迷いこんでしまったかのような自分」を
改めて見ることで「気づく」ことは確かにあるのかもしれないけれど・・。
昨日も書いた
「より」
になって、それこそ
「より混乱・動転してしまう」
「より深い迷路に入ってしまう」
そんな気がしてなりません。
それって 、やっぱり心が痛そうです。
自分の気持ちが落ち込んでいるときに見る
自分を正直に映し出す鏡は
時にとても残酷です。
鏡をみるのを避けるようになるかもしれない。
鏡を壊したくなる衝動に駆られるかもしれない。
「ありのままを映し出す真正直な鏡」になる前に
(真正直な鏡に向かい合ってみるのもいいのかな)
と思っていただけるような支援者でありたいと思っています。