「ありがたいなぁ」と思うことが富に(強調!)増えてきた気がします。
「参ったな~」と思うことや「困ったなぁ」ももちろんあるんです。
でも、何か不思議とシンクロニシティが動いているのを実感できること
(シンクロニシティについては、2月にそのままのタイトルで書いていますので
そちらをご覧いただければ幸いです)が、すごくたくさん!
でもね
その「シンクロニシティ」や「HAPPY」は「小さい」場合がほとんど。
ですので 「HAPPY」にアンテナが上がっていれば「HAPPY」と思えるし
「HAPPY」にアンテナが上がっていなければ
見過ごしてしまうのかもしれません。
ということは、やっぱり「HAPPY」にはアンテナをあげていたいですよね。
さかんに書かせていただいている「あ段」のHAPPY言葉も
(再びですが、このブログの2月最終日「「あ段」HAPPY活用で」を
その方法の一つですよ。
人はそれを「HAPPY」とは言わない、も関係ありません。
そうであるか、そうでないかは、 まったく「自分が意味づけ」をするもの 。
さて、昨晩の話です。
その「小さいかもしれないHAPPY」を積みかねると
人って、よりHAPPY・・より「快」にどんどんいくのかなぁ、って経験をしました。
(あ~、幸せ。○○さん、ありがとう)との気持ちに浸っていたら
急に!時季ものの「しょうぶ湯」に入りたくなりました。
また、こう思ったときが自宅に戻ってからとかではなくて
帰宅途中の電車にのっているとき!(思わず「ラッキー」)
いくらでも「花屋」さんによれる経路に変えられます。
しっかり、購入しての帰宅も何と心が弾むことか。
「しょうぶ湯」の準備をしている間の夕食のしたくまで楽しく
(いつも、嫌々やってまして・・)
入浴した時のなんともいえないいい香り。とてもほんわりしました。
人から見たら(何と小さい)でも(そんな場合じゃないでしょ?)かも。
でも、いいんですよね。
という訳で昨日は何度「あ段」のHAPPY言葉が私の口をついたことか。
今日もそうでありたいな!と思っています。
皆さまにも、そうした一日でありますように